今日
大本教の出口王仁三郎さんの
末裔
出口春日(はるひ)さんが
栃木県にいらっしゃいました
もちろん
麻畑を見に
🤫
👇
圧倒される
39次元魂
🤣
出口春日さんの祖母は
出口直美さん
\(//∇//)\
勝手にご縁を感じて
🤣🤣🤣
🤫
春日さんと記念撮影
👇
お顔出しオッケーですよーと
仰っていただきましたが
念には念を入れます
🙏
相当なご苦労が
あったと察しましたので
出口王仁三郎が昇天された後、
大本は戦後の混乱の中で再建の道を歩みました。
もともと大本は第一次・第二次大本事件という
激しい国家弾圧を受け、
特に第二次大本事件では施設の破壊や
幹部の逮捕など壊滅的な打撃を受けました。
しかし戦後、教団は「愛善苑」として再出発し、
その後再び「大本」の名称へ戻りながら
今日まで続いています。
ところが、王仁三郎亡き後の年月の中で、
「現在の大本は本当に王仁三郎の精神を
受け継いでいるのか」という問いが
教団内部から生まれるようになりました。
特に1980年代になると、
一部の信徒や関係者から
「組織運営が優先され、本来の王仁三郎の教えが
薄れているのではないか」
「霊界物語の位置づけが
変わってしまったのではないか」
「王仁三郎が目指した神業や世界改革の精神が
後退しているのではないか」という
声が上がるようになります。
一方で大本本部側は、
自分たちこそが出口なお、
出口王仁三郎から続く正統な継承者であり、
時代に応じて教団運営を行いながら
教えを守っているという立場を取りました。
この考え方の違いは次第に大きくなり、
やがて教団内部の対立へと発展していきます。
その結果、
1980年代後半に大本から分かれる形で
現在の愛善苑が誕生しました。
愛善苑側は、王仁三郎を永遠の苑主と位置づけ、
『霊界物語』を中心教典として、
王仁三郎の精神をより純粋な形で継承することを
目指しました。
本部は京都府亀岡市に置かれています。
こうした経緯から、
王仁三郎を深く敬愛する人々の中には
「大本は組織として残ったが、
王仁三郎の本当の火は愛善苑に受け継がれた」と
考える人もいます。
反対に、「愛善苑は分派であり、
正統な継承は現在の大本にある」と
考える人もいます。
ここでは
わたしからの言及は避けますが
8年前に
大本教の出口王仁三郎を調べまくり
出口だけに
出口が見つからない壁にぶち当たり
…
というか
腑に落ちなくて
リサーチ放棄をした経緯がありました
なので
今回すんなり
お会いできたご縁というのが
わたしの中での答えになります
🤫
素晴らしい
ご縁
どんどん繋がり
止まりません
🤣🤣🤣



