大倉集古館「偉人たちの邂逅」を

鑑賞してきました。

 

 

 

1 大倉鶴彦翁夫妻像 高村光雲(1852~1934)

・高村光太郎郎(1883~1956)合作

 

⇒ですから、いくら「ちえこ」という名前だからと

高村光太郎の「智恵子抄」と一緒にしなで下さい!!!

 

「智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、切っても切れないむかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしはうすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。
(『智恵子抄』より引用)」

「レモン哀歌」も無関係。

 

参考元

 

 

 

私は、時に自然に触れれば、大丈夫ですよ。

横浜の藤が丘や聖蹟桜ヶ丘でも暮らし、

元々NYのスタッテン島出身なのですから。

 

サンフランシスコでも、全然平気です。

 

馬鹿らしい。

 

どれだけ、こじつければいいのですか!!!

 

2 「行書七言対句軸」愛新覚羅溥儀

 

 

中国のラストエンペラーの愛新覚羅溥儀とは、

無関係です。

 

ジョン・ローンさんですか。

 

ラッセル家のジョン

 

天皇陛下が私とクリスとの結婚に物言いを付ける

なんてある訳ないでしょう!!!

 

ただ、もちろん、エリザベス女王から

天皇陛下にも話は、伝わっています。

 

これは、姉夫婦のパワハラです。

 

普通ね。結婚って言ったら。

 

眞子さんの結婚もについても、

 

秋篠宮さまが「憲法にも結婚は両性の合意のみに

基づいてというのがあります。本人たちが本当に

そういう気持ちであれば、親としてはそれを

尊重するべきものだというふうに考えています」と

述べていますよ。

 

 

こんな2007年から、閉経するまで飼い殺しにしたこと、

私とクリスに対する誹謗中傷などを映画化して

お金を盗み、私には、一銭もはらわなかったこと、

他多数の罪を犯しているのです。

 

許されません。

 

4.「行書涪翁語軸」陳宝探

⇒SEIKOの元同期陳韻如(いんちゃん)台湾

あるいはSEIKOの元部長につれていってもらった

陳建一さんのお店赤坂「四川飯店」

 

鈴木旻部長と陳さんは、親しかったのです。

 

5.「使日雑詩」鄭孝胥 (1860~1938)筆 (ていこうしょ)

⇒抵抗したってことでしょう。

 

7.「寿詩 (楷行書七言律詩軸」 喀喇沁王 (貢桑諾爾布)
 (1872~1931)筆

 

日本 「人倫の道」西晋一郎

⇒NYからの故西さんおじさんが反対した。

 

本当にもう、なんで???

 

老害なのですよ!!!

 

8. 「蒙古文の書」奈曼王 (蘇珠克図巴図爾)

水田 牧畜経営感謝

⇒モンゴルにいる父の元日商岩井の同僚の娘が

遊牧民のモンゴル人と結婚していること。

実は、TBS「世界の日本人妻は見た!」に出演されたので

電話がかかってきて、私は、母と父と見たのです。

参考元

 

 

 

それから、モンゴルに両親がいた中央大学同級生樫山真弓(豊田)ちゃんらが

そのような、貧乏人だと勘違いしたってことでしょう?

 

ないですよ!!!

 

どうしてそんな話になるのやら?

 

⇒TBS「VIVANT」作成

 

9.扇面「鵬程万里」・蓮池美人図
王揖唐 (1877~1948)書
陳少梅 (1909~54)画

 

架空の大鳥

⇒クリスが実在しないと言い出す。大嘘

 

10.「汪啓淑の所用印」姓名印、遊印

⇒遊び人なんて嫌いです。

 

能面 扇⇒クリスは、普通の男性です!!!

無礼!!!

