映画「ゴジラ -1.0」を

鑑賞してきました。

 

アカデミー賞視覚効果賞受賞

おめでとうございます!!!

 

 

 

 

あらすじ

 

第二次世界大戦末期1945年(昭和20年)、

「零戦」で特攻だったはずの海軍少尉・敷島浩一

(神木隆之介)が小笠原諸島・大戸島の守備隊基地に着陸。

 

 

敷島は機体故障と主張するも、整備主任の橘宗作

(青木崇高)は故障個所は見当たらず、彼が

嘘をつき逃げてきたと見抜きます。

 

 

特攻隊として命令されたのだから「死んでこい。」と言われたり

「あんたみたいな人がいてもいい。」と言う隊員も。

 

橘はこの戦争の結果は見えていると黙認。

 

海面に深海魚が浮かんでいる様子を見た隊員は、

「ゴジラがあがってくる。」と恐怖におののきます。

 

案の定、その夜、島に突如、身長15mほどの怪獣が現れ、

基地を襲撃。

 

それは島に昔から語り継がれている伝説の

怪獣「呉爾羅(ゴジラ)」。

 

人間をくわえ投げたり、しっぽで人間を

払ったり、ゴジラは基地の整備士たちに襲い掛かったのです。

 

敷島は橘から「零戦」の機銃で応戦するよう命じられましたが、

恐怖のあまり引き金を引くことができなかったのです。

 

気を失っていた敷島は、目を覚ますと、そこには、橘が

呆然と立ち尽くし、「皆、死んだんだ。お前が打たなかったから。」と。

 

そう、敷島と橘を残して

全員死亡してしまったのです。

 

 

戦争は終戦を迎え、敷島は本土に引き上げる船で橘から

整備士たちの遺品である家族写真と手紙を渡されます。

 

 

1945年12月、敷島は焼け野原と化した東京に帰郷。

 

実家は空襲で失われ、敷島は隣人の太田澄子(安藤サクラ)

から両親が死んだことを知らされます。

 

家族を失った太田は逃げて生きて帰ってきた敷島を責めます。

 

「平気な顔して帰ってきたの!恥さらし」と。

 

敷島は、母からの手紙に「生きて帰ってこい」と書かれたものを

読み返します。

 

 

 

ある日、闇市にいた敷島は、炊き出しの雑炊を食べていると、

万引きに失敗し逃げてきたひとりの女性から赤ん坊を

押し付けられます。

 

敷島は女性が赤ん坊を引き取りに現れず途方に暮れていると、

古本やの看板の陰に隠れていた女性と遭遇。

 

女性の名は大石典子(浜辺美波)といい、赤ん坊は典子が空襲で

縁もゆかりもない死にかけた女性から託され、その名は、

明子だという。

 

赤ん坊を「ほうっておけないでしょう」と典子。

 

敷島は、成り行きで自宅のあったバラックで

典子らと共に、太田から食糧を恵んで

もらい何とか共同生活を始めます。

 

戦争で子供を失った太田は、「明子が栄養失調」だといい、

色々と教えてくれます。

 

1946年3月、敷島は2人を養うため、給料の良い仕事を

見つけます。

 

それは戦時中、米軍が仕掛けた機雷を除去する仕事、

典子は危険だと反対しますが、敷島はお金があれば

粉ミルクも買えるからとその仕事に就くことを決意。

敷島はポンコツの木造漁船の特設掃海艇「新生丸」に乗り込み、

艇長の秋津清治(佐々木蔵之介)、かつて大戦時に兵器の開発に

携わった経験のある元技術士官の野田健治(吉岡秀隆)、

戦争に出征していない若手乗組員の水島四郎(山田裕貴)ら

乗組員たちと親しくなります。

 

敷島は稼いだお金で小さな平屋を建てバイクを買い、

生活にもゆとりが出てきます。

 



家に皆を呼ぶと、秋津は敷島に典子と結婚しないのかと質問、

敷島は、大戸島で死んだ隊員たちを思うとどうしても踏み切れず、

自分は家族を持つべきではないと頑なに拒むのです。

 

そんな敷島は毎夜のようにゴジラの悪夢にうなされます。

1946年7月、米軍はビキニ環礁にて核実験「クロスロード作戦」を

実行。

 

