NikonF3HP。
写真学科に合格した日の夜。
父親が、満面の笑みでカメラを首からブラさげて帰って来た。

このカメラは初心者でも使い易く、
私の雑な扱いにもびくともしない
素晴らしい相棒となった。

写真を始めることで、
とにかくあちこちに出向いて撮影する機会を得た。
特に京都へは通いつめ、
朝から晩まで同じ場所でボーッとした事も。

今思えば、どこへでも自由に行けて、
気ままに時間を過ごす事は
最高の贅沢だ。

親に、感謝(。-人-。)
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卒業後、小学校のアルバムに載せる写真を撮る仕事をした。
入学式や卒業式、遠足、運動会、修学旅行にも同行するカメラマンだ。

今ではデジカメで
幾らでも修正が可能だろうが
フィルムカメラはそうはいかない。

どんな写真が撮れたのか、現像するまでわからないのだ。

常に、一発勝負。
失敗すれば、子供達のアルバムに載せる思い出が欠けてしまう。

とんでもない緊張感とプレッシャーで、いつも撮影から帰ると
倒れこむように寝た。

キツかったけれど、
自分の撮った写真が
誰かの一生の思い出として残る。

それが、たまらなく嬉しかった。
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当時、女性カメラマンは非常に珍しかった。
「えっ⁉️女の子なの⁉️」と、何度驚かれたことか。
「女性に写真なんか無理だろ」と、露骨に言われたこともある。

だから何やねん⁉️

くだらない偏見の言葉は、
負けず嫌いな私の心に火をつけた🔥

どんな時も、なりふり構わずに
シャッターを押しまくった。

自分で言うのも申し訳ないが、
子供達の最高の笑顔を撮れたと思う。

被写体に恵まれたのもあるけれど、
子供達の自然な姿を撮るには
仲良くなるのが一番。

単に撮るだけではダメだ。
撮影前から、子供に人気のある漫画などを調べて、話題のネタ作りをした。

子供達の「その時」を逃さない。
それが、何よりの目標だった。

本当に写真の仕事が大好きで、
一生涯、続けていくつもりでいた。

あの日までは。

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とある小学校の臨海学校で、鳥取県へ行った時の事。

夜、キャンプファイアーを囲んで
それぞれのクラスが出し物をした。
臨海学校でも、
子供達が一番盛り上がる時間だ。

なのに…
障害児の男の子を犬役にして、首にヒモをつけ、引っ張って火の周りを歩かせるという場面があった。

それを見て、みんなが笑ってる。
とんでもない光景だ。
怒りと悲しみで手が震え、撮影どころではなかった。

その後、先生達の詰め所では夜通しの宴会があった。
交代で見廻りに行くため、集まって起きているのだと言うけれど、酒とツマミ付きムキー

そのうち、1人の先生が、
犬役をさせられていた男の子の真似をしはじめた。
その子には手を焼くとかで、
普段の様子も真似しながらゲラゲラ笑っていた。

私は、いたたまれなくなって外へ出た。

宿の前の海岸で
朝まで海を眺めた。

夜が明け、朝陽が昇り始めて撮った1枚の写真が、皮肉なことに一番売れた。

その写真を最後に、私は仕事を辞めた。

帰宅後、ガムテープでカメラバッグごとぐるぐる巻きにして、押し入れに投げ込んだ。

もう、アルバムの写真は撮れない。
撮りたくもない。

私には、障がい者の弟がいる。
個人的なこととは言え、どうしても
障がい者を嘲笑うような人を
許せなかった。
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あれから25年。
カメラは一度も使わず。
5年ほど前、ふと思い出して「封印」を解いてみた。

おおーっ懐かしい(笑)

カビ防止剤を詰め込んでぐるぐる巻きにしたのが良かったのか、レンズも綺麗なままだった。

今でも、手入れをすれば、使えそうだ。

何故だろう…
最近、写真を撮っていた頃の自分が懐かしいキョロキョロ

ちょっとだけ、また始めてみようかな?と思ってみたり。