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 「プロレス黄金時代」を支え続けたラッシャー木村さんが亡くなった。

私がラッシャー木村さんをはじめて見たのは新日本プロレスの「ワールドプロレスリング」の実況中継だった。その日メインでアントニオ猪木は全日本プロレスから移籍したばかりのタイガー戸口(キム・ドク)との一戦だった。会場は田園コロシアムで世に言う「田コロ伝説」である。

 試合前、リングにラッシャー木村さんとアニマル浜口が上がり、木村さんは一言「こんばんは」と言った。会場にいるファンは爆笑し、直後に浜口は挑発的な言葉を出した。実は私は当時プロレスを見始めたばかりでラッシャー木村さんもアニマル浜口も見知らぬ人物でしかなかった。勿論「国際プロレス」という団体もである。

 次のシリーズでラッシャー木村さんが猪木と激突し、初戦は木村さんの反則勝ちであったが最終戦で再び猪木と激突の時、猪木の凄まじい攻めは、私がはじめて見た「キラー猪木」であった。木村さんの額を鉄柱にぶつけて木村さんの額から大流血。

そして腕ひしぎ逆十字固めを完全に決めて試合は終了、「ギブアップしていない!」と納得しない木村さんは自分のセコンド陣にまで殴り掛かる。その後、猪木は木村に近寄り「もう一回やろう」と言って握手を交わした。

 それからというもの新日本は国際軍団との抗争となり、木村さん達は新日本ファンから野次を飛ばされ、木村さんの自宅にまで物が投げられたり、野次が飛んだと言う。そして新日本との軍団抗争も長くは続かなかった。長州力、マサ斎藤率いる「維新軍団」が登場し新日本は正規軍、維新軍、国際軍という3軍抗争となったがいつしか国際軍の影は薄れ仲間の浜口も寺西も維新軍へと加入した。

 木村さんは1984年「新春黄金シリーズ」を最後に新日本を脱退し、「旧UWF」を経て「全日本プロレス」に参加。世界最強タッグリーグ戦でジャイアント馬場さんとタッグを組んだがシリーズ中に仲間割れを起こし「国際血盟軍」を結成するも長州力率いる「ジャパンプロレス」によって影に追いやられてしまう。そして1986年辺りから木村さんの試合後のマイクパフォーマンスが受けるようになる。木村さんがようやくファンから愛される人になったのだ。更に木村さんは1988年に再び馬場さんと組み世界最強タッグリーグ戦に出場。馬場さんと「兄弟タッグ」が実現。

 残されたプロレス人生を「全日本プロレス」そして「プロレスリング・ノア」で全うした。2004年木村さんは引退を表明。新日本プロレス時代は猪木ファンだった私もブラウン管に向かって野次を飛ばし続けたが、木村さんはリングで精一杯ファイトしていただけである。様々苦難を続けて、ようやくマイクパフォーマンスでファンを楽しませ、プロレス界を支えたラッシャー木村さん。


 本当にありがとう。



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