映画「オッペンハイマー」を鑑賞してきました。

 

024年3月に公開され、第96回アカデミー賞では

作品賞・監督賞(クリストファー・ノーラン)・

主演男優賞(キリアン・マーフィー)・

助演男優賞(ロバート・ダウニー・Jr.)など7部門を受賞!!!

 

おめでとうございます!!!

 

 

あらすじ

 

雨の中、立っているオッペンハイマー

原爆吹き飛ぶシーン

 

プロメテウスは、岩に縛られ永久に…

 

第二次世界大戦終結後、東西冷戦時代の1954年、

アメリカでは共産党員を公職から追放する“赤狩り”の嵐

が吹き荒れている状況。

 

 

そんな中、原子爆弾の開発に尽力し、「原爆の父」と

呼ばれていた天才物理学者J・ロバート・オッペンハイマーは

ソ連のスパイ疑惑をかけられ、聴聞会に呼び出されて追求を

受けています。

 

オッペンハイマーは妻キティや弟フランクが元共産党員だったことから

自身もまた共産主義者との疑いをかけられ、アメリカ陸軍

防諜部将校 ボリス・パッシュ、そのパッシュの父が

ロシア正教だったことで、ソ連との関係も

疑われていたのです。

 

「私は、任務を果たしたまで」オッペンハイマー

 

「なぜ米国を出た?」

 

「新しい物理学が学びたかった。ケンブリッジで

パトリックと」オッペンハイマー

 

「バークレーがあるのに」

 


時をさかのぼること1926年、元々優れた頭脳の

持ち主であるオッペンハイマーはハーバード大学を最優秀の

成績で卒業し、イギリスのケンブリッジ大学に留学。

 

「実験をやり直せ」と一人残されるオッペンハイマー

 

青酸カリをスポイトで取り、リン酸をリンゴに差します。

 

実験が苦手、寝不足。

 

毒の入ったリンゴを食べようとした先生に

慌てて「虫がついています。」とリンゴを

取ります。

 

オッペンハイマーは現地での環境や実験物理学に馴染めず、

ドイツのゲッティンゲン大学へ移籍。

 

オッペンハイマーはそこでニールス・ボーアや

ヴェルナー・ハイゼンベルクといった優れた物理学者と出会い、

彼らに影響を受けて量子力学研究への道を歩み始めます。

 

オッペンハイマーは、素粒子ばかりを夢に見ます。

 

ピカソの絵を見るオッペンハイマー。

1929年、博士号を取得したオッペンハイマーはアメリカに戻り、

若くしてカリフォルニア大学バークレー校の助教授となり教鞭を

執ります。

 

ちょうど大学に来た日、池の魚に餌を与えている

白髪の老人を見かけ、オッペンハイマーは、

話をしようと歩いてゆきます。

 

少しすると、その老人・アルベルトは、オッペンハイマーに

大学の説明していた男性ストローズには、目もくれず

去って行きます。

 

この頃からオッペンハイマーは自らの研究や活動を通じ、核分裂を

応用して原子爆弾を開発できるのではないかと考えていたのです。

 

 

1936年カルフォルニア大学バークレー校教授に昇進、

共産党員のジーン・タトロックと出会い、交際へ。

 

 

ドイツではヒトラー率いるナチスが台頭し、1938年には

ドイツで核分裂が発見されるなどナチスもまた核開発を推し

進めます。

 

 

1939年植物学者のキティ(キャサリン)と出会い、

不倫関係に、この年、第二次世界大戦が勃発、

オッペンハイマーは、夫と離婚したキティと

1940年に結婚します。

 

 

1942年10月オッペンハイマーはアメリカ軍の

レズリー・グローヴス准将に呼び出されます。

 

 

アメリカ政府はナチスドイツの勢いに焦りを感じ、

核開発のための極秘プロジェクト「マンハッタン計画」を立ち上げ、

オッペンハイマーを原爆開発チームのリーダーに抜擢します。

 



1943年、オッペンハイマーはニューメキシコ州ロスアラモスに

国立研究所を設立して所長に就任ます。

 

続けてオッペンハイマーは全米各地から優秀な科学者やヨーロッパから

亡命してきたユダヤ人科学者を招聘、さらには科学者たちの

家族数千人をもロスアラモスに移住させて街を作ります。

本格的な原爆開発に取り掛かったオッペンハイマーは自身が

ユダヤ人であるため、何としてもナチスドイツよりも先に

原爆を完成させるべく積極的にリーダーシップを発揮。

 

