床が絨毯なので土台が微妙に不安定なため、充分な引き付けから素早いスピードで肘の重さと同時にブロックに叩きつける。
床が絨毯なので土台が微妙に不安定なため、充分な引き付けから素早いスピードで肘の重さと同時にブロックに叩きつける。
武士道空手 靖献会 三田道場
SEIKENKAI MITA DOJO
tel 03-6459-4500
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東京都港区三田5-6-8 NAKAMURAビル4階
東京メトロ南北線・都営三田線「白金高輪駅」徒歩8分、<5線3駅利用可能>
都営三田線・浅草線「三田駅」徒歩10分、JR「田町駅」徒歩12分
◇武士道キッズ空手クラス
◇武士道空手一般クラス
◇武士道空手シニアクラス
◇スタイリッシュ カラテ クラス
フリー利用会員(月無制限利用)(全クラス共通)\12,960(税込)
月4回利用会員(週1回)(全クラス共通)\8,640(税込)
ワンタイムチケット(月4回会員、ビジター等対象)1チケット\2,700(税込)
【入門費用】
◆入会金 \10,800 (全クラス共通)
◆新規受け付け事務手数料 \3,240
◆スポーツ保険申込加入料金 \800~\1,850 (中学生以下\800、高校生以上\1,850、65歳以上\1,000)
◆月会費 \17,280~\25,920(2ヶ月分の会費です。最初の2か月分は現金で頂きます。その後は銀行口座振替により毎月自動引き落としとなります)
◆空手着代 \12,960~\26,920 *スタイリッシュカラテ入会者はスタイリッシュ特性道着は任意購入です。また(シルバー空手体操参加者は道着の購入は頂かなくても結構です)
◆サポーター類 \1,080~\8,640 (任意購入)
*少年キッズクラスはサポーターセットを割引にてご購入頂けます。
≪キャンペーン割り引きが御座います。詳しくは、お電話かメールでお問い合わせ下さい。≫
実践的な空手道に於いて選手として戦える年齢の限界は幾つまでなのか考えたとき、勿論個人差はあるものの、40代前半までであれば肉体・精神力共に成長過程の範疇であり、20代と同じ土俵でも場合によっては勝つ事も充分可能である。
勢いの20代、円熟の30代、そして40代はあえて云えば完成された40代とも云える。戦いの読み、人間的な懐の深さ、技の熟練度、不動心の構え、精神力の強さ、40代には最強の要素として必要なカテゴリーを備えた状態に尤も近いポテンシャルで事に臨む姿勢が完成されている。経験則から云えば肉体的には持久力、筋力共に42、3歳位までなら記録が伸ばせるはずである。よって、大きな怪我などがなければ40代前半はまだまだ20代30代の選手と同等に現役で活躍できる。
40代前半であれば、逆に円熟味を増し技や戦い方に深みが加わり、時として20代の選手の勢いや30代の選手の力を凌駕する技術を身に付けていることから、若い選手には出来ない戦い方や間の取り方が出来る。相手を見る力の真理を経験値から判断し弱点を見極める力が40代の武人には備わっている。
また、40代から初めて空手を始める場合でも、十分に見どころのある成長を遂げることができる。その最大の利点は真面目さである、20代の若者のように不埒(ふらち)な考えもなく不純な動機もなく、あくなき自己成長を求める謙虚な真面目さを持って空手を始める者の殆どが40代の初心者である。その姿勢は稽古を積むうちに精神的な成長として早々と表れてくる、若者のように肉体の成長が鈍いジレンマに打ち当たる事もあるが、40代なりの独特の技の完成形も実はある。
柔軟性や技の柔らかさは若者に劣る場合もあるが、一瞬のスピードや拳の硬さや重さなど欠点を利点に変える技の組み立ても可能である。コツを覚え自分の利点を知れば十分に己の戦い方を基本とした己独特の空手道スタイルを作り出す事ができる。時として40代から初心者として空手を始めても20代と互角に渡り合える技量を身に付ける賢者も人によっては存在する。
