日本人よ、屈辱の歴史を忘れてはいけない!
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白人の前で素っ裸にされて掃除する日本兵
表には出ることのない日本人が知っておくべき歴史がある。
戦後、日本兵が如何に耐え難い屈辱を味わいながら殺されていったかである。
日本人はこの屈辱の事実を絶対に忘れてはいけない。
日本が降伏すると連合国軍はアジアを再度植民地にしようとした。
しかしこの時、アジアの人々は白人の植民地支配に耐えていた頃と違っていた。
東亜解放のためにアジア各地に進軍してきた日本軍に、あれほど威張っていた白人達が戦わず敗走して逃げ出していたのを見たアジアの人々には「独立」の風が吹いていた。
「日本人は白人から逃げることなく勇気を出して玉砕してまで戦った」。
アジアの人々は武器を取って立ち上がった。
この頃には日本軍による軍事訓練でアジアの人々は見違えるほど強くなっており、白人達は再度植民地支配することが出来なかった。
その白人の恨みは降伏して無抵抗の日本兵に向いた。
シンガポールでは日本兵を全員素っ裸にしてトラックに乗せて、そのまま炎天下を市中引き廻しのように繁華街をゆっくり走った。
捕虜への虐待は戦時国際法違反であったが、白人達は日本軍人には「名誉のため捕虜にしない」と確約して署名させていた。
だから白人は「日本兵は捕虜じゃないから虐待しても問題ない」と言った。
こういう悪智慧だけはよく考えつく白人である。
その後日本兵はそのまま刑務所の狭い独房に5人づつ入れられて、足を延ばして横になることも出来ないコンクリートの中、毛布一枚も与えられず、ふんどし一つで、夜中には冷え込んで眠れなかった。
最初の一週間はコンクリートの中で膝を抱えてまどろみ、食べ物は何も与えられなかった。
1週間後に与えられたのが親指ほどの大きさのタピオカとお湯のようなスープ少しであった。
昼は食事がなく、夜はビスケット3枚であった。
たちまち栄養失調となり、体力は低下し、病人が出始めた。
白人達は豊かな食生活の中、日本人には死なない程度の食べ物しか出さない拷問、虐待であった。
マレーの刑務所も同じであった。
戦時中、日本は日本人自体が極度の食糧不足であっても外国人捕虜には三食きちんと食事を与えていた。
よく「日本は非人道的だった」と言われるが、どちらが非人道的か。
日本人捕虜達は腹が減って体力が消耗している中、英軍は日本人をヤシ畑やパパイヤ畑の農作業に駆り出した。
足はふらふらし、めまいもする中、能率が上がらないと英軍は棒で頭や身体の至る所を思いっきり殴りつけ、日本人は血だらけになっていた。
ベトナムでもフランス軍は日本兵を素っ裸にして独房で絶食、絶水、火責め、電気責めなどの拷問をした後、2日間の裁判で日本人は陳述も反証も疑義もさせてもらえず問答無用で死刑にされた。
我々日本人は今の日本があるのは国家の戦後処理を一身に負われたこの尊い人柱の上に成り立っていることを知らなければならない。そして学校で教えて日本人共通の学びとしなければいけない。
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保守の会会長 松山昭彦 さんからの転載記事なので、是非転載元にも脚をお運び下さい。