わたし > でいこう (医療に頼らず 自分で治す)

わたし > でいこう (医療に頼らず 自分で治す)

毒親 喘息 自己免疫疾患 自力プレドニン断薬体験 無職 日々のこといろいろ

 私の闘病記では、「今日受診しました」「先生にこう言われました」「薬が増減されました」はない。それでも他の方の闘病の投稿はたくさん見させてもらっている。そして何より、ブログの投稿が支えであることもわかる。同じ「生き続ける」目的なので 私も同じだと思っている。

 私が病院へ行かなかったのは、薬による治療では身体が耐えられない状態になったから、腸が自己免疫疾患で壊れており、土台の身体が「もうやめてくれ」という体感だった。その上、保険外の自由診療を受け、支払えるほどの経済力もなかった。だから、とりあえず、身体には 薬や検査などの負荷を与えないことから始めた。たぶん、「薬を止めたら、苦しくなる」「悪くなる」という考えもあるが、それより、「こんな状態にしてしまい、ごめんなさい」と身体に言っていた。「これがいい」「あれがいい」とサプリを飲み、「○○が痛いから薬」「この数値だからこの薬」医師の言うままに、何も考えず、口に入れて、頭で身体をコントロールしてきた。それを詫びた。そして、脅迫的に「休めない」状況を勝手に職場で背負い込み(毒親あるある)、ちょっとしたSOSを無視し、身体を追いやり、体調さえ無視し、引きずり回してきたと思った。

 だから、この苦しさはまるで、「身体の言うことを一切聞かなかった人生の身体の声、苦しい苦しいという声」だと思い、黙って聞いてやろうと思ったからだ。余計な事はせず、淡々と。

 ところが、身体は急には言うことを聞いてくれない。「身体の声を聞く」なんてこんな末期症状では難しかった。しかも、身体は24時間365日淡々と仕事をしているのに、つらい症状で感情が乱高下してしまい、余計に苦しかったと思う。でも、薬を止めることで苦しさへの「耐える」「我慢」はあくまでも、私の為で、私の身体の為で、何より私の決めたことである。

今までの私が経験した、言いたいことが言えない我慢、周りに無理に合わせる我慢、母親が怒るので我慢、不快な環境での我慢、などとは全く違う。

「我慢しなくていいんだよ」「誰かを頼っていいんだよ」という綺麗ごとも思い浮かんだが、

例えば、病院へ行くと、酸素吸入とステロイド剤 たくさんの服薬→数値がよくなると「よかったですね」と言われるだけで このループでの身体への負担とどうせ又、悪くなるの繰り返しがこれまでと同じで予想できた。だから、違う道を選んだ。全部自分の身体のため、自分のため。それだから、苦しかったけれど、何とかやってきた。自分の行きたい道での努力はしんどくないというのもこういうことだと思う。(但し、これができる人はきっと環境もいいはずだ)少し違うが、こういう解釈なら

「好きな物事のために耐え忍ぶ場合には「辛抱」を、避けたい物事を耐えたり、耐え忍ぶこと以外の場合は「我慢」を使うと覚えておけば間違いありません。」らしい・・・

ということなら、私のは辛抱だったみたい。

(2年前血中酸素がよくなり、近くのカフェに行けました)