その際、たまたま近海にいたゴジラは核実験の放射能を浴び被曝し、

その影響で細胞が活性化、ゴジラはみるみるうちに身長50.1mまで

巨大化。

1947年3月、結婚する意志がない敷島に業を

煮やした典子は自立することにし、銀座の会社に事務職として

就職するのです。

 

典子が仕事中は明子を3人の子供を育てた太田に預けること。


その頃、ゴジラは次々と米軍の艦艇を沈めていきます。

 

マッカーサーを始め米軍はゴジラの存在を知り、

その細胞から大量の放射能を検出、ゴジラが日本へ

向かっているとの予測していたものの、当時関係が

悪化していたソ連を刺激しないために米軍は

直接軍事行動を起こさず、ゴジラの対応は全て

日本政府に任せる方針を決定します。

 

日本は戦後に接収された艦艇や戦車などを一時的に

返還してもらい、シンガポールにて自沈処分される予定だった

重巡洋艦「高雄」も日本へ向けて出発することに。

 

1947年5月、笠原近海にて作業をしていた「新生丸」は、

巨大生物らしきものによって破壊され、座礁した船舶を

発見。

 

深海魚が浮かんでいるので、敷島は巨大生物が大戸島を

襲ったゴジラではないかと推測し、あの時よりも

巨大化・狂暴化していることを察知するのです。

 

「新生丸」は「高雄」が到着するまでの間、時間稼ぎとして

機雷を使い、ゴジラの足止めをするよう極秘指令を受けますが、

対抗できる武器は、回収したたった2発の機雷。

 

敷島は、「敵を討ちたいが、ゴジラは恐ろしい」と吐露。

「新生丸」はゴジラへの攻撃を試みますが、

ゴジラの驚愕の再生能力の高さに全く歯が立たなかったのです。

 

ゴジラが「新生丸」に向け光線を出そうとしたその時、

到着した「高雄」が「新生丸」の危機を救います。

 

「高雄」はゴジラとの戦闘を開始、ゴジラは

「高雄」目がけて光線を放ち、海の藻屑と

なって沈みます。

 

怪我をし気を失っていた敷島は、横須賀の病院で目を覚まし、

秋津・野田・水島からゴジラが東京へ向かっていること、

日本政府は混乱を恐れゴジラの情報を国民に伏せていることを

知らされます。

 

帰宅した敷島は典子に意を決して

自分は特攻隊から逃げたこと、大戸島でゴジラと遭遇したこと、

そしてそのゴジラと再び遭遇したことを話し、

「自分は生きていてはいけない人間だ」と打ち明けます。

 

敷島が人知れず心の苦しみを抱えていたことを知った典子は

自分も火に焼かれながら死んでゆく両親から

「生きろと言われた」と告白し、

彼を抱きしめ、「生きていかなければならない」と励まします。

 

 

翌日、ゴジラは東京湾の防衛線を突破し、遂に東京に上陸。

 

典子が出勤した後、ラジオの臨時ニュースでゴジラの襲来を知った

敷島は典子を救うべく銀座に向かいます。

 

その頃、電車に乗っていた典子は車両ごとゴジラに咥えられましたが、

川に飛び込んで何とか脱出に成功。

 

ゴジラは東京の街並みを破壊しながら進み、品川を経て

銀座へと向かいます。

 

この時、銀座の服部時計店(現在和光)も半分壊されます。

 

 

ようやく典子と合流した敷島は群衆の中を逃げようとしましたが、

ゴジラは応戦していた戦車隊を光線で薙ぎ払い、その光線による

爆風が襲い掛かってきます。

 

 

その様子をビルの上から実況する無謀な姿も。

 

サイトウと書かれた看板

 

典子は咄嗟に敷島を路地へと押し込み、その直後、爆風で

吹き飛ばされます。

 

空からは黒い雨が降り、典子を失った敷島はゴジラへの

復讐を誓います。

典子の葬儀中、敷島は野田に誘われ、極秘裏にゴジラを

倒すための作戦会議「巨大生物對策説明会」に参加することに。

 

そこには秋津や水島、数多くの元軍人の姿があり、説明会の

リーダーである駆逐艦「雪風」元艦長の堀田辰雄(田中美央)が

現状を説明します。

 

