今回も『忠臣蔵』に関係のある話★



 【※注意注意※】

三波春夫さんの曲でもある
『決闘!高田の馬場』のストーリーを主体として書くので

実際の出来事と違う部分もありますが
ご了承ください。。。★





高田の馬場での決闘とは
赤穂浪士の中の一人、

堀部安兵衛【ほりべやすべえ】
(※家来になる前は、中山安兵衛)

が、赤穂浪士になる前にあった有名な出来事。


ちなみに、当時の
決闘の場所になった『高田馬場』は

今ある『新宿区高田馬場』じゃなくて

現在で言うところの
『新宿区西早稲田』にありました☆




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安兵衛と同じ剣術道場に通い、叔父・甥の関係を結んでいた

菅野六郎左衛門【すがのろくろうざえもん】
が、同藩の村上一門と決闘することになった。

決闘の日は
元禄7年2月11日(1694年3月6日)


味方の少い菅野にくらべて
敵の村上一門は複数。。

そのうえ、当時60歳を過ぎていた菅野は勝ち目が無いと思い、
安兵衛に最後の別れを言うため家を訪ねたが

安兵衛は極度の酒好きで
菅野が訪ねてきた時もどこかで酒を呑んでいたため留守だった。


仕方なく菅野は

「自分が死んだ後は、妻や子を頼む。」

と、手紙だけ残し
果たし合いの場所である高田の馬場に向かった。



しばらくして、酔いの醒めた安兵衛が帰ってきて

菅野の手紙を読み
すぐに高田の馬場へと走る。



安兵衛が高田の馬場に着いた時には
すでに決闘が始まっていて

群がる野次馬を割って入り
菅野のもとへ駆け付ける。

菅野は敵に囲まれて
多少、傷も受けていた。


安兵衛は生まれながら剣の才があり、

道場でもトップクラスの強さで
後の赤穂浪士47人の中でも
一番強かったらしい。


安兵衛が菅野の助太刀に来たことで形勢逆転し、

見事に村上一門を切り捨てた。



この決闘ぶりがあまりに見事だったため、

安兵衛は実際には3人しか斬ってないにもかかわらず、
当時の瓦版(←新聞みたいなもの)
には18人斬ったと書かれたらしい。


これを知った赤穂藩士の

堀部弥兵衛【ほりべやへえ】
が、どうしても安兵衛に娘の婿にきてほしいと頼み込み
安兵衛は堀部家の婿養子となる。

そして、
中山安兵衛から堀部安兵衛と名前を変える。



それから7年後に
『松の廊下』の事件があり、

翌年の
元禄15年12月14日(1703年1月30日)
赤穂浪士による
吉良邸討ち入りが行われた。


その約2ヶ月後に
赤穂浪士は切腹することとなる。



堀部安兵衛 享年34。






と、いう感じです音符音符

 ヽ(・∀・)ノ





と‥‥‥とにかく疲れたwwwww(´Д`)




安兵衛すっごく好きだし王冠2キラキラ

風邪でゴロゴロしながら書いたら
とんでもなく長くなって‥‥


 (´Д`)疲れたwwwwww





最後まで読んでくれた人ー?キラキラ

 (・∀・)ノ


コメメモしてくれたら
桃さんの苦労が報われますにゃー

 キラキラ(ノ*´∇`*)ノキラキラわーいベル



次はもっと簡潔に書きまぷハート





ひらめき電球ちなみに!!今月の第三部で

桃さんが安兵衛してます音符音符

 (`・ω・´)b!!





最後まで読んでくれたご褒美ぜよドキドキ



(桃・ω・san) の クライマックス☆Blog♪-2011120414030001.jpg



でわでわ音符音符