若き日のディック・スレーター。

いかにも「喧嘩番長」のイメージが強いです。


 前回のプロレスラーのディック・スレーターの訃報記事で彼がスタン・ハンセンのパートナーになれなかった理由を書きましたが同じ、かつてテリー・ファンクのパートナーを務めたテッド・デビアスが後にスタン・ハンセンのパートナーに抜擢されハンセンにとってベストパートナーとして評価されたのにディック・スレーターがハンセンと組んでもパートナーになれなかった理由も書きましたが、そのテッド・デビアスとディック・スレーターの違いを具体的に知りたいとメールにありましたので私が知る限りのスレーターとデビアスの違いを書きます。


 ディック・スレーターとテッド・デビアスは1985年の夏にコンビを結成して二人ともルックスが良かったのでコンビネーションも実に絵になっていました。私は、その年の「世界最強タッグリーグ戦」にディック・スレーターとテッド・デビアスのコンビが出場すると思っていましたがテッド・デビアスは、そのシリーズの前半に参加したスタンハンセンと組んで新日本プロレスに移籍したブルーザー・ブロディに代わる新パートナーに抜擢され結局ディック・スレーターとのコンビは話題で終わり二度と二人はコンビを組むことはなくテッド・デビアスはスタン・ハンセンと組んで「世界最強タッグリーグ戦」に出場を果たした。


 ディック・スレーターとテッド・デビアスの違いはディック・スレーターは「喧嘩番長」と異名されたようにラフファイターつまり喧嘩ファイトで相手を徹底的に叩きのめす、いわばヒール(悪役)に近いレスリングスタイルでテリー・ファンクやスタン・ハンセンと同じタイプである。一方のテッド・デビアスはスタン・ハンセンと組むまではベビーフェイス(善玉)のファイトスタイルで技巧派レスラーとも評価され、その技のテクニックぶりはNWA世界チャンピオンのハーリー・レイスやジャック・ブリスコなどトップレスラー達も認めるほどのスピード感もありファンク門下時代にはスタン・ハンセン以上に期待が大きかったらしい。そのため次期NWA世界チャンピオン候補とまで言われていた。

 スタン・ハンセンと組んだテッド・デビアスは元々正統派だっただけに卓越したテクニシャンぶりを発揮しハンセンを上手くサポートしたためハンセンも安心してファイト出来たと評価された。しかしディック・スレーターはハンセンと同じラフファイターでザ・ファンクスへの義理も完全に捨てきれない部分もあったが試合でも「俺が、俺が」というアピールも目立ちハンセンをサポート出来なかったためパートナーに抜擢されず、その年の「世界最強タックリーグ戦」(1987年)は急遽ハンセンはテリー・ゴーディをパートナーに抜擢して出場したのかも知れません。

 実力ではテッド・デビアスよりもディック・スレーターが上だったかも知れませんが二人のファイトスタイルの違いやデビアスの持つ「見せるプロレス」がスレーターには無く後にデビアスがWWF入りしてミリオンダラーマンとして悪のキャラクターとして人気を得たのも頷けます。




若き日のテッド・デビアス。

私は、この頃のデビアスが好きでした。