私は乳がんを経験しました。

治療を終え、日常を取り戻したと思っていた7年後、再発がわかりました。

しかし、その頃の私には、自分の病気以上に気がかりなことがありました。

老人施設に入所していた母のことです。

ある日の昼間、母の様子を見に施設に行くと、母は椅子に座ってぐったりとしていました。腕には何カ所も包帯が巻かれていました。


施設の人に聞くと、ベッドで腕を強く打ったとか、他の介護の人に聞いたら点滴が漏れてしまったとか、聞く人によって話が違ってました。



そして施設の方からは「ずっと1ヶ月程食欲がないんです」と説明されましたが、私にはそれだけとは思えませんでした。



私はすぐに病院へ連れて行ってほしいとお願いしました。

翌朝、病院から呼ばれました。

医師から告げられた言葉は衝撃的でした。

「あと1週間もつかどうかわかりません」

私はその場で泣いてしまいました。

医師は、これほど脳の萎縮が進んでいる患者さんは見たことがないこと、そして体中に褥瘡(床ずれ)ができていることを話してくれました。

その後、母は入院しましたが、点滴で命をつないでいる状態でした。

私はこのまま母が弱っていくのを見ているだけではいられませんでした。

自宅から近く、できるだけ会いに行ける病院を必死に探しました。

何件も問い合わせをして、ようやく受け入れてくれる病院が見つかりました。

母は転院し、私は老人施設を退所させました。



それから私は毎日のように母の病室へ通いました。

すると少しずつ食事を食べるようになりました。

病院で「あと1週間もつかわからない」と言われた母は、その後1年も生きてくれました。

そんな中、私は乳がんの再発を告げられました。

母の入院中に手術を受け、一週間ほど母のところへ行くことができませんでした。

退院して病室へ行き、


認知症で、緑内障が進み失明してる母

では、ありましたが、


「また手術があるからね」

何日か来れないけど、ごめんね」


と母に話しました。

それが母との最後の会話になりました。

二度目の手術が終わってしばらくしたある朝、午前6時頃に病院から、お母さんが危ないです。と電話がありました。



急いで病院へ向かうと、母は息を引き取っていました。

けれど、まだ手にはぬくもりが残っていました。

私は母の手を握りながら泣きました。

その後、兄三人と妹に電話をして、母が亡くなったことを知らせました。

母は花が大好きな人でした。

だから私は、母が亡くなる前からいくつもの葬儀社に相談し、母らしいお見送りができるよう準備をしていました。

そして喪主を務めました。

葬儀の日には、普段あまり顔を見せなかった兄弟たちも集まりました。

葬儀が終わった後、兄たちは

「いい葬式だった」

と言いました。

私は複雑な気持ちでした。

それでも、母が好きだった花に囲まれて旅立てたことは本当に良かったと思っています。

母のためにできることは精一杯やりました。

そして母との最後の一年は、私にとってかけがえのない時間でした。

母を見送った後も、私は乳がんの治療を続けなければなりませんでした。

人生には、自分ではどうにもできない出来事が重なることがあります。

それでも私は、母と過ごした時間を胸に、今日まで歩いてきました。

この経験が、同じように病気や介護、家族との別れに向き合っている誰かの励みになればと思います。