まだ、読み始めですが、




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正直、中には、あれ?そうかしら?というものもあるから、

全部共感はできないけど


いろいろ便利であることが、なんの疑いもなくいいこととされがちな今、

不便っていうのは、本当に不便なのか、便利に慣れたから不便だと刷り込まれてるだけじゃないかとか。


便利なものができて、いろいろ時間の短縮に成功しているから、時間ができたはずなのに、

みんなそれでも忙しいのはなぜなのか。

できた時間にどんどん予定を入れるから?仕事するから?とか。


わたしは、今はどうかな~って感じだけど、

比較的何にもしない時間を持っていた人だと思うので、

(空想とか、妄想とか得意。)

確かにそこんとこ、すごい気になってたから、かゆいところに手が届く感じ。


それに、いくらインターネットが普及して色々な情報が圧倒的な多さになっても、


みんなが知りたい、人間の本質的な問い、

(たとえば、死とはなんなのか、自分がここに存在して生きているのはどういうことなのか、とかそういう系統の。)

は、

その問いに対する答えは、「情報」ではなくて

自ら考えて得るしかない「知識」だからとか。

じゃ、その考える時間は、持てるはずなのに、時間はどこへいったのか?



わたしがミャンマーへいた時、

いつも、“ある意味”ミャンマーの方が豊かだなとおもったのは、そういう観点からだったのかもしれない。

その“ある意味”の部分。



あと、「見ること」っているのには、どうやら二つの意味があるんじゃないかって話で、

ひとつは、外界の光が紡ぎだす映像として見取ること。

ありのままの景色としての世界。


もうひとつは、「見えるもの」の奥に隠されている「見えないもの」を見ぬくこと。


見えないものが見えたときに初めて、人は、見ることの面白さがわかったり、はっと感じる。

実は世界は、この二つが寄り添ってできているんじゃないか


っていうのが、ちょっと気になりました。



続きも読んでみないとわからないけど。



なんかおもしろい。





ふんふん。