しかし、研究が進むにつれ、オッペンハイマーはあまりの威力の強さに

世界が核の炎に包まれるのではないかという恐怖、各国間による

核開発競争の激化、そして原爆よりもさらに強力な水素爆弾の開発を

危惧するようになってゆくのです。

 

 

1945年5月8日、原爆投下の目標としていたナチスドイツが降伏。

 

これを受けて科学者たちは原爆開発の継続に異を唱えるように。

 

ところが、オッペンハイマーは日本が未だに降伏せず戦い

続けていることから開発を続行するよう科学者たちを説得。

1945年7月16日、人類初の核実験となる「トリニティ実験」が

行われ、成功。

 

この街では、80人もの子供が誕生。

 

 

科学者や軍関係者、政治家たちは原爆の威力の凄まじさに歓喜するなか、

オッペンハイマーは言いしれぬ恐怖と不安を感じていたのです。

 

原爆は米軍に移管され、時のアメリカ大統領ハリー・S・トルーマンは

日本を降伏に追い込むため、そしてこれからのアメリカの

脅威となるであろうソ連への牽制の意味も込めて原爆の使用を決断。

 

そして原爆は遂に日本の広島と長崎に投下され、日本は無条件降伏したと

サンフランシスコから電話が入り、間もなくして、第二次世界大戦は

終結します。

オッペンハイマーは「原爆の父」としてアメリカ国中から讃えられ、

タイム誌の表紙を飾り、大統領とも接見しますが、その一方で広島と

長崎で甚大な犠牲者が出たことから、原爆の炎に焼かれて

死んでいく人々の幻覚に悩まされるようになっていくのです。

やがて1949年、ソ連もまた原爆の開発に成功し、

オッペンハイマーの危惧した通りにアメリカ国内でも

水爆開発を進めるべきだとの声が挙がるように。

 

 

水爆開発に反対の立場をとるオッペンハイマーはトルーマン大統領と

面会し、国際的な核兵器の管理機関を設けるべきだと提言しますが、

オッペンハイマーの姿勢を弱腰だとみなしたトルーマン大統領は提言を

受け入れなかったのです。

そして1954年、ソ連との関係を疑われたオッペンハイマーは

聴聞会に招集されます。

 

自身は共産党員ではないものの、妻キティや弟フランク、

バークレー校時代の元恋人だった精神科医のジーン・タトロック、

バークレー校のフランス語教員で友人のハーコン・シュヴァリエらが

共産党員だったこともあり、オッペンハイマーもまた目を

つけられていたのです。

 

オッペンハイマー事件の黒幕は、アメリカ原子力委員会(AEC)

委員長ルイス・ストローズ。

 

ストローズは1947年にオッペンハイマーをAECの顧問に

任命したものの、以前にアイソトープをノルウェーに輸出するか

判断する公聴会でオッペンハイマーがストローズを揶揄した経緯があり、

元々頑固で野心家のストローズはそのことを深く根に持っていたのです。

 

彼の私的な恨みがオッペンハイマーを陥れた理由。

そしてストローズとオッペンハイマーは水爆開発を巡って

対立し、オッペンハイマーを公職から追放しようと

目論んだのです。

 

キティはストローズの企みに気づいていてもどうすることもできず、

オッペンハイマーはとうとう公職を追放されてしまいます。

 

オッペンハイマー事件から数年経った1959年、今度はストローズが

公聴会に招集されます。

 

ストローズは商務長官への就任を狙っていたのですが、かつて

マンハッタン計画に参加したものの原爆使用反対に転じた科学者

デヴィッド・L・ヒルによりオッペンハイマーを失脚させるための

企みが暴露されるのです。

 

ストローズは結局、長官就任にふさわしくないと判断され

就任は却下されます。

 

ストローズの長官就任に反対した者の中には、後に大統領となる

ジョン・F・ケネディの名前も並んでいたのです。

ストローズは以前にオッペンハイマーを天才物理学者

アルベルト・アインシュタインと引き会わせた後、自分が

アインシュタインから無視されたのはオッペンハイマーが

アインシュタインに何かを吹き込んだからではないかと

勝手に思い込んでいたのです。



しかし、ことの真相は、池の魚に餌を与えていた

アインシュタインは、旧知であるオッペンハイマーに、

アインシュタインが大量破壊兵器を作った決着を

付けるべきだと厳しく言い放ち、オッペンハイマーは

以前に話した核の連鎖反応について自分は成功したと

思っていると主張。

 