≪40代実際にイザ闘わば≫
40代で最も不利な身体能力が持久力かもしれない、20代の選手は勢いもあり伸び盛りでスタミナも充分である。よって持久力のみで若者と立ち合おうと思うのは得策ではない、40代には40代なりの戦い方がある、考え方を肯定的に捉えれば、空手の基本的哲学である一撃必殺こそ40代に必要な特有の攻撃戦法であるかもしれない。
機先を制する先手必勝方は短時間に勝敗を決する最も有効な戦い方法でありスタミナや持久力の有る無しはさほど関係はしない、ある意味40代でも20代と変わらず行える戦法でもある。また、さばいて躱し受け流す戦術は、多様な技の見極めによって、技の際で相手を躱す方法であり、相手のバランスを崩し倒して急所への一撃で止めを刺す方法として40代に適した闘い方でもある。
40代の最高の強みは冷静さである、決して動揺したり慌ててはいけない、冷静に相手を見極める、そして心を読む、そこが40代の強さである。
強さは単純な肉体的指数で計れるものではない。積み重ねた経験や実績からなる勘や熟練度により若き力を凌駕する凄味のある強さが生まれる。
求道には終わりは無く、齢50代に差し掛かっても武道の追求には終わりは無い。寧ろ50代になっても新たな発見が日々の研鑽の中から生まれて来るものである。それは内面的な精神性の部分の新たな境地の開拓でもあるし、精神性の部分に限らず肉体的にも新たな発見と進歩を修得することが得てしてよくある。
何十年と肉体を動かし研鑽を重ねてきたとしても己の躰の全てを知る事など到底できてはいない、肉体は複雑で未知数に富んだ何十億兆と云う細胞で組織され原型をなしている。50歳を過ぎたとしても、己の躰の関節や筋や骨、筋肉の全ての仕組みを把握し切れてはいないものである、稽古に研鑽を重ねる程に、自分の躰に、こんな可動範囲があったのか、こんな鍛え方があったのか、等、50代でも修行の中で新しい肉体面の発見に気が付く事がしばしばある。すなわち50代でも空手道の技量は進化し成長をし続けるのである。
勿論、物理的に衰えや耐用年数を過ぎた細胞の死滅と遭遇し思い通りに肉体が動かない現実に直面する事もあるが、それを補い違う側面からフォローアップし50代なりの武人の形を作り上げる術を身に付けられる。それは逆に言えば20代30代では成し得る事の不可能な極みの世界、すなわち極意である。
50代になり初めて空手道を学ぶ場合も、その人なりの目的の違いや運動歴の個人差はあるとは思うが、己の精神と肉体の成長と進化を経験する事は間違いなく可能である。また無理のない稽古法により新鮮な感覚やリフレッシュした爽快感などアンチエイジングの効果を齎すこと絶大である。
空手道を経験する新鮮な作用が脳を活性化させ、老化や衰えを防ぎ若々しさを復活させる大きな効果を得られる。また、ある程度、熟練性や道の極意に触れ、空手道の何たるかに近付く事により、精神的な安定や心の深みを備える効果を生み、人生経験とも相乗効果となり畏怖なる人間力の向上と不動心の構えを持った人物へと進化を遂げる事となる。
空手道は、生涯かけての自己実現への道であり、その修練や修養に終わりはない。その意味に於いては武の道は生涯現役の道と云っても過言ではない。
≪50代実際にイザ闘わば≫
修行で培った進化を繰り返し完成された技は強い、技に凄味と深みがある。これこそが極意と云える技の形である。それは実戦でも使用可能な技でもあり、意外にも競技試合ではなく、実戦的なルール無用の戦いの時にこそ効果が現れる極めた術である。長年の研鑽で培われ魂を得た技には神技(しんぎ)の力が備わっている、そうした技こそが一撃必殺の理想形に近い技と云えるのかもしれない。
勢いだけの成り振り構わない若者の攻撃や攻めは、荒く隙だらけで欠点があからさまに見える技である、人間的にも不安定で軸が定まらない輩の攻めは油断の産物でしかない、その弱点に虚を衝く極意の技の一撃は相手の弱点を衝き必殺の一撃となる事が多い。
