先日、小学6年生の「小学校最後の運動会」がありました。
実は同居を解消してからというもの、私はずっとこの運動会の日を懸念していました。同居解消後に、会う可能性が高いものが運動会だったからです。
義妹の子どもも同じ学校に通っているため、当然、義母や義家の人たちが観に来て、鉢合わせしてしまうだろうと。
「絶対に会いたくない、過去の恐怖が蘇るのが怖い……」
「でも、小学校最後の運動会を見に行かないなんて、絶対に一生後悔する……」
葛藤の末、私は「出場する6年生のプログラムの時だけ見に行って、終わったらすぐに一度家に帰る」という方法をとることに決め、緊張と不安を抱えたまま学校へ行きました。
最初のプログラムは、短距離走。
息子が走る順番を待ちながら、校庭の端っこの方に立っていました。
すると、突然、背後からポンポンと肩を叩かれました。
振り返ると、そこに立っていたのは義父でした。
夫からは事前に「向こう(義母たち)が私達の観賞エリアに来ないよう、話して釘を刺してある」と聞いていたので、まさか話しかけられるとは思っていませんでした。
不意打ちのような出来事に、相手が義父だったとはいえ、動揺がすごく、涙が溢れて止まらなくなっていました。
言葉にならず、ただひたすら「すみません、すみません……」と泣きながら謝り続けていました。
義父には悪気はなく、ただ私や孫のことを心配して声をかけてくれたのだと分かってはいます。
突然の義父の登場に驚いた主人も、
「本当に空気読まない、余計なことしてきて。もう向こうに行って」
と義父を促してくれました。
義父は涙を流す私に対し、
「孫に半年ぶりに会って大きくなっているなと思って安心したよ」
と声をかけてくれ、私の肩をポンポンと優しく叩いて、静かに離れていきました。
涙が止まらない私に、夫は
「大丈夫だよ」
と声をかけてくれました。
短距離走が終わるまでずっと涙が止まらず、走りを見届けたあと、私は逃げるようにすぐ自宅へ戻りました。
頭の中も、気持ちも、ぐるぐると渦巻いていました。
義母のような憎しみは義父にはありません。
こんな事態になってしまった申し訳なさと、心配して話しかけてくれたことへのほんの少しの安心感。自分でも上手く説明のつかない感情が一気に押し寄せてきて、感情の整理がつきませんでした。
「このあとのプログラムを見に行けるのだろうか……。」
動揺と不安しかありませんでした。
「やっぱり、小学校最後の運動会を親として見届けたい。ここで諦めたら絶対に後悔する」
一度自宅に戻り、ぐるぐると渦巻く感情と涙を必死に抑えながら考えました。不安で胸がいっぱいでしたが、さすがにもう声をかけられることはないはずと自分に言い聞かせ、勇気を出してもう一度学校へと向かいました。
ドキドキしながら校庭へ戻ると、幸いなことに義母たちの姿はすでになく、帰ったようでした。
そして迎えた、プログラムのダンス。
大きな校庭で、仲間とともに一生懸命に踊る息子の姿を、最初から最後までしっかりと目と心に焼き付けることができました。
1年前、同居の苦しみの中にいた時には想像もできなかった時間。色々なことがあったけれど、逃げずに立ち向かい、自分たちの生活を守り抜いたからこそ、今日こうして子供の成長を目に焼き付けることができたのだと実感しています。
小学校最後の運動会という大きな節目を無事に終え、心にひとつ区切りがつきました。義父が声をかけてくれたのは、私への心配があったからだと思います。最後に肩をポンポンしてくれた行動が義父からのなんというか応援のようなものと大丈夫だよって言われているような感じでした。
子供のダンスを見ていて、歌詞を聴きながら、
「さあ、ここからは中学受験に向けて、一緒にがんばるよ!」
と心の中で子供にエールを送りました!
同居解消したからこそ、ここまで来れた。同居のままだったら、どうなっていたのか。子供も私も全力で中学受験に挑戦できることに感謝です。
