ある日のことだ。腹が減った私は、自分の仕事部屋を出て、電話がある病理学教室の事務室に出向いた。勝手知ったる部屋だ、まっすぐ電話の前に行くと受話器を取った。
「武蔵屋さん?慶応の病理学教室の向井だけど、ざるそば一丁お願い!」と言いながら何気なく顔を上げた私は、すぐそばの机の前に座って電話番をしていた内藤千秋に気がついた。私を見ながら笑っているのだ。私は、何だ!?と思った。二人の目が合うと、内藤千秋は下を向いたが、それでもうつ向いたままクスクス笑っている。私はあっけに取られた。この女は何がおかしくて笑っていやがるんだろう。この俺がそんなにおかしいのかよ。まったく、変な女だぜ。(中略)今度は子供のような屈託のない明るい笑顔を見せながら笑い出した。(「君について行こう」向井万起男著から)
これが向井万起男と内藤(旧姓)千秋の出会いです。
向井万起男は、慶応大学病院病理学教室で解剖医として働いていました。
内藤千秋は、万起男より5年後輩として慶応大学医学部に入学してきて、病理学教室の夜間アルバイトとして遺体解剖の手伝いや電話番をしていました。
病理学教室のアルバイトも、外科医を選んだのも、女性では千秋が初めてでした。
千秋は入学当時から話題となっていました。スキー大会があれば優勝してしまうし、酒量では男に負けたことがありませんでした。
こんな女性らしくない(今では御法度)千秋に、万起男は興味を持ち、ちょっかいを出すようになったのです。
この本を読むきっかけは、毎日新聞の記事でした。
漫画「宇宙兄弟」の作者・小山宙哉が、向井万起男の本を読んで着想を得たと知ったからなのです。
もちろん向井万起男の「君について行こう」は知っていました。
向井千秋さんが宇宙飛行士となり、宇宙へ飛んでいったと騒がれたその後、この本も話題になりました。
向井万起男さんは、人間としても面白いし、文章も上手くて面白い。
この夫婦も破天荒で実に面白いのです。
