<ヨーコお婆の…団地ひとり暮らし日記 132>
3月に兄が我が家にやって来たという話は書いた。やって来た理由は、私にまとまったお金を渡してくれるためで、一緒に銀行へ行って入金してくれた(という話も書いた)。
兄は自宅で奥さんを介護している。大阪在住時から私はそのことが気になっている。
まとまったお金を私の銀行口座に入金してくれたからというわけではないが、わが家にやって来たとき、私は初めて兄に言ってみた。何かお手伝いしたい。少しでもお役に立ちたい……と。
兄はそれを受け入れ、そして話は跳び過ぎて、「一緒に暮らそう」と言いだしたのである(そのことも書いた)。
義姉は気儘・自己中な性格で、加えて風変わりで特異な気質。だから長兄は母も姉も弟も妹(私)も自宅に呼ばなかったし、孫に会いたい母以外、私達きょうだいは誰も兄の家を訪れなかった。
私が大阪を出て移住することになったときも、ならウチに来て介護を手伝ってほしいと言われなかったし、私も兄宅へ行くという選択肢はゼロだった。
けれど、その後、兄は、仕事を失った私の家計支援をしてくれるようになった。
兄は老々介護で一人大変な思いをしている(時々息子が来て手伝っているが)。私は、遠く離れた地でひとり自由気儘に楽しく暮らしている場合ではない……と、兄がやって来たとき思ったのである。
交通費はかかるけれど(私は石川県の加賀地方在住)、毎月、兄が在住している兵庫県西宮市へ行って、2~3泊でお手伝いしたいと思ったのは本音・本気。しかし、一緒に暮らそう、私の終の棲家にしたらいいと言われるとは全く考えなかった。
どういう方法でお手伝いするかという提案の手紙を送った(それも3月のブログで綴った)。
4月と5月に2回、1泊と2泊で西宮へ出かけた。奥さんは年明けに誤嚥性肺炎で救急搬送されたので入院中だったが、先ずは兄の家に馴染まなければと思ったのである。兄宅へは仏壇を移したときと母の33回忌の2回訪れただけなのである。
そして、その後、退院を承諾できない病院と自宅介護に反対の息子とスッタモンダがあり、なかなか解決しなくて9月中旬の今日現在もまだ入院中である。
甥から、「父は、自宅介護したいという強い気持ちを今も持ち続けているのかどうかはわからない」というメールが届くし、兄からの連らは途絶えているし……ひょっとしたら担当医がすすめるようにこのまま入院が続くのかもしれない。私はもう介護手伝いに行かなくていいことになるのかもしれないと半分安堵していたが(行かずに済むならそのほうが有り難い)………
今月初め、兄から電話がかかってきた。今月末か来月初めに退院が決まったらしい。ネコを連れてやって来る準備を進めてほしいと言った。
やっぱり行くことになるんだ!
私は今、持参する物の準備を進めながら(移動はキャットバッグを提げなければいけないのでダンボール箱に入れて送ることにする)、いろいろ計画を立てている。
転居・移動はしないという意思を手紙に書いて送ったのに、電話での会話においても「行ったり来たりするのではなく……」と言っている。私は、とりあえず2週間と思っていたのに。
長い滞在をOKすることになっても……半年。兄宅で過ごすのは1年のうち半分。ネコを連れての移動はタイヘンなので、移動回数はできるだけ少なくしたい。ということは、一番少ないのは年に片道1~2回の移動。つまり半年ずつにすること。これが、私が譲歩できるギリギリ。年中一緒に暮らすなんて絶対にイヤ。しかも大変な介護のお手伝いである。
兄は私の将来のためにも……と言うが、独り暮らしに慣れた老女は、たとえ身内でも長すぎる同居はムリ。「最期」より「今現在」の幸せな暮らしを選択したい。
というわけで移動する準備を進めている。
兄の承諾を得たわけではない「一人思考」だが、計画としては……まず10〜12月中旬まで兄宅滞在。そして1月から半年間は自宅で暮らす。書道教室の生徒の作品展示会が11月上旬の3日間開催されるし、植木に水をあげなければいけないし、わが家の庭ではなく県営住宅の土地なのだが我が家の真ん前なので私が担当することになってしまっている草刈りも行わなければいけないし、11月上旬に2泊で帰る。
(その前に、気儘・自己中・風変わりな性格の患者とうまくいかず、逃げ帰ってくることになるかも……)
その後の計画は、来年7月〜翌年6月まで兄宅。この間2回ほど2泊で帰宅。7月〜暮れまで自宅。そうすると交通費はさほどかからない。
(今現在は兄宅のネット環境がよくわからなくて、しばらくブログをお休みすることになるかも……)