映画「ジャンヌ・デュ・バリー国王最期の愛人」を

鑑賞してきました。

 

こんな話になったなんて信じられませんよ!!!

 

それってもしかして、ブシャラ家のジャンヌとか

アンヌという名前から??

 

ジャンの姪(現在カナダ モントリオール在住)がジャンヌ

 

参考元

 

 

 

 

ジャンの姪がエマニュエル

 

エマニュエルの姉がアンヌ、兄がマルク

参考元

 

 

アンヌの友人がフィリピン・ジロー

 

マルク

参考元

 

 

 

 

ブシャラ・よしみさんからの手紙

夫の名前がジャン

 

 

上記の手紙 田辺千恵子が千鶴子になっているのは、

わざとですよね。

 

鶴の恩返しだと嘘をいったのでしょう。

 

映画「私がやりました」を想起。

 

以前の記事

 

 

 

 

 

あらすじ

 

屋外の開けた草原、1本の木がある風景を

キャンバスに描く髪の毛の長い女性。

 

その女性を日に当たらないように日傘を

差す男性が立っています。

 

1743年、フランスシャンパーニュ地方の貧しいお針子の

私生児として生まれたジャンヌ(マイウェン)は、

デュムソー家のメイドとして住み込み働いていた母アンヌに育てられ、

デュムソー家の主人に気に入られたジャンヌは、サロンにも

同席し、教育を受け、本の読み聞かせもする程に成長。

 

けれども、デュムソー家が没落し、ジャンヌは、無理矢理

修道院に入れらます。

 

修道院での生活に嫌気が差し、自由になりたいと

思うジャンヌは、周囲からは、「悪魔の娘」と

ささやかれてしまいます。

 

ところが、母のアンヌがようやくジャンヌを引き取りに

きて、デュムソー家に戻ります。

 

すっかり美しく育ったジャンヌを見たデュムソー夫人は、

夫から彼女を遠ざけさせるため、ジャンヌが盗みを

働いたと罪をでっち上げ、家から2人を追い出します。

 

母のアンヌと娘のジャンヌは、とぼとぼとパリへ。

 

パリで、画家のモデルをしているジャンヌに画家が

服を脱ぐように指示すると、ジャンヌは、拒絶、

それを見た母は、服をぬぐようにいいますが…

ジャンヌは、嫌がります。

 

次にラ・ガレット夫人の息子達の読書係となったジャンヌは、

貴族たちと交流し、類稀なる美貌と知性によって

貴族の男性たちを虜にします。

 

そして、また、ジャンヌは、追い出されます。

 

自由になりたいと高級娼婦として名を上げます。

 

町を歩いていると、デュ・バリー伯爵に見初められた

ジャンヌに彼は、「空から降りてきた天使 

今までどこにいた?住む家を提供する」と声を

掛けられ、デュ・バリー伯爵がジャンヌの身請人と

なり、社交界デビュー。

 

実は、デュ・バリー伯爵は、リシュリュー公爵とジャンヌを

王・ルイ15世に引き合わせたいという目論みがあったのです。

 

「それは、偶然に、自分が選んだように、自然でなければ

ならない。」と。

 

ジャンヌは、王・ルイ15世と会うか、それとも、デュ・バリー家で

娼婦をしているか、と選択を迫られます。

 

デュ・バリー伯爵の息子アルフレッドに

勉強を教えていたジャンヌは、彼と離れたくないと主張しますが、

「母は、料理人、どんな人生を望む?」などと言われ

説得されます。

 

 

遂にジャンヌは、デュ・バリー伯爵の計らいで

ヴェルサイユ宮殿へ足を踏み入れるチャンスを掴みます。

 

 

居並ぶ貴族達の前を、ゆっくりと進んでゆくルイ15世

その歩みをジャンヌの前で止めます。

 

 

目と目が会う2人、一瞬にして魅了されたルイ15世。

 

ルイ15世は、デュ・バリー伯爵邸を訪問し、ジャンヌに

会いたいと現金を渡し、ジャンヌの髪に白いカーネーションを

刺し、ジャンヌにヴェルサイユに来るようにいい、

去って行きます。

 

ジャンヌは、ヴェルサイユ宮殿に行くことを決意し、

側近のラ・ボルトに「姿を誰にもみられないように

黒づくめの頭巾のあるコートをまとわせ馬車に乗り込みます。」

 

ヴェルサイユのルイ15世の自屋に招きいれられた

ジャンヌ。

 

画像1

参考元

 

 

 