 

「獅子舞図」(『雑画帖』のうち) 

英一蝶(1652~1724)筆

 

⇒姉の榊原家

 

11.「行書千字文巻」 徐世昌 (1855~1939)筆 

「森羅万象」とは、

「森羅」は樹木が限りなく茂り並ぶことであり、

「万象」は万物やあらゆる現象。

なお、「宇宙」はあらゆる存在物を包容する

無限の空間と時間の広がり、及び宇宙空間を指す。


12.書額「博愛」 孫文 (1866~1925)筆 

陸軍首脳 三井 高田面会 田口先生

向島晩餐会

⇒葉山小・中学生田口節だと勘違い。

慶應義塾大学法学部高田先生他

 


13.『鶴壽南山録』 秋元雄治 (生没年不詳)

金婚式 贈答品 夫88歳、妻68歳

⇒年の差婚だと誤解する。

私の中に、年の差婚は、ありえません。

 

吐きます。

 

16.「古書 (隷書四言聯)」 伝金農 (1687~1763)筆 

⇒お金目当てだと決めつける。

いいえ、お金目当てではありません。

純愛です。

 

17.「寿詩 (行書七言絶句軸)」 朱慶瀾 (1874~1941)筆

⇒絶句する皆。

失敬!!!

 

18.「寿序 (行書七言律詩軸」 張謇 (1853~1926)筆 

富民明治祝 天皇

 

19.「寿詩 (篆書七言絶句軸)」 程克 (1878~1936)筆 

程克 (ていこく)という人は、日本通だった。

 

⇒クリスの妹のクリスティナの夫ジェームスは、

日系

 

21.「寿聯 (篆書八言聯)」 呉湖帆 (1894~1968)筆 

永遠性 心願する 鶴彦先生

 

 

22. 弔旗「靍馭興悲」張作霖 (1875~1928)寄贈

 

 

 

靍 (=喜八郎氏)が逝き悲しみがおこった。

 

23.弔旗「普天同吊」 蒋介石 (1887~1975)寄贈

慎んで死者を弔う。

 

24.「挽聯 (篆書長聯)」 張学良 (1901~2001)筆

喜八郎一周忌記念

 

 

26 詩書巻「本阿弥光悦 (1558~1637)筆」

 

日蓮 「立正安国論」と混同

 

光悦流れとして、狂歌の流れ

 

 

27.「楽天切貼恵比寿に鶴彦翁狂歌」

大倉喜八郎 (1837~1928)書
北沢楽天 (1876~1955)画 

 

玉だすき、掛けて働く恵比寿どの 赤めの外に

幸い釣竿

 

藤野霊平宛書状「雲平筆」制作筆師

鶴彦 藤野先生へ

⇒ご近所の藤野さん


28.「新発田大倉製糸工場のために」

 大倉喜八郎 (1837~1928)筆

鶴彦の紀念の製糸千代かけて

長く栄えよ 此里とともに」

⇒あの、子どもも作らせてもらえず

ここまできて どこが栄えるの?

 
29.「蓮下絵百人一首和歌巻 (複製)」

本阿弥光悦 (1558~1637)筆
俵屋宗達 (生没年不詳)下絵

 

関東大震災で焼けた作品を複製

 

 

30「感涙会の歌」

 

 

31.『鶴彦翁翰墨遺蹟集』 大倉喜八郎 (1837~1928)筆

大倉高等学商業学校(東京経済大)20周年

私財50万投じる。石黒忠悳 渡辺洪基

渋沢栄一

 

⇒お金使い込んだのでしょう。

 

自助努力誠意 降伏を授ける神やまもらん

自助努力と誠意ある人

 

 

32 「鶴彦翁赤石山登頂の歌及
写真 」大倉喜八郎 (1837~1928)筆 90歳

 

南アルプス 赤石山登山

 

33.「鶴乃とも」大倉喜八郎、田邊浩

⇒つるの剛士さん

 

徳川慶喜 山縣有明 松方正義による

 

⇒D会山形安部清の故長男よしのぶさんのような

不倫だと勘違いする。

 

34.「狂歌 鶴彦集」大倉喜八郎、畑徳三郎

幸田露伴、原宏平

 

⇒狂った。

 

35.「狂歌 あふひ岬」門野重九郎

七回忌 野崎

 

36.「襲名の事」 大倉久美子、門野正二

 

小池藤五郎殿へ

 

 

39 大倉喜八郎所用印

「岡部香塢 (生没年不詳)、
天池居士瀞 (生没年不詳)ほか刻」

 

40 「大倉喜八郎・喜七郎所用印」石井雙石 (1873~1971)刻

 

⇒今度は、フランス人モデルのトニオロ・ロマ

ハンコ王子だと勘違いする。

 

ある訳ないでしょう!!!

