前回「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの記事を書いて今回は四男(レスラー兄弟としては三男)のケリー・フォン・エリックについて書きたいと思います。ケリー・フォン・エリックはエリック兄弟の中で実力はケリーが一番強く、そして握力もケリーが一番強ったそうである。まさに父フリッツの血を一番受け継いだ息子といっても過言ではない。更に兄弟の中でケリーが一番のイケメンでカッコ良く私も子供心にカッコいいと思いケリー・フォン・エリックが好きだった。(兄のケビン・フォン・エリックが一番のイケメンと言う人もいたが・・・)

 1983年「全日本プロレス」に初来日を果たしフリッツ・フォンエリックの三男として、その実力を大いに発揮した。ケリーは外人サイドであったものの正統派テクニックで試合後は相手選手と握手を交わすなど外見だけでなく性格も紳士的な存在だった。翌年の5月6日、兄デビットの追悼興行において前年、ハーリーレイスに勝った実績のあるケリーがNWA世界王者リック・フレアーに挑戦し見事フレアーを撃破し第67代NWA世界王者となった。その5月に再び来日しジャンボ鶴田と防衛戦を行い退けるも横須賀大会でフレアーに敗れ王座転落となってしまう。

 同年の夏に3度目の来日を果たし日本陣営ではなかったがジャイアント馬場が試合中にスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組のツープラトンの攻撃で肩を負傷しケリーが日本側控え室にやって来て自分の持ち前の握力で馬場の肩をマッサージしている姿が印象的だった。外人サイドだったケリーが日本側控え室までやって来て馬場をマッサージするほど事態は深刻な状況だったと言える。

 翌年「新日本プロレス」と父フリッツ・フォン・エリックが業務提携を果たしケリーは兄ケビンと共に新日本プロレスに初参戦しケビンとコンビを組んで藤波、木村組を圧倒的な強さで押さえ込んだ。こうして新日本プロレスにおいても大いに実力を発揮しケリーのプロレス人生は順風満帆に思えたがケリーもまたエリック一家の呪縛から避けられない運命にあった・・・。1986年6月ケリーはバイクの事故で右足を切断する重傷を負い一時は再起不能にまで陥られてしまう。

 その後、義足を使って奇跡的に復帰は果たすもこの頃から薬物依存症となり彼のプロレス人生も事故前と比べると実力も思い通りに発揮出来無くなってしまった。そして1993年、前回の記事で述べたようにコカインの使用で起訴され有罪判決が言い渡され自宅においてピストルで自らの命を絶ってしまう。この時、既に兄デビットに続いて弟のマイクもクリスも死去してフリッツの息子はケビンただひとりになってしまった。エリック一家の呪縛はケリーさえも避けられなかった。

 しかし私にとってケリー・フォン・エリックは現在(いま)でも心の中では憧れの外人レスラーとしてはヒーローである。彼のレスラーとしての経緯を評したいと思います。