ラ・ボルトから、「王の前では絶対に背中を向けず、

下がる時には、後ずさりするように」と指導されたため

ぎこちない動きのジャンヌ。

 

それを見れルイ15世は、「そんなことを

する必要はない。」と優しく接します。

 

王妃マリー・レクザンスカを亡くしたこともあり

生きる活力を失っていたルイ15世は、自分の前で

まったく物怖じしないジャンヌへの愛情が

一気に芽生え、その求愛にジャンヌも応えます。

 

翌朝、ルイ15世を側近のラ・ボルトが

起こしにくると、「服を来て下さい」と

ルイ15世を本来の寝室へと連れ、

ベットの上へ。

 

ジャンヌとは、別の部屋にいたのです。

 

 

参考元 画像1に同じ

 

 

 

ジャンヌは、マジックミラーの

前に立たされ、待たされます。

 

すると、マジックミラーの前では

ルイ15世の毎朝のルーティーンが

繰り広げられます。

 

まず、おつきが来てベットの中から

ルイ15世を起こすと、洋服を

着せます。

 

そして、ルイ15世の寝室のドアが

開けられ、一人目の医者が入ってきます。

 

その後から、ぞろぞろと王ルイ15世が

健康であるか、チェックしにきます。

 

それから、ルイ15世の家族が入室。

 

「大官の皆様、お支度を。」の一言で

ルイ15世の周りに白い幕がかけられ

着替えさせ、髭をそり、お化粧もされます。

 

王・ルイ15世の仕度が済むと、皆後ずさりして

部屋から出てきます。

 

ルイ15世に背中を見せて部屋を出て行かれるのは、

王太子だけ。

 

毎日、こんな風にやるの?と驚くジャンヌ。

 

ネックレスを渡されるジャンヌに

ルイ15世は、「ヴェルサイユにいてほしい」と

一言。

 

ルイ15世の狩り ショワズール主席大臣らと出掛ける

ルイ15世を馬車に乗って双眼鏡で眺めるジャンヌと

ラ・ボルト。

 

鹿の園、ルイ15世の子供達、とりわけ「王太子は、きれいね。」

と感想を述べるジャンヌ。

 

ある日、愛人の部屋で寝ているルイ15世のところに

「お嬢様たちが、お見えです」と言われると

ジャンヌは隠れ3人の娘たちアデライード、

マリー・ルイーズ、ヴィクトワールが入室し、

ルイ15世に「母の喪に服しているのに

愛人とうつつを抜かす父ルイ15世。

私達は、笑いもの。

父上、私は、あの女を公妾と認めない」と

言い放ちます。

 

労働者階級の庶民、しかも未婚女性が

国王に寵愛されるのは、ヴェルサイユでは

タブーだったのです。

 

ジャンヌと一緒にいることを望むルイ15世

 

そのため、ジャンヌは、デュ・バリー伯爵と

正式に結婚し、貴族の身分となり、国王の

公妾=公式の愛人として、ヴェルサイユに

迎えられることになったのです。

 

ラ・ボルトからジャンヌは、教育を受けます。

 

9時45分から10時までは、ミサ。

参考元 画像1と同じ

 

11時閣僚会議、午後は、狩り、その後

昼寝、夕食は、6時

オペラがなければ少量だけ口にする。

椅子に座るには、順番がある。

お辞儀が大切。

王ルイ15世の目を見てはいけない。

というのも、傲慢な人だ、思い上がりと

思われるから。

とにかく、下に目線を合わせる。

宮廷では、感情を抑えて

マナーも教わります。

 

そして、公妾としてのお披露目の場

鏡の間 デュ・バリー伯爵夫人と

ルイ15世に白々しくジャンヌを

紹介。

 

羽根を付けた衣装で登場したジャンヌに

その場は、騒然となりますが、ジャンヌは、

ルイ15世の前で3回お辞儀をします。

 

それを見て、3人娘達は、激怒し去ってゆきます。

 

「デュ・バリー夫人への贈り物です。」と

大きな箱が運ばれてくると、中から黒人の子供ザモルが

登場。

 

「良く来たわ。」とジャンヌ、手にキスをするザモル。

 

ジャンヌは、自分の部屋に案内され、部屋係と

美髪係があてがわれます。

 

存在感を高めてゆくジャンヌは、ヴェルサイユの

女性の頂点に君臨し、彼女は、宮廷の堅苦しい

マナーやルールを平然と無視。

立ち居振る舞からファッションまで自由奔放であり、

フランスでは初めての男装まで披露。

 