50代侮るべからず、真の空手道の強さは50代から栄える事を知るべしである。
相手の素早い技や攻撃も、その基は脳から刺激をうけ脳からの命令によって体が動く、その見極めと相手の真理を読めるのが50代の不動心の安定した心の眼である。また極めた達人であれば相手の脳の命令までをもコントロールし相手が金縛りのように体が硬直し動けない状態に促す不思議な気の力を放つ事もあり得る。
積み重ねた技は見えざる気の力を放ち、敵を翻弄する。これぞ正に50代武人の闘い方である。
正拳による煉瓦割り
試し割りは己の技量を知る一つの目安でもある。
其々の試し割りにはコツがあり、そのコツを利用して試し割りを行うが、コツだけでは勿論割れるものではない、そこには研鑽された技の技量が存分に加えられているからこそ試し割りは成功する。
よく見かける長方形の桝形の正規の煉瓦は試し割りの中でも意外と難しい。まだブロックや瓦の試し割りの方が余程簡単である。また、煉瓦が雨で濡れ湿って水を含んでいた場合は重くなり余計に割れ難いものである。出来れば試し割りで使用するのなら、乾いた状態の煉瓦を使用するべきであろう。
正拳で煉瓦を割る場合は床や台に煉瓦を於いて割るのが一般的であるが、煉瓦の四隅に小さい小石を置き、煉瓦を台より数ミリ浮かしておくのがコツである。正拳の衝撃で小石が飛ばされ煉瓦と台の間がぶつかり一瞬に衝撃が加わり煉瓦が割れるのである。
また、肘打ちで割る場合も何通りかの割り方があるが、片手で煉瓦を持って台の上で割る場合は、割る瞬間に台と煉瓦を多少浮かせてタイミングよく肘の重みを利用し煉瓦に圧力を加え割るのがコツである。
‐武‐ノ巻
武ノ巻【目、心眼、勘、】の篇
戦いに於いて、
〔目〕状況を判断する物理的な視界に入る目による判断。
〔心眼〕相手の心を読み取る、心対心の心眼の判断。
〔勘〕動物的感覚の閃きで自然に躰を動かす勘の目の判断。
目、心眼、勘、この三様が武人の有する、三つの目である。
《実戦の局》
[目、]の行
実戦に於ける、目付き、視線の置き場所は、競技試合の時とは違い、必ずしも相手のみを視界対象とすべきとは言えない。実戦に於いて見るべきものはその場全体であり、必ずしも何を見るべしとは決まってはいない。その時々の状況であらゆる見るべき視点の状況は変わる。機先を制する時は決して攻撃を加える前に視線で相手を威嚇してはならない、むしろ目付きは穏やかで平常心を装うことが重要で、己の目の動きや目付きによって、己の戦意や攻撃を相手に察知されてはならない。それは、実戦の戦いに於いて勝つ為には、先手が最も重要で効果的な勝機を得る手法だからである。
相手が複数の場合は、敵方の人数と大将を的確に判断することも重要で、最初の一手は大将への一撃が最も望ましい攻撃法である。密室で相手が複数の場合は、攻撃の前に必ず、その場から素早く立ち去る経路を目で確認しておく必要がある。一撃を食わせ素早く立ち去る、もしくは忍者の如く移動できる俊敏さも実戦に於いては重要である。
屋外や広い場所での戦いでも、攻撃の後で素早くその場から移動する、もしくは立ち去る経路を瞬時に想定し確認してから、その後戦いの一撃を加えるべきである。
相手の状態、敵の人数、凶器武器の所持の状態、こちらの仲間や守るべき者の位置と人数、戦場の広さや逃避経路、実戦に於いては、戦う前に瞬時に全体を見極める情報収集能力が目の働きの役目である。瞬時に状況判断し相手から見た己を把握する事も重要である。
《実戦の局》
[心眼、]の行
実戦に於ける心眼は、相手のその時の精神状態や元々の性格など読み取る技量である。
相手も人間である以上、戦いに至る経緯があるはずで、それに至る精神状態を読み取れれば越したことはない。
また、殺気や物腰や仕草により、相手の力量を感ずる事がある。相当な強者であれば自ずとその実力が見えざる力によってこちらに伝わってくる時がある。また真の強者は事に及んで戦いを好まない場合が多い、そうした相手からは戦わずして圧倒する鬼気を感ずる事がある。いずれにしろ相手の内面の気配を読むのも心眼の働きである。
