メキシコで実力No.1はミル・マスカラスだと思っていたが実はエル・カネックが実力No.1だと聞いた時は正直驚きました。何故ならエル・カネックは日本に来日しても活躍らしい活躍をした記憶がないからだ。エル・カネックは新日本プロレスの看板メキシコレスラーとして来日し私が最初に彼の試合を見たのは初代タイガーマスクとのシングルマッチだった。

 この時エル・カネックはタイガーマスクが入場しリング入りしようとした途端、試合開始のゴングなる前にいきなりタイガーマスクに暴行し、これぞまさしく「不意打ち」といっても過言ではない奇襲戦法だった。私は子供心にテレビの前でエル・カネックに対し「何て奴だ!!」と腹を立てていた。その後ブラックタイガーや小林邦昭などタイガーマスクの敵役レスラーが登場しエル・カネックはその第1号となった。

 それからのエル・カネックは藤波辰爾との好試合などを展開したがタッグにおいてもアンドレ・ザ・ジャイアントやハルク・ホーガン、ディック・マードックなどと組んでも目立つこともなく活躍らしい活躍は見られなかった。むしろアンドレやホーガンの陰に隠れがちとなり逆にアンドレやホーガンとシングルマッチで対戦すると超ヘビー級の実力の差で、あっさりと敗れたりしていた。思わず「本当にメキシコでは実力No.1なのか・・・?」と疑うほどだった。

 1978年、エル・カネックは新日本プロレスにおいて、とんでもない事件も起こしている。それは蔵前国技館で藤波辰爾とWWFJrヘビー級選手権試合の予定であったが当日になっていきなりキャンセルし帰国してしまったそうである。このため藤波はノンタイトル戦となって別の外人選手と試合し勝利するも客からは納得のいかない空気となり暴動寸前にまで追いやられてしまった。表向きでは藤波の得意技ドラゴンスープレックスのノイローゼによる敵前逃亡とされていたが実は人種差別によるアメリカ人レスラー達からのいじめによるものだったらしい。こういう重大事件を起こしたにも関わらずエル・カネックは翌年から再び来日を続けていた。何故、新日本プロレスはエル・カネックを捨てなかったのか?恐らく「全日本プロレス」の同じメキシコの覆面レスラー、ミル・マスカラスの対抗策と考えられる。ミル・マスカラスは「全日本プロレス」においてはスター級だったため新日本プロレスはエル・カネックを対抗策にしたが期待すべきものがなかったとされる。

 こうしてミル・マスカラスの対抗策として新日本プロレスは佐山聡にタイガーマスクとして登場させたためエル・カネックは、その嫉妬心から暴行を加えた可能性もある。結局エル・カネックはメキシコでしか実力を発揮出来なかった悲運のレスラーとしか言いようがない。