植松努さんの本読んで
紙に書いて原因とか自分に聞いている
そして上のブログを書いてわかった
気が散る一番の原因は視覚や聴覚の刺激や、イヤな記憶や他人のことを気にしたりとかよりも
「思考」
それは整理する
「思考」でなくて
散らばる「思考」
そして
散らばる「思考」
は
やらないといけないプレッシャー
からくる
子供のしつけの悪さ
ワタシが死んだ後の未来の不安を是正したくなるとき
あれかこれかどうしていいか
思考が散らばる
そして、
ご飯の献立
も
栄養あって見た目に食欲出るもの
とかなると手順多くて、また思考が散らばり、思考も行動も停止
太りすぎて、もっと歩かなくちゃ、ピラティスしなくちゃ、ご飯食べすぎた
またオバハンになる
とか
また思考が散らばる
みんな不得意やったり、問題ありすぎて
思考があれやこれや迷って
思考も行動も停止する
他人への関心やら、過去の記憶へのむかつきなんか
そこまで思考が散らばらないし
すぐ、終わる
もちろん
この脳のゴミともいうべきものも捨てないとだが、
他人への関心や過去の記憶が普段の生ゴミとすると
義務感からくる迷いや不安は大型ゴミや粗ゴミ
生ゴミみたいに週に二回、回収にきてくれない
自分からゴミ処理券、コンビニで買って市に予約して、朝早く出してようやく、始末出来る。そして、出す個数決まってるから、邪魔度合いの優先順位まで決める必要あり
義務を果たす思考は
始末がやっかいで容量大きい
だからか
だからまずは若さや美の断捨離か
若さや美も維持は面倒くさいし、思考するがワタシの中の義務感は小さい
予約はいるがゴミ処理券のいる大型ゴミでなく
45リットルの透明ゴミ袋で出せる粗ゴミくらい
「義務を減らす」
特に大型ゴミクラスの子供のことは無視
料理はパターン同じにするとか
大型ゴミから出すように
脳の容量をでかく空けて
必要な義務のみ残せば
後は
記憶とか他人への関心とか生ゴミ、プラゴミクラスになるから
生ゴミ、プラゴミも
大量に部屋に散らかってたら後始末大変だが、処理が大変な
デカいゴミを捨ててしまえば
すぐ捨てられる生ゴミ、プラゴミはそんな大変でもない
床が空きやすい
まずは
大型ゴミだ
てなことも
断捨離しないとわからなかった
大胆な断捨離は人間を変える