国を守る本当の政治家とは

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日本の政治かはきれいごとばかりで国を守る動きがない。

 

国を守る、国民を守る、というのはきれいごとでは出来ないのは世界が示している。

 

かつて大東亜戦争のインパール作戦が「独立戦争」であったインドは、インド独立のために戦ってくれた日本に感謝している。

 

その証が、昭和天皇崩御の折、日本国民の喪は2日間であったが、インドの国民は3日間喪に服したことにある。

 

また戦後、ネルー首相が日本の子供達に愛娘と同じ名前の象・インディラをプレゼントしたこともその証である。

 

左からインディラとネルー首相

 

そのネルー首相の娘・インディラ・ガンディーがインドの首相になると、父・ネルーがシナを信じて裏切られて、領土まで奪われそうになった教訓を忘れなかった。

 

1966年、インディラが首相になった当時、シナはパキスタンと東パキスタン(現バングラデシュ)と双方でインドを挟み撃ちにし、さらにシナはインド国内の共産主義勢力やインド少数民族を煽動工作して内部から闘争を仕掛けていた。

 

またインドの親米派やリベラル派はインディラ首相が「親ソ派」だとして反対し、インドを支援していた米国が敵対していった。

 

当時、インディラがソ連と結んだのは決して共産主義に共感していたわけではなく、シナや米国に代わる力を求めて敢えてソ連と結んでいた。

 

インディラ首相はシナや米国に屈することなく、国を守るために戦争も辞さない決意をしていた。

 

東パキスタンをバングラデシュという独立国にしてパキスタンの影響を切り離して、シナによるインド包囲網を解こうと、1971年に東パキスタンの独立運動を支援して印パ戦争を戦い、バングラデシュを独立させた。

 

その後、インディラはたとえ独裁者と批判されてもインドをシナや米国から守り抜き、ソ連とは利用し合っても従属することはなかった。

 

サッチャーとインディラ

 

1974年、インドはシナに対抗するため国際社会の抗議や批判を恐れることなく核実験を成功させた。

 

軍事力が弱い自国を守るために、他国との同盟を利用しながら、最後には自力で国を守るために核武装したインドのインディラ。

 

このためシナはインドに強く出られなくなった。

 

その後、インディラは暗殺されるが、彼女の政治家としての勇気と決断力がインドを守り抜いたのだ。

 

これこそ国家・国民を守る本当の政治家の姿である。

 

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保守の会会長 松山昭彦  さんからの転載記事なので、是非転載元にも脚をお運び下さい。