時々、ヤモリが姿を見せてくれます。
家族一同、大喜びです。


♪生きてる理由なんてない〜♪
Mr.Childrenの曲にありました。

生きている理由だと思うほど、看護の世界に没頭していました。


寝食を犠牲にしても気にならず
休みは仕事に備えるためのものと考えていました。
20数年働きました。
大変なことや嫌なことももちろんありましたが
それらも全部ひっくるめて
大好きな仕事でした。

思えば、中学生の頃に志しずっと一直線。

悔いは全くありません。

でも、まさか職を離れることになるとは。

30代の中頃から体力的な衰えは感じましたが、それも20代と比べてという程度で。

形を変えてもずっと続けていくと思っていました。

次男が保育園の年少の頃
それまで発語がほとんどなくても順応していたのに
昼寝がなくなったら荒れるようになりました。
それに伴い、家でもささいなことでかんしゃくを起こし、、

復帰後も正規で、夜勤もやっていたので、延長保育を利用し、休日出勤の日はダンナにみてもらっていました。


元々が仕事人間だった私は

復帰後楽しくて仕方なく

育休中のブランクも

「目の前の課題を乗り越える」

という懐かしさでしかありませんでした。


こんな私は、実父に心配されるまで次男の言葉のことが気にならなかったのです。

他の人たちは「母親は分かってる」と思い

気を使ってあえて口にしなかったのだと思います。


年少の運動会

みんなと同じようにできなくても

そこにいるだけで感動している私とは裏腹に、ダンナは愕然としていました。

この日、なぜか泣けて仕方なかったです。

診断も受けていませんでしたが

次男にはこの先何らかの支援が必要になると確信した日でした。


今思い返すと、次男と二人きりで過ごした時間が、とても少なかったです。


そのせいか

最近ベッタベタに甘えてきます(笑)

大きすぎる幼児という感じ。

小2だし、体格は2学年上くらいあります。

なので、重いし、痛い。

突拍子もない大声や行動にびっくりする。

今はだいぶ減りましたが

「絶え間ない要求」

これが本当に参りました。


当時、仕事をしながら

通院・検査・診断を受け、転園の手続き、退職、長男の卒園・入学が重なり

原因不明の熱が出たり、咳喘息で今も通院しています。だいぶ良くなりました。


児童発達支援を受けるようになり

辞書のような厚さのやりとりを

先生方にしていただき

次男は、今までぼんやりしていたことを確認したり、試したり、身体全体を使ってぶつかってきてくれました。


今の、私の生きている理由は

【家族】です。