そんなジャンヌを、宮廷の人々、特にルイ15世の

4人の娘たち快く思う筈もなく、一触即発の

空気も蔓延するなか、王太子の妻として、

オーストリアからマリー・アントワネットが

ヴェルサイユに迎え入れられます。

 

ルイ15世の娘達は、マリー・アントワネットに

望みをかけ、宮廷内でのジャンヌの立場を徐々に

弱め、遂には、ヴェルサイユ宮殿からジャンヌを

追い出そうと画策。

 

一方、ジャンヌは、ジャンヌで、ルイ15世が自分に飽きたら

どうなるのかと悩み始めます。

 

というのも、ルイ15世の娘のルイーズが修道女になると

言いだし、ヴェルサイユ宮殿を去ってしまい、彼女を

とてもかわいがっていたルイ15世は、鬱状態になり、

別の女性といるところを目撃したから。

 

マリー・アントワネットからも声かけてもらえず、

意気消沈のジャンヌ。

 

そんな中でも、いつも優しかったのは、王太子の

アルフレッド。

 

そして、ようやく、ヴェルサイユ庭園で

マリー・アントワネットから「人出多いですね」と

声をかけられ、ジャンヌは、不名誉から救われたのです。

 

それは、王室がジャンヌを公妾として認めたという

ことだったから。

 

穏やか日、ヴェルサイユ庭園池の前で絵を

描いていると、「王ルイ15世が病気に」という

知らせが入ります。

 

医師は、「三度目の瀉血を

しなければ」と言います。

 

ルイ15世は、天然痘を患っていたのです。

 

王の側近ラ・ボルドから「王が死ねば、一族から、

ヴェルサイユ宮殿から追い出されます。

荷造りを」と言われるジャンヌ。

 

王に面会を要求するジャンヌに医師は、

冷たく、「伝染病です。会えません。」返答。

 

余命わずかと悟った王ルイ15世は、

「我が罪を告白したい」と牧師を呼びます。

 

「地獄が怖い。」と妾を持ったことに

対する罪悪感を告白。

 

そして、ジャンヌに「ヴェルサイユ宮殿から

去ってくれ」と言います。

 

蝋燭に火をという側近。

 

その蝋燭の火が消えれば王が逝去したことになるのです。

 

王からもらった指輪をしたジャンヌは、荷造りを。

 

ところが、最後にもう一度だけと強引にルイ15世の

枕元へ。

 

ルイ15世は、「喉が渇いた」というので

ジャンヌは、ヴィシー水を飲ませます。

 

そして、「愛しています。」

 

するとルイ15世は、「やっと言ってくれた。嬉しい。」と。

 

ジャンヌは、「最愛の人」という言葉を残し、上手に

後ずさりしながら、去ります。

 

ジャンヌは、「王太子殿下 いつも優しかったことを

感謝しています。」と言います。

 

ザモルは、ヴェルサイユ宮殿に残り、ラ・ボルトにも

お別れを告げます。

 

王ルイ15世「不道徳を、したこと、

みんなにさらしたことの月日を告白。

ゆるしたまえ。」と。

 

ラ・ボルトに「彼女(ジャンヌ)のことを頼んだぞ。」と

言う王。

 

そして、王ルイ15世は、息を引き取ります。

 

すると、王太子アルフレッドの元に皆が

やってきて、「陛下に忠誠を誓います。」と

言うのです。

 

ジャンヌは、修道院に到着、石の部屋に

通され、罪の化身として幽閉されます。

 

15年平和に過ごし、フランス革命となり、

ジャンヌもルイ16世、マリー・アントワネットらと

同様に、逮捕され、

人を愛した末、天を仰いだジャンヌは、

ギロチンに掛けられ処刑されます。

 

 

この映画の脚本を書いたテディ・ルッシ=モデスト氏は、

ジャンヌを擁護したかったという。

 

 

 

公妾(こうしょう)とは、側室制度が許されなかったキリスト教

ヨーロッパ諸国の近世の宮廷で主に採用されていた制度。

公妾は、国王の愛人ではなく、職務の一環として認められ、

社交界に出席し、かかる費用は、王廷の脂質として公式に認められ

いたという。公妾として宮廷から認められるためには、既婚者で

あること、爵位を持っていることが必要とされていた。

公妾は、国王を動かす権力を持ち、主宰するサロンは外国に

邦の権力を示す役割を握っていたともいわれている。

国王と公妾の間に生まれた子が王位を継承することはなく、

生まれた子が男子なら爵位を得て家臣に、女子は、良家へ

嫁ぐことが慣例とされていた。

公妾の出自などが、重要視されることはないが、国王の

寵愛を実力で勝ち取らなければならない。

また権力闘争や社会不安により、貴族や民衆から

恨みをかうこともあったという。寵愛を受けた国王が崩御すると

新たな国王から年金を支給されて余生を送ることが

ならわしとされていた。

 

⇒とんでもない時代ですよね。

こんなことと私とは、無関係!!!

