『教育』の未来を考える~できる教師とできない教師とは?

『教育』の未来を考える~できる教師とできない教師とは?

教育をテーマに日々邁進する者たちの議事録

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それでは、2014.3.9の会議の議事録をご紹介させていただきます。


今回のテーマは、教育の定義とは?です。

その前に、今回の会議に参加して頂いた方々の紹介からいきたいと思います。


・宅明 健太氏 こどもこのさきプロジェクト 主宰

・樋口 健太氏

・ぴー 氏

・高橋 謙太郎氏

・かいざ (私)                                     計5名



まずは教育の定義とは?の問いかけに、1人ずつ自分なりの解釈を述べて頂きました。


① 次世代につなげていくもの、子孫を残すために習慣、慣習を形成する。(宅明氏)

② 人生がより楽しく豊かなものになるように話し相手になってあげること。(樋口氏)

③ 人格形成→大人を垣間見る(見させる)ことで、社会的生物(=いい人)にすること。(高橋氏)

④ 人に感謝することの意味を伝えること。(かいざ)

⑤ 双方向的に心が動くこと、関心すること。(ぴー氏)



①と③は関連する点があると思います。次世代につなげていく、つまり生まれ来る子供達が死なないような“知恵”をつけさせることです。その為にも社会的生物、例えば社会で尊敬され、グループを率いる能力を持つ人物にすることが必要であり、それが教育であるということだと思います。教育は価値観の押しつけともとらえられますが、社会の秩序を乱すような押しつけを教育とは呼ばないことに意味があると考えます。例えば詐欺の手口を“教わる”ことを教育とは呼びません。社会への適応力、“いい人”からかけ離れる行為だからです。


②は特に教師の立場から見た「教育」の定義だと考えます。私個人としてですが、非常に共感できました。たとえ失敗したときでも、自分のもとに帰ってきて話をしてくれる、素直でいてくれるのが理想ですね。その為にも、子供の日ごとの変化に気づける能力が必要になってきます。上手な教え方、言うならテクニックの価値は現代の日本においてはフラットな状態であると言えるでしょう。


④は人に感謝することを知らなければ、人は利己的な人間に留まるからです。動物的資質を持ったままでは人と人との間にコミュ二ティというものが存在しなくなります。しかし果たして動物には「感謝」という精神的な作用はないものなのだろうか・・・


そして⑤は全員を唸らせた意見です。そもそも教育というのは学校や塾、家庭においてだけでなく、人と人との関わりの中で、それぞれが自ら率先して相手のことを知る、あるいは学ぼうとすること、いうなら共生の心を持つ全ての行動・行為ということです。教えてもらう、見させてもらうのではなく、互いに教え、分かりあうことだと考えます。



「教育は他動詞ではなく、自動詞である」




次回の会議は20日を予定しております。次回もよろしくお願いいたします。