こんばんは
が出ていても、パットの交換だけで済むように、清拭布は一枚の使用でキレイに拭き取れるように。この2点を目標に、手早く交換を行うのがプロよねー
と、心の中で呟きながらオムツの交換を行います。
今夜は施設の夜勤です。
早めに巡視とオムツ交換を終え、戻ってきました。オムツ交換は「便が出ていませんように…」と願いながら行います。まるで運試しのようです
親父ギャグではありませんよ。
親父ギャグではありませんよ。大抵は、布団を剥いだ時の匂いでわかってしまいます。
の時は
の時で
の時は
の時で「さあ、どれだけ汚さず、手早く交換するか!」というところに集中します。
経験のある方はご存知かと思いますが、赤ちゃん
と違って、高齢者がオムツを使用する時は、内側に尿取パットを入れます。紙おむつはコストが高いので、毎回交換というわけにいきません。排尿の多い方もいますし、廃棄物を削減するという意味でも、パットの交換だけで済むならば、それに越したことはないのです!
が出ていても、パットの交換だけで済むように、清拭布は一枚の使用でキレイに拭き取れるように。この2点を目標に、手早く交換を行うのがプロよねー便の性状によっては、前に後ろに、着物や寝具にまで漏れている時もあります。
さすがにそのような時には、心折れてしまいますけどね
では、本題へ。
私は夢で、よく自分の【過去世】を体験します。【過去世】の夢を見る時は、名前や姿形がハッキリとしています。
また「これ、私だ」とわかるものです。
夢の中の、過去世の私を見ている【現世の私】の意識がはっきりしています。
今回の【過去世】は、貧しい暮らしの男の子です。年の頃は9歳か10歳のようです。
浅黒い肌に上着は着ておらず、膝丈のズボンを履いています。靴は履いておらず、裸足です。
赤く焼けた乾いた土地を、砂埃を立てながら歩いています。
彼の名前は『オハタ』といいます。
両親はおらず、ストリートギャングのようです。同じ年頃からもう少し年上の子らと、十数名のグループで生活しています。
私が見た夢は、彼の最期の時でした。
『オハタ』は、グループの中での規律を破ったようです。仲間の数名に追いかけられています。必死になって逃げている姿がみえます。
『オハタ』は盗みを働いたようです。それは、グループの食糧のようでした。みなストリートギャングです。食べ物は満足にあるわけではなく、常に全員が飢えています。空腹に耐えかねた『オハタ』は、わずかな食べ物を盗んで食べてしまったのです。
それがギャングのグループにバレてしまい、逃げ走っています。幼い『オハタ』は、やがて彼等に捕まってしまいます。そして集団暴行にあうのです。
沢山の少年達に囲まれ、殴られたり蹴られたり…。それはそれは酷い光景です。
『オハタ』は長い時間暴行を受けながら、遠のいて行く意識の中で、「これで死ぬんだな…」と感じ取ります。目の前が真っ暗になったところで目が覚めました。それが彼の、絶命の瞬間だったのでしょう。
こういう夢を見た時は、必ず、大きな深呼吸で目覚めます。深呼吸が意識の戻った証拠のようです。
目覚めてしばらくは、彼の感情が身体中に残っています。魂の記憶が、鮮明に思い出せるのです。
悲しいことに、死を覚悟した、わずか10歳の少年の思いは『無』でした。暴行を受けているので「痛い」という感覚はあります。でも、それだけなんです。
苦しいとか、悲しいとか、止めてとは思っていません。自分が盗みを働いたことにも、たいして罪悪感を感じていないようです。
助けて!とも思っていません。
丸く地面に屈んだ姿勢で、ただただ、暴行を受けています。そして、意識が遠のいていく中、自分がこのまま死んでいくのだとわかった時…
「僕、このまま死んでしまうんだ」
とだけ思いました。
この人生に対する執着も後悔も、懺悔も感謝も、何一つ『感情』というものがありませんでした。
『オハタ』の最期を見ながら、何も感じることのない人生の最期とは、なんて悲しいものだろう…と、冷静にみている私がいました。
そして、大きな深呼吸で目覚めたのです。
今世の私は【差別】という言葉や場所、感覚にとても敏感です。アンテナがキャッチするというのでしょうか?
これから記す【差別】とは、私が「視えない世界を視る目」で見て感じて、受け取るものであり、私自身が【差別】に対し意見するものではありません。
去年、広島に旅行に行った時には、広島という土地の歴史上からくる【被爆者差別】という念を、とても強く感じ取りました。その思いはとても強く悲しく、私には苦しい街だと感じました。
また、電車に乗って車窓を眺めている時も、ある土地に入った瞬間に、アンテナが反応するのです。「あら?この土地はもしかして…」と。
ホテルに戻って、覚えていた地名を検索してみると、歴史の中に記されている【部落差別】という文字にたどり着きます。
そのような感覚は、とても自然で、本当にふっとした瞬間に入ってきます。
京都に旅行に行った時もそうでした。
新幹線の窓から見えた、ほんの一瞬の景色だったり、車で走っている時に通った、ある土地であったり。
または、旅行の目的地に行くまでの、どこを走っているのか全くわからない場所であっても、一瞬【その感覚】に襲われて、振り返ると、その建物があるという経験が、本当に数え切れないほどあります。
このように
『何かに敏感に反応する感覚』や
『意識していないのに飛び込んでくる思い』
『特定のものに過剰に反応する事柄』
は、過去に体験した強烈な思いが、今世の魂や細胞の記憶に残っているのかもしれません。
私がいつも、繰り返し何度も何度もみる夢があります。
私は、全く知らない土地の住宅地を歩いています。そこには平家の建物が並んでいます。その住宅群は背の低い垣根に囲まれているのですが、どうしても、その垣根から外の世界に出られないのです。
早くここから…この土地から抜け出さなくては…と焦るのですが、境となっている垣根まではたどり着いても、どうしても出口が見つからない…という夢を何度も見てきました。
また、別の夢では、私は集団で生活をしています。工場の廃墟のような、天井が高く、電気もガスも通っていない、とうてい人が住める場所でないところで、沢山の人々と、裸同然で寝転んでいるのです。
このような夢を見る時は、決まって
「また、ここに来てしまった。早く夢から覚めなければ…」と、今の私の意識が混在しています。
この夢が、何を意味するのかはわかりません。が、【差別】という言葉に、底知れぬ不安と恐怖を感じるのは、やはり『過去世』が関わっているのかも知れませんね。
また、神仏の加護と慈悲と愛情を知ることで、少しずつ、その傷が癒されていくのだと思います




