私は初めて1人で東京にでてきた。

大きな野望とか、夢とか
そんなのじゃない。

あ、夢はハマっているかな?

地元の毒親から逃げるように東京の
看護師短期大学の夜間部に入学したからだ。

准看護婦の資格は取ってるので
昼間は病院で働き、夜に看護学校に通う。

そんな道を選んだのだ。

地元の毒親は「准看護婦」でいい。

早く働いて家にお金を入れろと
毎日毎日、憂鬱なくらい責めた。

子供の頃から私は使用人のように
使われ、 新しい父親も母と一緒に
お前の本当の父はろくでなしと
責められ、可愛がられた記憶はない。

准看護婦になるため2年間も学費
生活費をだして金を出して

ヤッタノダカラ

早く元手を返せと言うことなのだ。

冗談じゃない。

元々看護師になりたいワケではない。

高校生の時から

「看護師なんて高給だというからお前も
看護師になれ。そのお金を家計にしろ」

そんな毒親の言葉に、

本当にそうだ。手に職をつけなければ
私、この人達に食い殺される。

それが看護師になるきっかけだった。

2年間、准看護婦の学校に行き
家事もこなしながら地元の学校に
通った。

本当は都会の看護大学に進路を
決めて、成績は余裕だったのに

毒親は
「誰が仕送りするのだ。そんな余裕は
ない。地元の准看護婦学校で充分だ」

そう、言って離してくれなかった。

父親違いの弟、妹の兄弟のご飯や
掃除洗濯、お弁当作りしながら

准看護婦の学校に2年間通った。

20人しかいない生徒は、私と同じ理由や
単に正看護師の学校に入るレベルじゃない
子達がほとんどだった。

それでも女の子ばかり20人もいれば

仲良くなり、派閥とかもあったけど

私はそういう人間関係には
疲れることなく、無事に卒業できた。

毎回テストではトップだったし、
高校3年生から付き合い出した彼氏も

いたので、煩わしい時は彼との約束が
あるからと踏み込まなかったのだ。

一目置かれていたのは事実。

そして、卒業を迎えて私は毒親から

用意周到に逃げる手段を使ったのだ。

東京の、正看護師の3年制の学校に
推薦で入学したのだ。

入学金は彼にお願いした。
検査技師してる4歳年上の涼ちゃん。

優花、3年後、看護師になったら
結婚してくれるよね?と、
若いけど約束してくれていた。
実際、彼しか経験は無い。
 
今日から東京に行くからと手紙を
残して、実家を去った。

奨学金ももらえたので学費は出せる。

東京の学校は働く病院の斡旋もしてくれ、
病院によっては寮もある。

住むところさえ確保できたらいい。

あとは3年間働きながら正看護師の
資格を取れれば私はどこに行っても
働くことが出来、毒親から離れられる。
 
そして涼ちゃんと結婚して同じ病院に
勤務するのだと。

そう、信じて東京の23区ではあるが
下町っぽい場所に降り立ち、

「勝負はここからだ」

そう強く踏みしめ、心は踊り
そんな東京という魔物の棲みかに

意気揚々と立つ、若さだけを持った
底なしの、野生を秘めた私がいた。

羽田空港からバスで、20分という

近場に私の戦場があった。



とても若く向上心だけは溢れる程、

人生を切り開く子供なりの夢だけは

とてつもなく大きかった。



幼い微熱  1 青葉




美優