 

四絶 呉 昌 硯

 

41.『續缶盧榑桑印集―天下唯
一東魚大人自筆原拓本』 松丸東魚 (1901~75)編

早稲田大学會津八一
記念博物館蔵

 

42.墨「清籟入雲」 

SEIKO元同期の鷲見ちゃん

 

嫉妬したすみちゃん

 

 

43.「大倉喜七郎所用印」関野香雲刻

関野は、武田霞洞や足達ちゅうそんに師事、

日展会員 能書家 有栖川宮熾仁親王

久美子の従叔母たるひと妃 薫子

 

⇒昔、有栖川宮と名乗った詐欺事件があり、

それと同じだと思った。

 

失礼な!

 

参考元

 

 

いいえ、私の家は、薩摩藩の島津家(嶋津)です。

 

◎「銹絵寿老図六角皿」 尾形光琳(1658~1716)画、
尾形乾山((1663~1743)作 

⇒故緒方貞子さん

 

 

 

45.「端渓石瓜瓞硯」かてつけんたんけいせき うりの形

 

46.「田黄獅子鈕印」 (無刻印)

⇒姉の榊原雅彦

私を売ろうとした。

 

狂ってる。

 

47 「於日露交渉所感詩」 伊藤博文 (1841~1909)筆

 

金子堅太郎が渡米を承諾。

 

⇒葉山小・中学生同級生伊藤知恵子の夫と

D会金子智宏が伊藤博文と金子堅太郎の

関係あると嘘をつく。

 

無関係です。

 

詐欺罪です。

 

48.「春畝公所感詩に対する和韻詩」
金子堅太郎 (1853~1942)筆 


49.「春畝、溪水所感幅の由来書 」大倉喜七郎 (1882~1963)筆
金子堅太郎 (1853~1942)筆 

 

⇒金子ほしがる。その後 喜八郎へ

高松宮宣仁親王の裁定 金子子爵

 

⇒D会の金子一家は、こんな家がらではまったく

ありません。

 

ただの詐欺師であり、どろぼうです。

 

50 大倉定七墓碑銘並びに識語
渋沢栄一 (1840~1931)筆 

51.「六然訓」 勝海舟 (1823~99)筆 

 

「自ら処するには、超然とかまえ、人に対しては

和やかに、有事があれば毅然として、何事もないときは

心を澄まし、失意の時には、うろたえない。」

 

篤姫も嶋津家ですけどね。

彼女には、結婚したい相手もおらず、

自ら尼僧になったのですよ。

 

私は、尼ではありませんし、結婚したい人が

いるのです。


52 .「昭憲皇太后の和歌」 東郷平八郎 (1848~1934)筆 

明治天皇皇后 偲んでかえりみて、心にとはば

見ゆべきをただしき道に何まよふらむ

 


53.「 静夜の詩 」西園寺公望 (1849~1940)筆

静寂に一人、うれいを払い士気をふるいたたせる

 

54 一行書「静坐庭軒寄興長」 有有栖川宮熾仁親王 (1835~95)筆 

 

 

55.「和歌短冊」有栖川宮熾仁親王妃 董子 (1855~
1923)筆、有栖川宮威仁親王妃 慰子 (1864~1923)筆
 

露夜虫庭〇のつゆにぞもれてなくむしのこえにも

袖をぬらしる哉 薫子 歳暮 あら玉の

ことしもくれぬ花といひ。月といひしは

しのぶと思うに 慰子

 

56.「大倉聴松翁頌徳碑文」 大崎新吉 (1888~1978)撰
松本芳翠 (1893~1971)書

大倉喜八郎死

 

57 「録沈石田安居歌」松本芳翠 (1893~1971)筆 

 

日下部鳴 鶴

⇒パリにいた時、父と懇意になった画家

日下部美樹史さん

のような画家だとか、年寄りだと

勘違いする。

 

