こんにちは、Mihoです
今日も朝から運動出来たよ
令和6年5月21日から始めて、もうすぐ1カ月
すごいすごい~~~
今日も”いのさん”のこれ
昨年の8月から、
瞑想のラボに入っているんですが、
今日のラボ配信の中で他のメンバーが「子どもとの関わり方、声掛けが変わったよ」というお話があり、
ラボを主催している愛ちゃんが「それは、小さい頃の自分へ掛けてあげている言葉だよね」って言っていて。
子どもは自分の投影だよね、っていう話題になったの。
そこから、なんとなくわたし自身のことを考えてみた。
そういえが、最近やたら息子が
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帰ったら、一緒に遊ぼうね
\
とか
/
お母さん、こっちきて!一緒に遊ぼう
\
って言うんだよな~と思って、コメントしたの。
そしたら、愛ちゃんが、
「みほちゃんがお母さんに構って欲しかったんだよ
みほちゃん寂しかったんだよ
息子ちゃんが教えてくれてるよね」
って言ってくれた瞬間、涙がぶわぁっと溢れてきた
「そうなの、ずっと寂しかったの」
そう聞こえた気がした。
ふと、「あれ、わたしの小さい頃、お母さんが忙しくて寂しかった。もっと構ってほしかったのかも。」
っていう記憶が出てきた。
3人兄姉で、末っ子のわたし。
母親は、ずっと専業主婦だったんだけど、
わたしが幼稚園に入った頃にパートで働き始めたんだよね。
当時の幼稚園は、
終わりの会をして、16時前くらいにはみんなバスで帰っていたんだけど、
お家に誰もいない子や、お迎えに来れない子は、
別の小さいお部屋でお迎え来るのを待っていたの。
あんなにたくさんいたお友達がほぼみんな帰っていくのも寂しかったし、
残っている子が毎回2人(幼稚園の先生の子とわたしだけ)で、寂しかったなぁ。
家に帰っても、兄姉もいるし、ご飯の支度や家事をやって忙しそうな母親の姿を見て、
「寂しい」っていう言葉をぐっと押し込んで、明るく振舞っていたのかもしれない。
(ここら辺は記憶があいまい)
母親に「幼稚園の頃、お迎え遅くて寂しかったんだよね。」って直接伝えたこともあるし、
今はもう寂しいと思うこともなかったし、もう全然大丈夫だし、解消していると思っていた。
寂しいっていう感情に蓋をしたまま、無かったことにしてずーっと過ごしていた。
でも、身体は覚えている。
まだ解消されていないから、そこに触れたときに涙が溢れる。
母親から、「当時は忙しくて、あんまり構ってあげられてなくてごめんね。」
っていう言葉を掛けてもらっていたし、
わたしも「しょうがないよね~。わかるよ」って、思えていたはずなのに
でも、でも、
身体には全部残っていた
まだ押さえつけていたんだね。
ごめんね。
寂しかったよね。
もっとお母さんと一緒に遊びたかったよね。
無かったことにして、ごめんね。
もっともっと寂しいって言っていいよ。
大好きだよ。ハグ
気付かせてくれて、ありがとう。
いつも息子には、
「これやってから遊ぶから待っててね」と
後回しにしてしまっていたけど、
よし、今日はすぐに息子と一緒に遊ぶぞ
自分が言って欲しかった言葉を掛けてあげよう
本日もお読みくださいまして、ありがとうございます