《実戦の局》
[勘の目、]の行
勘の目は実戦に於いて機転を利かし躰が自然に反応する事である。これは実戦に於ける慣れにも大きく関係してくる。喧嘩慣れしている人間は、動物的感覚で機転の利いた戦いを行う術に長けた傾向がある。規則無用の実戦である以上、その上でどうすれば勝てるのか常日頃から躰に記憶させておくよう日頃から実戦用の気構えの稽古が重要である。
実戦を想定した稽古と気構えを養うよう心がけていれば、イザという時に躰が自然に動き、瞬時に攻撃を、あるいは防御から攻撃を繰り出すことが出来る。
考える前に躰が瞬時に機転を利かして動き立ち回れるよう、実戦に於ける勘の目を養わなければ折角稽古で修めた技量も発揮する事はできない。
稽古で技と精神を磨き、それを実戦で生かせるようにするのは、普段からの実戦を想定しての心構えの稽古が何より重要なのである。実戦に於いて、競技試合のような戦い方で挑めば、不覚を取る事が大いにある。競技試合の論法を実戦に持ち込むと、真面目な戦い方となり多くの隙を相手に与えてしまい、不用意な負けを期する事が多々ある。
競技試合と実戦は別物である。故に、試合の勘の目と、喧嘩の勘の目も別物であり、それぞれの勘の目は、別々の修行方法で身に着けなければならない。
試合と実戦、この二道を収める事が、現代の武士道空手の真骨頂でもある。
《試合の局》
[目、]の行
一般の競技試合に於いての戦いでは一般的には、目付き視線の置き所は、相手の目を中心に全体像を見るのが常識的な組手時の目線となる。相手の目を見るのは一義的には相手の視線から相手の攻撃を読み取る為である。組手に於いて実際には目を中心に相手全体を見て、蹴り足の出どころや、突きのパターンなど全体像を把握しながら戦うので、相手のみに集中でき無駄な目線は概ね必要なくなる。これは、戦う相手が一人である事と反則技への対処が殆ど必要ない事と、相手が武器や凶器を所持していないのが確かである為と、何より戦う範囲が試合競技場のみである事が、規則で決められているので、無駄な視線に配慮する必要がないからである。
《試合の局》
[心眼、]の行
規範の決められた試合に於いては、イザ試合が始まってしまえば、その壇上に於いて、心眼の働きは多少の駆け引きを読むことはあるが、然程大きな効力の意味を持たない。それよりも試合前の状況の中で、相手がどういった精神状態であるのか、環境や経緯などを観察し心眼で相手の心理状況を読み取り、その分析の下に動揺を誘うなどして実際の試合で戦い方の戦法を考えるのが、試合に於いての心眼の使いどころである。
試合前に、相手の力量が己より上であっても、怪我や、稽古不足の不安、等があれば相手は気を引き締めて掛かって来る、また逆に、こちらの力量を見下し、楽に勝てると慢心し自信満々で壇上に上がってくる相手には必ず隙がある。そうした試合前の相手の精神状態を心眼で読み取るのも重要である。
《試合の局》
[勘の目、]の行
勘の目は試合に於いて重要な意味を成す。これは弛まぬ日頃の稽古が齎す動物的感覚のような躰の動きでもある。勘が鋭く日頃の稽古で養われている者は考える前に躰が自然に動き、防御、攻撃を繰り出すことが出来る。卓越した者は体に目が付いているかのように躰が動くが、普段の稽古精進がおろそかな人間は躰の反応が鈍く思い通りの動きが出来ない、よって試合中に動揺を生み、相手に隙を与え不利な戦いを強いられる。
この上達した勘の目は、日々の弛まぬ稽古の積み重ねでしか身に着ける事は出来ない。いくら体力的に才能に恵まれていても、稽古を怠れば勘の目は鈍り、格下の相手にさえも不覚を取る事が往々にしてある。
つづく、
‐武‐ノ巻「地の篇」
武ノ巻【実戦と競技試合】◇心得◇ 其の壱
― 心構えの違い ―
実戦と競技試合との間では戦い方に於いて大きな違いがある。
競技試合の場合は基本的に強い者や練習量の多い者が勝利を収める事が多いが、実戦の場合は必ずしもそうではない、実戦の場合は時として技量が強い者が技量が弱い者に負ける場合も大いにあり得るのが現実で、それは多々ある事でもあり、決して珍しい事ではない。
