またもや旅先にて。

   

たかの由梨エステを堪能しつつ

   

本を読みました。

   

その名も、「朝に弱い」が治る本


「クリエイティブな右脳人間は時間を守れない」(本当??)という記事を読んで、「だからいいのよ」、と、しばし都合のいい解釈でお茶を濁していた(笑)・・・でも、「いつまで子供のつもりなのよ!」と、そんな自分に腹が立ち。

    

そんなあたしに効いた本。

    

中略+主観を込めてまとめると・・・

    

  

・・・何のために朝起きるのか?

    

親に「起きてちょうだい!」と言われて生きてきて、起きてあげてきただけの人は、本当に自分が起きる意味を見つけられてない、だから起きれない。そうやって、自分で意識しないうちに、人に「させられる人生」人のために「してあげる人生」を歩んでる。そういう人は、自分で何かをしようという自我が確立されてない。起きる理由がない=結局生きる理由がない。起きる意思を持ち、自分で自分をコントロールできる自我を確立させることが大切なのだ。

        

・・・自分の人生をどう生きるか、これを決めるのは自分自身。朝起きることも眠ることも、大きく回っている人生の中のできごとの一つ。単に「朝起きれない」のではなく「人生に目覚めていない」可能性あり。

         

・・・自我が弱い人たちは、遅刻しないように眠いのを我慢して起きるとか、おいしいものが食べたいけれど丘陵日前だからがまんするなどといった、自分の欲望をコントロールする訓練ができていない・・・

          

・・・最近の若い人。(というまた適当なくくりもアレですが。)会社に行くことに、わざわざ気合を入れてあたたかいふとんから出るほどの価値を見出していない、かといってほかの仕事をしたいとか、やりたいことがあるわけでもない。上司から怒られれば、「そんな風にいわれちゃうんだったら、会社辞めちゃおうかな・・・」と、シゴトに関しても、生きることに関しても、そんな程度の執着しか持っていない・・・」 

          

          

もちろんとっても極論入ってるし、休みの日は寝る!って思って起きないのは全くOKなこと。でも、今のあたしにとっては思い当たる節&納得な部分がいっぱいあって。もし起きれない(自分で自分をコントロールできない/する気力が無い)=生きることに執着が無いんだとしたら、それって、すごい悲しい、空しい、ことなんじゃないかしら・・・?

     

     

うーん、今まで、時間もお金も自分の意思も、ほんとにコントロールできてただろうか。

      
        
今までの私はNOだった・・・
       
   
ある意味「なぁなぁ」というかおおらかというか、そこが自分の良さかと勘違いしていたけど(笑)アイデンティティ、自我、が確立されてないだけのことだったんだと思う。
   
極論だけど、「朝目覚めることが出来る」=「人生に目覚めてる」というのは当たりなのかも。
   
    
     
色々と思いあたる節があるだけに、反省も含め、
      
   
なんでも、 知らず知らず、
         
    
自分以外の色んな要素に「させられて」生きるんじゃなく、
    
     
自分の意思で生きなくては
    
    
と、強烈に感じた一冊でした。