その言葉を聞いたアインシュタインは言葉を失い、

強張った表情でその場を立ち去っただけだったのです。

オッペンハイマーは池の水面を見つめ、

彼の脳裏には原爆が爆発する瞬間が何度も

フラッシュバック。

 

「我々は、世界を破壊した」という言葉で

幕引き。

 

 

 

長い映画で、かなり内容を割愛しています。

 

 

この映画の主人公たちは、自分たちの意志というより

命令にしたがっただけという感覚だったためか、

 

押しつけられたから罪悪感を感じづらいという。

 

D会の会員たちも、そういう感覚があるようですが、

例えどうあれ、自分達が罪を犯したことには

かわりないのですよ。

 

なので、逮捕、刑務所へ。

 

そうです。私とクリスとのことで戦争などと

口にした榊原雅彦、D会会員ら。

 

世界を壊したのです。

 

その責任は重い。

 

人として間違っています。

 

参考元

 

 
 
監督    クリストファー・ノーラン
脚本    クリストファー・ノーラン
原作    
カイ・バード(英語版)
マーティン・J・シャーウィン
『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』
(American Prometheus: The Triumph and Tragedy of 
J. Robert Oppenheimer)
製作    
エマ・トーマス
チャールズ・ローヴェン
クリストファー・ノーラン
出演者    
J.オッペンハイマーロバート・オッペンハイマー
キリアン・マーフィー
キャサリン・オッペンハイマー
エミリー・ブラント
レズリー・グローブス/マット・デイモン
ルイス・ストローズ/ロバート・ダウニー・Jr.
ジーン・タトロック/フローレンス・ピュー
アーネスト・ローレンス/ジョシュ・ハートネット
ボリシュ・パッシュ/ケイシー・アフレック
デヴィット・L・ヒル/ラミ・マレック
ニール・ボア・ケネス・ブラナー
音楽    ルドウィグ・ゴランソン
撮影    ホイテ・ヴァン・ホイテマ
編集    ジェニファー・レイム(英語版)
製作会社    
シンコピー・フィルムズ
アトラス・エンターテインメント
 
エンドロールには、
ジェイムズ・ウッズ
エマ・トーマス
ジェニファー
アンドリュー・ジャクソン
スコット・フィッシャー
アンディー・トンプソン
ジョン
トニー・ゴールドウィン
ネーサン・ケリー
 
ニコ
マイク
アレックス・ウルフ
ジェフ
ケイト・フレンチ
ケヴィン
ジャスティン・キース
エミリー・アモス
エイミー・エリス・ロバート
クリストファー・フリック
 
ラッセル
エドワード
キム 
ウィル・トーマス
タマラ・ブロック⇒玉側、多摩川がブロックした。
 
大迷惑!!!
 
 
マーク・アニエス・ポール
アンドリュー
 
フィルム ニューメキシコ
 
Below the line
 
 
クリストファー・ノーラン⇒私のクリスは、
逃げたりしません。
 
D会の人達が、ありもしないこと、嘘、デマを
流し、私とクリスの人生をめちゃくちゃに
し、世界も破壊したことには変わり在りません。
 
 
というのも、私の海外での評判を落としたからです。
 
その筆頭は、やはり、齋藤幸範会長らであり、
アメリカにデマを流した金子一族他。
 
金子妙子さんは、「むざい」と言っていましたが、
それは、無理なのです。
 
嘘も方便で、有罪を無罪といって正しい道に
導くためです。
 
刑務所行きです。
 
共産党だったのは、D会齋藤家
 
私は、共産党でも、社会主義でもありませんよ!!!
 
普通の民主主義、資本主義です。

 
昔、私が中学の時に「なめねこ」というのが
流行りました。
 
私とクリスをなめてもらっては困ります。
 
ましてや中卒の金子正義、妙子夫妻。
 
何を考えているのでしょう???
 
全然、お詫びという感じが伝わりません。
 
引っ込んでいて下さい!!!
 
元D会故筒井夕起子さんの姪ありささん さい家が
王だったってことでしょうが、
どちらの大学を卒業されているのでしょう???
 
D会安部一族、金子一族他が出る幕ではないのです!!!