「未曾有の危機、民間の力で、駆逐艦千隻、あんなものでは

戦えない」

 

それでも「日本政府も米軍に頼れない。我々が貧乏くじを

ひかねばならない。」と。

 

駐留連合国軍はソ連を刺激する恐れがあるとして軍事行動を避け、

占領下で軍隊を失った日本は民間人のみでゴジラに立ち

向かうことに。

作戦は駆逐艦4隻の提供を受け、野田はゴジラをフロンガスの

泡で包み込み、相模湾の深海1300mまで一気に沈め急激な

水圧の変化を与える第一次攻撃、それに続く第二次攻撃として

深海で大きな浮袋を膨らませ、海底から海上まで一気に

ゴジラを引き揚げ、凄まじい減圧を与えてゴジラの息の根を

止めるという「海神(わだつみ)作戦」を提案します。

その後、敷島・野田・秋津・水島は話し合います。

 

野田の作戦では、海中に放射線測定器を大量に設置して

ゴジラの動向を掴み、スピーカーでゴジラの鳴き声を流し

ゴジラに縄張りを荒らされたと思わせる計画。

 

敷島は飛行機でゴジラを誘き寄せる作戦を提案し、野田から

本土決戦用に開発された局地戦闘機「震電」の提供を受けることに。

 

 

それは、「震電」に可能な限りの爆薬を搭載し、ゴジラの口に突っ込む

という命がけの作戦だったのです。

敷島は「震電」を飛べるようにするため、和田晃という人に会い

苦労の末にようやく橘を探し出し、敷島は「俺たちの戦争は終わっていない」と

説得、橘は「震電」の整備に取り掛かります。



放射線探知機がゴジラの存在に反応し、遂に作戦は

決行されることになります。

 

 

野田はかつての大戦はあまりにも命を軽視しすぎたと振り返り、

この戦いは未来を生きるための戦いだと力説。

 

敷島は太田に明子を託し、典子の写真を「震電」の

操縦席に貼って乗り込みます。

相模湾に出現したゴジラは再び上陸。

 

敷島はゴジラを海に誘導し、2隻の駆逐艦がゴジラの体に

ガスボンベをつけたワイヤーを巻きつけます。

 

そしてゴジラは作戦通りに深海に沈められますが

まだ生きていたのです。

 

 

すかさず作戦第二弾が実行され、ゴジラは浮袋によって

浮上、ところが、途中で止まってしまいます。

 

 

駆逐艦が引き上げようとしますが、パワー不足により

逆に引きずり込まれそうになるのです。



その時、秋津から残るよう言われていた水島が沢山の民間の船と

共に駆け付け、総出でゴジラの引き上げに協力すると

いうのです。

 

 

引き上げられたゴジラは急激な圧力の変化に苦しみ、

その隙を突いて敷島は「震電」でゴジラの口めがけて

突っ込みます。



敷島は間一髪でパラシュートで脱出、ゴジラの体は爆発を起こし、

自壊しながら海へと沈んでいくのです。

 

 

任務を終え、帰還した敷島は太田から典子が生きているとの

知らせを受け、彼女が入院している病院へと向かいます。

 

 

再会を喜び合う敷島と典子でしたが、典子の首元には

黒い痣らしきものがあったのです。

 

 

そして深海では、死んだはずのゴジラの

細胞が、再生を始めるのです。

 

参考元

 

 
 
 

 

 

宮内⇒父の故親友の宮内貴正さん(栄光学園、早稲田大学、丸紅、

Jetro)

 

キャスト

 

 

参考元

 

 
エンドロールには、
谷口翔太、飯田基祐、阿部健治
佐々木一平、佐々木風麿
長谷努、日下部千太郎
松原正隆、大西澄
市川大貴、斉藤淳
藤田啓介、松本誠
三浦理香子、加茂井彩音
内田清、市川南
岸田一晃、安達耕平
工藤将亮、酒井馨
金谷真人、佐藤直紀
小池達朗、龍田哲児
上野隆治、坪元建一
津田輝王、八木大輔
杉山隆志、大城仁
田中ありさ、清水俊文
東幸司、佐藤飛鳥
坂本仁
 
