昨年、三沢光晴が斎藤彰俊のバックドロップを受けてまもなく亡くなった悲劇が起きた。いまではバックドロップもプロレス技では定番になり地味な技にも見られがちだが、バックドロップがいかに危険な技であるかである。

 私がこれまでバックドロップがこれほど恐ろしい技であるかを何度か見てきた。

1984年 新日本プロレスにおいて第二回IWGPチャンピオンシリーズ開幕戦で藤波、木村vs長州、マサ斎藤の試合で斎藤が木村にフィニッシュではなったバックドロップはあまりにも強烈に見えた。当然木村健吾はスリーカウントを入れられたが、その後も立てず、試合中に鼻血を流した藤波も自分のことよりも木村を気遣っていた場面はいかに斎藤のバックドロップが強烈であったかを見せ付けられた試合である。

 1990年、馳浩も馳ファンも「悪夢」ともいうべき恐ろしい日を迎える。馳は試合中後藤達俊のバックドロップを受けて試合後、セコンドにつくため控え室からリングに向かう通路を走っている最中に倒れ一時心臓停止したのである。この事件で後藤達俊は「地獄のバックドロップ」と異名をとられるようになり、後藤がバックドロップを放つと客席からは対戦相手の女性ファンから「キャー!!」と悲鳴が上がる事もあるらしい。




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三沢の未来を予知していたかのような三沢に放つバックドロップ画像



 三沢の場合はあの悲劇の前に健康診断でドクターストップもかかっていたほどで

年内にも引退を考えていたという。そしてあの斎藤彰俊のバックドロップを受けて

三沢は・・・。


 ジャンボ鶴田もバックドロップは決め技では有名で生前インタビューで鶴田は「バックドロップは危険技で相手によって加減もする」と語られていた。鶴田のように器用なレスラーが放つバックドロップなら加減する余裕もあるが見よう見まねで不器用なレスラーが放つバックドロップほど恐ろしいとも考えられる。まして三沢はレスラーの中では受身の天才とも言われている。その三沢でさえもバックドロップを受けて帰らぬ人となっているのだ。


 まさにバックドロップは危険技である。