花巻市と言えば
宮沢賢治
彼は
このクマ騒動になる、今を
予言していたかのような
作品を作っている
👇
「熊。
おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。
おれも商売ならてめえも射たなけあならねえ。
ほかの罪のねえ仕事していんだが
畑はなし木はお上のものにきまったし
里へ出ても誰も相手にしねえ。
仕方なしに猟師なんぞしるんだ。
てめえも熊に生れたが因果なら
おれもこんな商売が因果だ。
やい。この次には熊なんぞに生れなよ。」
こんな豪儀で、
まるで山の主のような小十郎だが、
生活は決して豊かではない。
小十郎が四十歳のときに息子夫婦を赤痢で亡くし
九十歳になる母と五人の孫を、
熊の毛皮と胆を町の荒物屋に売って得た
わずかな金で養わなくてはならなかった。
作物と呼べるものは、
山に実る栗と小さな畑から稗がとれるだけで、
米は少しもできない。
家族を養うには
熊を撃たなくてはならないのである。
一月のある日、小十郎が家を出るとき、
「婆さま、おれも年老ったでばな、
今朝まず生れで始めで水へ入るの嫌んたよな
気するぢゃ。」と言い、
それを聞いた母はその見えないような眼をあげて
何か笑うか泣くかするような顔つきをする。
今まで小十郎がそんなことを言ったことが
ないからである。
そんな不穏な気持ちを小十郎が抱えているとは
知らずに孫たちは、
いつものようにかわるがわる厩の前から
顔を出して「総さん、早ぐお出や。」といって
笑って見送った。
その目、
小十郎は夏のうちに目を付けておいた
大きな熊を狙い、雪が積もった険しい山を歩く。
崖を登りきったところで休んでいると、
その大きな熊が現れ両足で立ちあがり
襲いかかってきた。
犬は足元にかみ
つき、小十郎も鉄砲を構え発射するが、
ひるまずに向かってくる熊の一撃を受けてしまう。頭がガアンと鳴って
「おお小十郎、おまえを殺すつもりはなかった。」という熊のことばが聞こえ、
それに対し「熊どもゆるせよ。」とわびて
小十郎は死ぬ、三日目の晩、
山の上の平らな場所に小十郎の死骸がおかれ、
その周りには熊たちが輪になって座り、
祈るような姿でひれ伏している。
小十郎の顔は冴え冴えとして、
何か笑っているように見えた。
小十郎の死骸を熊たちが輪になって
祈るように囲む最後のシーンは、
アイヌ民族のイオマンテを連想させる。
イオマンテは、
人間が熊の霊を神に送る儀式である。
おそらくそれは、
狩猟採集生活をしていた人間にとって、
生きるためにはどうしても必要な
動物殺害という行為を合理化するために
考え出された荘厳な宗教的儀式であろう。
アイヌは、自らの手で養い大きくなった熊を
厳密に定められた礼法によって丁重に殺し、
そしてその熊の魂を天に送る。
賢治がこの『なめとこ山の態』の最後の文章で
語ろうとしているのは、
人間が熊を送るのではなくて、
熊が人間を天に送るイオマンテなのである。




