神結びすとのひとり言 初めて知った「躾(しつけ)」の本当の意味‼③ | 生きがいの編集室_1107ブログ

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2回空いての「躾(しつけ)」のお話のつづきですw

江戸の寺子屋で学問より絶対的に上にあったもの。

それが“道徳”です。

“道徳”とは、社会において人が正しく生きる道と

ものの本には書いてあります。



“自由”が何より重要視される現代社会においては、

“正しい”の意味が多様化され、曖昧になっていますが

明治以前は、寺子屋などの教育現場において

“道徳”つまりは正しく生きる道が

明確に示されていました。



人として、何が正しい道なのか?

それは「善を行い、人を愛し、人を助ける」こと。

学問をするのは、善を行い、人を愛し、人を助ける

そんな人間となるため。

それが、平安から江戸まで千年間続いてきた教育の目的でした。



そのために、身を美しくする「躾」があったのです。

身体動作を伴う「型」を通して、心の在り方を正していく。

食事を始める時の手を合わせて「いただきます」や、

お辞儀や正座など、まず型として身体の動きを美しく整える。



その「型」を身に着けることで、心を正しくし、神仏を敬う心、

自然の恵みに感謝する心、相手や社会を大切に思う心を育んでいく。

目の前にどんな出来事に起ころうともとも、

その型をとると、自然と心が整い正されていく。

それが自動化されるのが「躾」の本当の意味でした。



それが、その子にとっての生涯の宝となるよう、

寺子屋師匠は自らの身を正し、その姿を通して

子供たちに徹底した「躾」をしていました。

良い大学に入り、良い会社に就職し、勝ち組になるための

今の学校教育とは、全く教育の目的が違うことに驚きます。



平安時代から江戸まで続く、そんな日本古来の

素晴らしい子供の教育のお話、9月29日の

猫の門ニュースの中でさせて頂きます。

(9月5日の配信日時が変わりました。スミマセン)

配信の詳細は、またお知らせいたします~♪

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❖七十二候 第四十三候 白露初候❖

草露白[そうろしろし]
(9/8~9/12頃)
早朝、草に降りた露が陽の光を浴び、白く光って見える頃。
昔の人は、露が白く見えることを、夏から秋へと移りかわる
目印にしていたそうです。

季節の野菜 しめじ
数多いきのこ類の中でも味のよいことで知られるしめじ。
食物繊維が豊富でビタミンD、B2を含んでいます。
しっかりした歯ごたえがあり、和食にも洋食にも合います。