 

ポンパドール夫人は、1721年生まれの平民出身の女性。

1745年にルイ15世の公妾となる。その後、宮廷で

権力を持ち、政治に関心がなかったルイ15世は、

彼女に政治への関与を許していたという。

体が弱かったため、後年ルイ15世と寝室を

共にすることができなくなると、自分の代りに

ルイ15世に女性を紹介したといわれている。

ルイ15世の寵愛は、1764年に彼女が亡くなるまで

続いたという。

 

鹿の園は、ポンパドール夫人がルイ15世のために

ヴェルサイユの森に築いた館のこと。この場所に

ポンパドール夫人はルイ15世の好みの女性を住まわせて

いたという。ポンパドール夫人が死去し、ジャンヌが

ルイ15世の公妾となったため、閉鎖されてという。

 

ヴィシー水とは、ヨーロッパで健康に良いとされ飲用されて

いる鉱水(温泉)水のこと。

 

瀉血とは、西洋医学で盛んに実施されていた治療法で

人体の血液を排出することで、体内に溜まった

不要物や有害物を出すことができ、健康を回復できると

いったもの。

 

天然痘は、伝染力が強く、感染したら死に至る疫病として

紀元前より人々から恐れられていた疾患。飛沫感染

天然痘ワクチンの普及により発生数は減少し、1980年代に

WHO(世界保健機関)により、天然痘の世界根絶宣言が

出されています。

 

 

スタッフ

監督 マイウェン

脚本 マイウェン、テディ・ルッシ=モデステ、ニコラ・リヴェッチ

音楽 スティーヴン・ウォーベック

編集 ロール・ガルデット

撮影監督 ローラン・ダイヤン

プロダクション・デザイナー アンジェロ・ザンパルティ

衣装 ユルゲン・ドーリング

ウィッグ ヘアデザイン ジョン・ノレ

メイクアップクリエイション、デザイン トム・ペシュー

絵コンテ マリオン・ピン

キャスティング・デザイナー サラ・テパー

1st AD フレデリック・ジェラール

プロダクション・マネージャー クリストフ・ジョフロア

音響 ニコラス・プロポスト

音響編集 アン・ギボウグ、グレゴリー・ショヴォー

カティア・ポウテン

Mix エリック・ティセラン、マチュー・トータス

 

キャスト

ジャンヌ・デュバリー/ マイウェン

ルイ15世/ ジョニー・デップ

ラ・ボルト/ バンジャマン・ラヴェルネ

リシュリュー公爵/ ピエール・リシャール

デュ・バリー伯爵/ メルヴィル・プポー

デギュイヨン公爵/ パスカル・グレゴリー

アデライード/ インディア・エール

ヴィクトワール/ シュザンヌ・ドゥ・ペーク

ルイーズ/ キャプシーヌ・ヴァルマリー

王太子/ ディエゴ・ル・フュール

マリー・アントワネット/ポーリーン・ポールマン

メルシー/ ミシャ・レスコー

ノアイユ伯爵夫人/ ノエミ・ルヴォヴスキ

アン/ マリアンヌ・パスレール

ムッシュ/ デュムソー ロバン・ヌルーチ

 

エンドロールには、

 

Okko⇒オッコは、葉山中学校同級生で田口節の

元彼女。

 

パトリック⇒パリのインターナショナルスクール高校1年からの

スウェーデン人同級生(クリスを知っている)

 

 

エリック⇒クリスの兄の友人の俳優

 

ナタリー⇒パリのインターナショナルスクール高校2年からの

フランス人同級生

 

ヴィヴィエン⇒パリ日本人学校の同級生DJ ViVi

 

ステファニー⇒パリブシャラ家の姪 エマニュエルの

ドイツ人の友人

あるいは、モナコ王国のステファニー公女

 

ジョゼフ⇒パリインターナショナルスクール高校2年からの

イタリア人の同級生

 

アンヌ⇒ブシャラ家の姪

 

ミリアンヌ⇒パリインターナショナルスクール高校1年からの

ノルウェー人同級生(クリスを知っています。)

 

パトリシア⇒NYのスタッテン島のアパートの住人であり

姉の同級生

 

メリッサ⇒クリスの兄の妻

 

ケヴィン⇒パリインターナショナルスクール高校2年の

黒人同級生(ロス出身)