実戦と競技試合では、まず環境の違いと共に、そもそもの心構えの違いもある、繰り出す技に於いても有効な技の種類に於いても実戦と試合との間には如実に違いがある。
実戦に於いては慣れというのも大変重要で、実戦の戦い慣れしている者は戦い方にある意味で狡猾さと巧みさがあり結果的に勝者となる事が多いであろう。
一方、競技試合の戦いとその練習しか知らない者は、いかに技量的に優れていても、実戦において必ず勝つとは限らないどころか、試合の癖が抜け切れず、多くの隙と油断を相手に与えてしまい敗者となる事が多々ある。
勿論、実戦、競技試合ともに技量共に優れているのが最も望ましいが、それは稽古の過程で実戦、試合の両方の過程を想定しての稽古を取り入れる必要がある。
また、どちらの場合も熟達した基本的な稽古の上に強さが反映されるので、最初の段階ではどちらも基本を徹底的に稽古すべきなのは言うまでもない。
競技試合の場合は規則に守られている分、試合時間内の戦法における多少の失敗も許される場合が多いし試合中に軌道修正する事も可能であるが、実戦の場合はそうは行かない、一度の失敗や油断が敗北あるいは死を意味することを常に心に覚悟し戦う事が必要である。
【実戦と競技試合】◇心得 其の弐
― 環境の違い ―
言うまでもなく競技試合の場合の戦いの場は、競技場の試合場である。決められた広さの決められた空間に、決められた時間内で、双方平等に与えられた環境の中で試合を行う。勿論、服装はお互いおおむね同じような道着であり、凶器武器の所持はなく、反則等のルールによって厳しく戦う内容は規制され、正々堂々と武道精神に則って戦う事となる。
しかし、実戦の場合は試合とは全く異なる環境が想定される。それは百戦百通りの環境であり全く決められた規則は何もない状態である事をまず知るべきである。
実戦に於いては、勘の目と素早さと機転が重要で、一瞬にしてその場の状況を判断し、ある意味では狡賢く、相手に油断を与え、その隙を突く戦法に長けた者が勝者となる。
喧嘩慣れしている者が喧嘩に強いのは、そうした理屈から言える理論であり、稽古の中で実戦用の心構えを想定し稽古するのも武士道空手としては必要である。
【実戦と競技試合】◇心得◇ 其の参
― 対戦者の違い ―
実戦に於ける戦いは、競技試合と異なり、ほぼ全てが他流試合であると考えるべきである。
競技試合の場合は、対戦相手の何たるかは概ね事前に情報を把握できる事の方が多いが、実戦の場合は敵の力量や素行など敵が何たるかの事前情報を全く予備知識として入手できずに闘いになる事が殆どと思って掛かるべきである。
競技試合での戦う相手は、「対戦相手」であるが、実戦の場合戦う相手は「敵」となる。
競技試合でも異種格闘技戦的戦いはあるが、そこには戦いにおける決まり事があるので、相手の力量を読み、戦術の想定を組み立てる事が事前に出来るし、試合の中で出方を見て戦術の方法を変える事も可能である。しかし、実戦ではそうは行かない、実戦の場合は常に想定外の攻撃を受ける可能性がある事を頭に入れておく必要がある、敵は予期せぬ戦法を仕掛けてくるものと覚悟し戦に挑む必要がある。
実戦の場合、最大の敵は油断である。敵の力量が必ずしも未熟でありそうに見える場合でも決して油断をしてはならない、その意味では先手を逃す事は望ましくない、先手を取られ不意を付かれ機先で致命傷を受ける場合も多々ある。どんな相手でも己の力量を過信せずに、常に最悪の場合に至る事を想定し戦いに臨むべきである。
実戦という他流試合では必ずしも力量優れた強い者が勝つとは限らない、敵が何の使い手であり何者であるか把握しきれない事も多く、または、予期せぬ凶器や武器を所持している可能性もあるので、敵の戦法を知る由がない以上、最善の方法は敵が技を出す前に、己が技を仕掛け一撃の下に撃破する事なのである。正に実戦は命がけの世界である。
つづく、





