こんにちは。
本日(4/25)は、私の地元、三重県鈴鹿市の白子(しろこ)駅前を散策しました。
お天気は、雲ひとつない晴天でした。 白子駅は、鈴鹿サーキットの最寄駅と
なっており、F1やバイクのレース(8時間耐久レースなど)がはじまると、日本
各地から、この白子駅へ多くのお客様がきます。日頃は、写真のとおり、
のどかな感じです。写真に、人が一人もいないのは、たまたまですよ (;^_^A
白子駅は、近鉄電車の特急が止まる駅で、名古屋駅からは40分(特急)で、
名古屋通勤圏内で、便利なところでもあります。
(近鉄特急の停車駅:名古屋 → 桑名 → 四日市 → 白子 → 津・・・)
白子駅周辺で日本全国区で取り上げられるのは、鈴鹿サーキット、伊勢湾
大黒屋光太夫、伊勢型紙でしょうか!?
今回は、大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)についてお話したいと思います。
光太夫は、白子の隣町の若松という町で生まれ、白子で船頭をしていました。
(1751年~1828年)
光太夫が有名なのは、ロシア文化を広めたことによります。
なぜ、白子の船頭さんが、ロシア文化を広めたの? ということになりますが、
それは、船で白子から江戸(東京)へ行く途中、漂流して、ロシアに行って
しまったことです。その後10年近くロシアで厳しい生活を送ることになりましたが、
ペテルブルグ皇帝という偉い方のお許しを得て、ようやく江戸に帰国しました。
そして帰国後、ロシアの文化や習慣を日本で広めたことで功績を与えらました。
白子港
社会に大きな貢献をもたらした人は、今でもその功績が伝えられるのですね。
それでは、この辺で・・・