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今回からブログの趣向を変えて、日本の(歴史や人物など)都市伝説のお話をご紹介していきたいと思います。
1回目は、聖徳太子(厩戸皇子)の都市伝説についてのお話です。
聖徳太子(厩戸皇子)は実在したのか
聖徳太子が実在したという証拠は以下のようなものが挙げられます。
- 聖徳太子のモデルとなる人物である厩戸王(うまやとおう)は、日本書紀などの史料に記録されており、飛鳥時代の政治家であったことが確かで、聖徳太子が著したとされる三経義疏(さんぎょうぎしょ)は、仏教学者の間でも高く評価されており、法華経義疏(ほけきょうぎしょ)と勝鬘経義疏(しょうまんきょうぎしょ)については太子の真作であるというのが定説になっています。
以上のことから、聖徳太子は実在した人物であるという証拠は存在しますが、その一方で、彼に関する伝説や逸話は後世に付け加えられたものも多く、その実像は不明な部分が多いというのが現状です。
私たちは、古代史の人物については、史料や考古学的成果などをもとに客観的に判断することが必要だと思います。
聖徳太子(厩戸皇子)の伝説は
聖徳太子は日本史上の偉大な人物として知られていますが、その生涯には信じがたいような伝説が数多く残されています。
教科書で学んだこともあるでしょうが、これらの伝説は現代の目から見ると不自然で矛盾が多いものばかりです。
・産まれた時から言葉を操り、仏法を説いた ・幼い頃から高僧に匹敵するほどの知恵と徳を備えていた
・14歳にして武将として戦場に赴き、敵を打ち破った ・10人の話し声を同時に聞き取り、それぞれに答えることができた ・平安京の建設や外国船の来航や明治維新などの未来の出来事を予言した。
これらは一般的な人間の能力をはるかに超えており、あり得ないことです。
しかも、これらの伝説は口伝えや後世の創作によるものが多く、聖徳太子自身が本当にそうしたことをしたのかという証拠はありません。
最近の教科書では聖徳太子の文言は消えて厩戸皇子という名前になっていて、若い人は聖徳太子という名前を知らない人も出てきています。
実際にいた人であれ、伝説の人であれ、聖徳太子(厩戸皇子)のモデルになった人はいたと思います。
1500年前の日本にそういう超越した人がいたと思うとロマンがありますよね