おはようございます。わっちです。

 

今日は自分のトラウマ…というか受け入れきれてない自分の過去の話をしようと思います。

 

一人ひとり、思い出したくない過去があると思います。

 

もしかしたら最近までは思い出したくもなかったけど、今は思い出しても大丈夫!

 

というような嫌だった過去を受け入れられている方もいらっしゃるかと思います。

 

 

私は、どーーーしても、10年経ってもも受け入れきれない過去があるんです。

 

今23歳なので、13歳のとき…というか中学校時代にあった出来事ですね。

 

私は中学生の時、吹奏楽部に所属していました。

 

ちなみに地元では結構強い方で(コンクールで県1位)毎日一日練習でしんどかったです…。

 

母親が入社して初めてのボーナスで購入したというフルートが家にあったので、

 

フルートを吹いてみようかな、と思い入部しました。

 

もう一人の同級生の子(以下Aちゃん)も一緒にフルート(横長の笛)に入ったのですが、

 

その子フルート習ってたんです。

 

もちろん初めから上手かったので、私はそれに追いつくように頑張って練習して、

 

周りからも上手いね、と言われるようになりました。

 

2年生の後半になって、ピッコロというフルートの一回り小さくてもっと高い音が出る楽器を

 

私とAちゃんどっちがやるか、オーディションで決めようってことになって、

 

私がオーディションで通ったんです。私がピッコロを担当することとなりました。

 

その後、運営幹部と技術幹部を決められ、わたしは技術幹部のトップ、

 

コンサートマスターに選ばれました。

 

(コンサートマスターは顧問の先生がいない時に代わりに指揮をしたりという先生の代役的な感じです)

 

日頃の努力が認められたのかなと思いました。

 

私は嬉しかったのですが…それと同時に怖い気持ちもありました。

 

それは私がコンサートマスターとしてこの部活を引っ張っていけるのかなという不安ではなく、

 

周りの視線、特にAちゃんの視線です。

 

私がピッコロに選ばれた、コンサートマスターに選ばれた、という嫉妬があったり、

 

家でのストレス?(家庭環境がそんな良さそうじゃなかった)もあったりしたんでしょう。

 

私がその子のはけ口になっていたんです。

 

それが異常に怖かったんです。

 

ピッコロってすごく高い音なんです。だからピッチ(音程)を合わせるのが大変で、

 

自分の吹いている音が合っているのか、間違っているのか、聞き分けるのがすごく大変でした。

 

慣れない中で、Aちゃんにはよく「1stのフルートと音合わせて」と怒られました。

 

そりゃもちろん怒られますよね、

 

全体で一つの音楽を作る中でパートごとに音を合わせるのは非常に大事なことですから。

 

あ、Aちゃんには年子のお姉さんがいて、そのお姉さんもフルートパートだったんです。

 

お姉さんがもともとピッコロをしてたんですね。

 

「お姉ちゃんがピッコロのときは音が合ったのに、お前のときは合わない」

 

と比べられたりしました。

 

まあでもそれはしょうがない、お姉さんが上手かったんでしょうね。

 

姉妹っていうことで合いやすかったりしたのかなあ。

 

私も努力しなきゃと毎朝みんなより1時間くらい早く来て練習をしていました。

 

まだそこまではよかったんです。

 

1stフルートと合わせるためにAちゃんとピッチの合わせをしたい、と伝えても、

 

「面倒くさいから嫌だ」

 

と、たいていは言われたんです。

 

(たまに合わせてくれましたが、納得いくまではしてくれませんでした)

 

その割には音が合わないときは合奏中に睨まれたり、舌打ちされたり、

 

しまいには暴力(蹴られたり殴られたり)していました。

 

それが本当に、本当に怖かったんです。

 

自分でもよく部活を辞めなかったなあと思います。(笑)

 

辞めるっていうことも、先生や友達にも言い出せなかったんですよね、それも怖かったんです。

 

音楽はすごく好きでした。

 

小さいころからピアノをしていたり、

 

クリスチャンホームだったので教会に通っていて、讃美歌に触れたり、ハンドチャイムをしたり。

 

高校では小さい学校だったので、ギター弾きながらみんなと一緒に大声で歌ったり。

 

音楽にずっと触れてきたからっていうのもあると思うんですが。

 

様々な楽器の音、ハーモニーが溶け合って、一つの音楽を作る。

 

心から感動できるものでした。

 

今も音楽自体は好きで、夏に久石譲のコンサートに行った時も、

 

ずっと感動して泣いていたくらいです(笑)

 

でも音楽に触れる度に、この恐怖を思い出すんです。

 

そして苦しくなるんです。

 

今でも思い出すと涙が出そうになるくらいです。

 

私にとって、音楽は好きなはずなのに苦しいものになっちゃったんですよね。

 

結果、この苦しい経験をしたおかげで、他にしんどいことがあっても乗り越えていけてはいます

 

しかし。

 

正直、ものすごくひどいことをいいますが、

 

Aちゃんがいなければこんな苦しい思いしなくてもよかった

 

純粋に音楽を好きになれた

 

と思っちゃう自分もいるんです。

 

自分自身でもひどいなと思っています。でも本音なんです。

 

同時にこれって、この苦しかった過去の経験を受け入れられていないってことなんだろうなって思います。

 

自分があの時もっと何かアクション出来たんじゃないか、

 

そしたらもっと過去が良いように変わっていたんじゃないかっていう風に思えないんですよね。

 

人のせいにしてしまっている

 

私自身が自分の過去を受け入れきれていないから思ってしまうことなんでしょうね。

 

受け入れきれてないから、思い出すと涙が出てくるんですよね、きっと。

 

過去を「過去」として認識できていないんだろうなあ。

 

今の私にとってもまだその時間が続いている、と感じてしまっているんだろうなあ。

 

…長くなりましたが、自分のしんどかった過去を受け入れるのって、

 

中々難しいですね。っていう話です。いつか笑って話せるようになりたいものです。

 

きっと時間がかかるんだろうなって感じですね。

 

これを読んだ方の中には、

 

「そんなん経験して当たり前でしょ、こんなんで苦しんでんの?自分だって悪いじゃん」

 

と思った方もいらっしゃるかもしれません。全然そう思ってくれていいです。

 

でも、一つだけ。

 

人それぞれ感じ方が違うと思うんです。

 

あなたにとって苦しくないことでも、ある人にとってはものすんごくしんどかったりします。

 

だって、誰一人として同じ道を通ってないから、培われる感じ方も違うじゃないですか。

 

大事なのって、その苦しみをどう乗り越えるかなんですよね~~~~

 

これも含めて自分。そっからどう生きるのよ!って話なんですよね。

 

うおおおおお!私自身も書いててすっきりしてきました。

 

やっぱこうやってアウトプットするのって大事だなあ。

 

だらだらすんません。

 

今日も一日がんばりましょううううううううう。

 

 

<まとめ>

 

・苦しかった過去を受け入れて笑って話せるようになるのは中々難しい。時間がかかる。

 

人のせいにしてしまっているうちは過去を受け入れきれていないということ。

 

・通ってきた道は人それぞれによって違うから、苦しみ方も違う。苦しみを他者と比較することはできない。大事なのはそこからどう乗り越えるかどう生きるか