先日、とある席で、我が子の事を通じて、子どもの成長を見守る事についての話になり、そこから感じたことがありました。
私個人の子どもを想う気持ちは、将来、結婚を望むのなら、幸せな結婚生活を送り、自分自身の人生を謳歌して生きていってほしいと願っている。
でも、まるで、その人の人生すべてを知っているかのように評価するというオトナの考え方に???だったのです。
「人生は長い、こんな風に育つて欲しい。」
「大人になって世の中にでて、大変さも知っているから子ども達には、今の内で痛みを感じてほしいし、強くなれと思っている。」
そんな、会話を聞くと。
願いがいつの間にか支配へ、コントロールへ移行してしまうのだろうと感じた。
私もかつてそうだったように、想いが強くて支配におちいる。
オトナ達は、その狭間を感じる力をつけておく必要があるのでは?
ポリシーを持っているということと、こうであるべき。と強固なまでに考えに固執するのでなく、自身に問いかける姿勢でいたい。
我武者羅に生きる。
情熱を持って生きる。
それは、そとからの圧力ではないはず、本人の中から湧き上がってくるものではないか?
「我武者羅に生きろ!」
「情熱を持って生きろ!」
「できない時には、鞭が飛ぶからな!」
「その時は、私の愛情だと思って受け取ってほしい。」
………正直
違和感たっぷりの時間だった。
いや、怒りを感じていた。
支配からの卒業。
支配へのイメージ。
圧力への抵抗感!
すこーし、私の中の探求をしてみようと感じた貴重な時間。
想いの強さ。
想いの方向性。
観察中です。
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