 

クレア⇒パリインターナショナルスクール高校1年の

アメリカ人女子同級生 サンフランシスコ近郊

 

ジャン⇒ジャン・ブシャラ よしみさんの旦那さんが

ピエールだと嘘ついた。

 

ピエール⇒パリインターナショナルスクール高校

2年からのフランス人同級生

 

ジュリア⇒パリインターナショナルスクール高校2年からの

同級生が高校のフランス人クラスにいた韓国系の

キムだと嘘ついた。

 

この映画の中で、ジャンヌが「オランジュリー」と

言います。

⇒クリスが実在しないと嘘をついた。知らないでしょう。

ジャンヌは。

 

シャネル

 

カナダ ケベック 

 

ワイノットプロダクション

 

 

世の中には、愛人になりたがる女性がいるの

かもしれませんが、私は、嫌に決まってるでしょ!!!

 

 

 

1つ下の学年、わくたさんが撮影したもの下の画像

 

この画像と映画「ジャンヌ・デュ・バリー」のジャンヌと

角度によっては、私が似ていた???

 

何度も言いますが、私の恋愛対象は、男性です。

 

下の画像、

マーティンを撮影したのは、玉村晶子(高橋)

この写真、別にほしいと言ってないけど、くれただけ。

 

上の画像とほぼ同じ場所で撮影しています。

 

 

こちら↓ 現在の私のパリの高校の画像。

左の赤い枠の建物と私たちの写っている写真にも少し異なりますが

同じ建物残っています。(青い矢印)

 

白い部分の建物のドアの位置も変わってないです。

 

青い↓をした建物、昔と同じ建物。

 

中国の春節 辰年のお祭りを

学校で開催したようです。

 

参考元

 

 

 

話は、変わります。

 

 

こちら、パリの日本食レストラン 「美紀」を

経営していた上野厳(早稲田卒)さんから、

1999年に奥さんが亡くなったという手紙が父へ届いた証拠。

 

もちろん、私とは、無関係ですよ。

 

 

パリ日本人学校、パリのインターナショナルスクール高校同級生の

上野厳近の父と私の父が、交流していた証拠です。

 

 

 

上野憲子さんが亡くなって、長男の厳近も、日本食レストラン 美紀を

継がなかったので、お店は閉店。

 

上野の父から、私の父にクリスのことで連絡あったに

決まってるでしょう。

 

上野厳近は、クリスを知っていたのに、嘘をついた?ということ。

 

ただ、上野は、私とクリスが一緒にランチをしたり

テープを貸したりしたこと、一緒に学校から

帰ったことなど知りませんよ。

 

上野厳近は、長い間、タイに行っていたのです。

 

職業は、ジャーナリスト。

 

 

こちらは、現在でも営業している日本食レストラン「たから」

パリで最も古い日本食レストラン あしべ ファミリー

 

 

たからの長男(写真の前列一番右)が、日本の静岡のレストランで

修行していた頃、お母さんと葉山の私たちの家に来られたのです。

 

当時、長男は、日本語がまったく話せなくて、大丈夫なのかな?

と正直思いました。

 

それで、「どんな映画が好き?」と質問したところ

「ネバー・エンディングストーリー」だと

答えたことを良く覚えています。

 

 

そして、こちら↓

 

 

映画「シャーロックホームズ バスカヴィル家の犬」で

私と坂本達の間に紅という名前の娘がいるかのような

内容ですよね。

 

全くのデマです。

 

鎌倉、紅こうじ なので

子供がいると言ったのは、故平井浩二君

あるいは、パリ日本人学校の同級生坪田耕二君か?

 

紅豆腐⇒お豆腐くれたのは、D会佐野さん

あるいは、D会故酒井家

 

それから、

 

こちら↓ 福岡、博多が私が尼だと言ったってことでしょう。

 

 

ひどいですよ。

 

それで、結婚をやめるように言ったのですか???

 

福岡に夫の実家があったのは、D会故筒井夕起子さん(博多)、

藤が丘女子学生会館で一緒だったみる先輩前田香(清水・判田)

船越温子(赤染)

 

 

品位⇒ 秀 中央大学同級生松崎秀治

G⇒年寄り?だと言った。

 

生産者名前 清藤誉也⇒誉や! 澤ほまれさん?

あるいは、パリ日本人学校、パリのインターナショナルスクール高校同級生

玉村晶子(高橋)

 

何てことをしてくれたのでしょう!!!

 

大体、みる先輩は、NYのラッセルだと思い込んでたことが

信じられませんよ。