わたし > でいこう (医療に頼らず 自分で治す)

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 一昨年の夏、体内の二酸化炭素が上回り、心肺停止直前で、救急搬送、ICUへ。その日は

いつもと違う体感(心臓がないような)で、血中酸素は85ぐらいだったので、夕方診療のあるクリニックへタクシーで向かう。玄関までの一歩一歩が、もうすでにおかしい。幸い空いていたが、受付で話せなくなり、車いすで診察。酸素が60台なので、医師が救急車を呼んだ。段差が多いので、ストレッチャーがうまく作動せず、自分で歩いて 救急車へ。

 

 何度か書いているが、ICUでは、「もう今晩が峠」だと病院からの連絡で、夜遅くに 娘夫婦や、母、妹たちが集まり、酸素マスク装着、おむつ、おしっこの管挿入しながら ドラマで見るような「最後の挨拶」みたいなものもした。救急では意識があり、「挿管拒否」したので、人工呼吸器もされずに。(されていたら、人工呼吸器、経管栄養で 寝たきり)これが偶然の幸い。

 その時、思ってたのが、まず「ほんとに死ぬのか?」「挿管拒否で、死に目に家族と話すために人工呼吸器を止めたという医師の説明。挿管拒否できたのは、一人で薬を止め、自分の人生と向き合い、自分を理解したここ数年の生活があって、結果はどうであれ、自分が満足していたから。」「死ぬ?判断ということは、数値だけで、もう死ぬ数値という医師の判断だけで、亡くなった命も多々あるはず」「一人暮らしで、食を見直し、生活にお金をかけた分、身体の土台が強くなったのかも」→ 総括「まだ、死ぬ感じがしない」

 

この流れで理解したことは 当たり前すぎるが

① 人は日常生活の中で、死んでいく(コントロールはできない

  退院後、入院前のやりかけの家事と、11日間の不在でできた洗濯機排水溝のカビなどに向

  かい合うが、生きるとはこういうことで、ほっとする自分もいた。

② 病院の検査数値でなく、自分の体感を信じる(設定された「危険数値」に振り回されてしま

  うと逆に命も落とす可能性がある。かといってコントロールできないが)

③ 救急医療のありがたさ(ICUのスタッフにも)(私の医療100%悪説や思考を少し変えた)

④ 目に見えない「運」(私の叔父は、飲酒、喫煙で気管に痰が詰まり呼吸困難、救急搬送後、

  何でもOKしてしまう叔母の承諾で 気切、呼吸器を装着。三か月後、死亡した)ただ運。

⑤ 生かされた から 何か使命を 何かをやり遂げる なんてかっこいいことをしなくていい

  ちゃんと 自分の残された時間を納得し 大切に生きること

  入院中、便秘で排便恐怖からトイレでナースコール、おしっこの管をしているので、陰部洗

  浄、おむつ生活(さすがに排便はなかった)は恥ずかしいを超えた。第一、体重27キロで

  「廃用症候群」という診断名。もはや「恥ずかしくないように」ができないので。

⑥ 回復した分、入院中での、医療行為(点滴や注射など)の副作用が多く、足が腫れ、靴が履

  けない。管挿入が長すぎて、尿漏れがすごい。管挿入での炎症のせいか、尿が赤いなど。(

  病院へ行くと、薬処方が始まるのと、浮腫も身体の副反応なので収まると理解した)

  「退院、よかったですね」なのだが、プレドニン服用後と同じく、「よかった」のは、病院だ

  けで、またこれらの症状で、いつもの身体との向かい合いになる。救急医療のみでよし。

⑦ 自分の意思表示をエンディングノートで娘に渡す。その過程で、生きる=死ぬ の表裏一体

  を改めて感じた。偶然生きれたので、偶然死ぬも理解できるから。

  これが、最高の「0か100か思考、白黒思考」の薬だ。頭や思考が降参した瞬間。

 

退院後、まず期限が切れているので、パスポート申請をした。海外旅行・・・「行けるわけない」「行けるかも」半々の気持ちで。今は、行けても行けなくてもどちらでもいい。