DEVIL
SHISEIDO
西郷農園
明石発動機工作所
 
浦賀ドッグ(横須賀市)
 
高須組
 
海上自衛隊、海上保安庁
読売新聞社
日本赤十字社
東京大学 アイソトープ総合センター
助教 桧垣正吾
横浜国立大学 名誉教授 根上生也
横浜国立大学教授 田中良巳
 
阿部秀司事務所
 
などなど。
 
日下部⇒父の懇意にしていたパリに
いたころ画家の日下部美樹史さん
 
西郷⇒縁がないと言った。
 
D会故酒井家
 
一平は、水原一平さんですよ。
 
 
 
 
以前にもお話しましたが、SEIKOが王だったってことです。
 
この映画を見るとまるで、
戦争中に縁もゆかりもない人の娘、
例えば、田邊の祖母とかって
勘違いされますね。
 
まったくもって違います。
 
田邊の祖母の姉のアキは、清田ヨシさんの
実の娘で、未婚で出産しています。
 
その後も、清田ヨシさんが
田邊の祖母、田邊さよ(清田)も
未婚で出産しているのです。
 
父親は、不明です。
 
その後、清田ヨシさんは、府中佐吉の
娘清を出産、結婚し、沢山の
子供産んでいるのですよ。
 
その長女が、山形安部清、
田邊の祖母の父親違いの妹たち。
 
 
事実をすり替えた山形安部一族
長田家、齋藤家、酒井家、安倍家。
 
その罪は、とても重いです。
 
 
D会の会員たち、SEIKOの元上司達、
葉山の同級生らの沈黙は、破られますよ。
 
そんな沈黙してたって罪をつぐなわなければ
ならないのですから。
 
というか、良心の呵責とか、罪悪感とかないのですか???
 
D会の会員ら、信仰している人達のすることですか???
 
 
高須組⇒私は、整形なんてしていませんよ!!!
本当、どれだけ失礼なのですか!!!
それに、年の差婚ではありません。
 

 

横浜国立大学出身なのは、

パリのインターナショナルスクール高校同級生

服部姉妹(ともこ、きょうこ)

 

ゴジラに似ていたのは、SEIKOの元同期の

東宮君 ④のところ。

 

元大リーガーの松井秀喜さん

 

谷口は、ターニー

 

女優の岸恵子さんと同姓同名の

元同期

 

 


 

参考元

 

 
同じく元同期長谷桃
 
 
長谷桃の部署の上司だった三留勤さん
参考元
 
隣の島 つまり、OEMの隣の部だった
安倍ちゃん(楠井)
 
 
 
安倍ちゃんの宣伝にいた
吉野周さん
 
参考元

 

 
吉野さんとは、SEIKOVIPツアーでも一緒でしたし、
スイスのデザイナー2人とフランス料理レンストランの食事も
ご一緒させていただいたのです。
 

 

宣伝部には、鶴岡さんという先輩がいまして、

野球の広岡達朗さんの次男(ANA)と結婚されたのです。

 

これも、事実。

 

長嶋元監督、王元監督らが披露宴に出席され

有名人だらけだと話に聞いてますし、写真も

見せていただいたのです。

 

 
龍田⇒達だ!あるいは、坂本龍一さん
 
昔同じ部署だった石丸哲司さん
参考元
参考元
 
鈴木晃部長、元同期原田学転勤に伴う歓送迎会
新任倉品部長
 
参考元
 
私が、SEIKOを辞職した時、同期たちと。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

結局、始まりは、こちら↓

 

島津家

 

 

そして、

 

島津彩子さんが浩宮様が独身のころの

お妃候補にあがっていたことでしょう。

 

 

参考元

 

 

 

島津家は、沢山人数いますから…。

 

そして、黒田清子さん(当時紀宮様)の

お婿さん候補として名前が挙がっていた

服部セイコーの服部禮次郎の甥

バイオリニスト・服部譲二さん(当時30才)

 

 

 

なので、エンドロールには、

上野隆治⇒パリ日本人学校、パリのインターナショナルスクール高校同級生

上野厳近の父から、私の父にすぐに連絡あったのは、

当然のことですし、分かっていたのに、沈黙するって何???