第七条 天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス

 この帝国憲法が行はれてゐた明治とは、どういふ時代であったのだらうか。まず言へることは、言葉には相応の重みがあったといふことである。明治になって武士といふものは表向きはなくなったが、「武士に二言は無い」いふ言葉に象徴されるやうに、武士道は依然として健在であった。武士の気概は富国強兵策に生かされ、日清日露の両戦役で遺憾なく発揮された。日本はどこに出しても恥ずかしくない独立国だったのである。

 しかるに、われらが現代日本は、昭和28年4月28に独立を回復したとは言へ、国防は依然として片務的な日米安全保障条約により、米軍の来援に俟つことを以って可とする、極めてあやふやな状態に置かれてゐる。極言すれば機能してゐない。であるからこそ、国民が外国に拉致されるといふ国家的不祥事の発生を許してゐる。

 斯様な状態では、憲法の文言をはじめ、あらゆる分野での言葉が重みを失ふことは、不可避であらう。事実、現代の国会の開会式で、天皇陛下の述べられるご挨拶を、共産党の議員は退席してボイコットするといふ不逞の有様である。このたび民主党が政権をとったが、どんな雰囲気の国会運営になるのか、今から思ひやられる。

 言葉に然るべき重みを持たせるためには、相当の努力を覚悟しなければならぬ。愛国者は心してこの問題に取り組んで貰ひたい。

転載元転載元: koreyasublog