参考元

 

 

 

大倉聴松翁頌徳碑 大崎新吉 (1888~1978)撰
松本芳翠 (1893~1971)書

 

歌会始

 

58 宸題「河水清」 大倉喜七郎 (1882~1963)筆

 

参考元

 

 

 

59.「戊辰書道會〃頭之印」 日本 昭和3年 (1928) 

高塚竹堂 吉田 松本芳翠

 

分離独立

⇒それは、ありません。

 

D会が変わるだけ。そこに齋藤幸範会長らはいません。


60「 煮梅花図」 大倉喜七郎 (1882~1963)書
川合玉堂 (1873~1957)

梅花を煮るの図 なべ煮る絵

 

⇒男梅なんでひどすぎます。


61「 朝窮数理の詩」 大倉喜七郎 (1882~1963)筆 

あさすうきわめる 理想楽器 大倉開発


62. 仙石原 大倉喜七郎 (1882~1963)筆
松本芳翠 (1893~1971)添削 

俵石閣 仙郷楼

箱根温泉供給(株式)設立 大倉組

澁澤、三井、益田3家


偶感 大倉喜七郎 (1882~1963)筆

松本芳翠 (1893~1971)添削 


63 「流水・清風」対聯 谷村憙齋 (1922~2008)筆 

鬼才 大倉商事⇒ パリ日本人学校の同級生

パリのインターナショナルスクール高校同級生

玉村晶子(高橋)の父の元会社(倒産)

⇒谷村新司さんの支配


64 『観月集』 大倉喜七郎 (1882~1963)編 

観月会 

観月ありささんのような事件

あるいは、D会故筒井家の姪のありささん

黒人と離婚している。黒人ではありません。


65 『南汎集』 大倉喜七郎 (1882~1963)編 日

タイ国王ラーマ7世 招待訪問

⇒タイのように仏さまを中心としたものへ。

 

特別出品「山水蒔絵硯箱 」


66 「行書王之渙涼州詞軸」 王一亭 (1867~1938)筆 

上海 仏教信者

⇒D会三浦有子(長田)の上海の会員

あるいは、王貞治さんのような年寄りだと

勘違いした。

 

図録のみ 「行書五言聯」 王一亭 



67 「月夜度函嶺」 田辺碧堂 (1864~1931)筆 

汽船 為三郎 倉敷塩業

⇒倉敷にいたのは、米田の孫の猪俣家

 

⇒D会は、私を試したのですけど、

そんなのサンフランシスコ行ってからでも

できましたよ。

 

こんな酷なことをして、私を不幸にして

あなたがたが幸せになれませんよ。

 

箱根の月 うたったもの

国分青〇 影響


68 返礼の詩 若槻礼次郎 (1866~1949)筆 

えんかい るいかん

渕鑑類函

 

⇒縁ですよ。クリスとは。


69 「暁発白河城」 宮島詠士 (1867~1943)筆 

 


70 「望赤石山」 仁賀保香城 (1877~1945)筆 

にかほこうじょう 赤石山 大倉組の山


71 『東華』60集 土屋竹雨(1887~1958)編・発行 


72 『謡曲二百十番絶句』 木村芥舟(1830~1901)筆、仁賀保
香城 (1877~1945)編・発行 

 

土屋竹雨  皆 絶句


73 『大正五百家絶句』
内野悟(生没年不詳)・仁賀保香城
(1877~1945)・土屋竹雨(1887~
1958)編・発行

 

皆、絶句。
 

皆、クリスとのことが事実だったことに

絶句したということでしょう。

 

私たちは、純愛です。

 

当たり前でしょう。

 

これほど、長い間嘘ついたり、作り話

するなんて、異常ですよ。

 

事実です。

 

これだけ残酷で無慈悲なことしておいて

お詫びさえできませんか?

 

 

 

 

参考元

https://www.shukokan.org/Portals/0/images/exhibition/history/2023/20231115_sho_list3.pdf

 

大倉と言えば、大倉山に実家があったのは、

中央大学同級生松崎秀治

 

SEIKOの元同期の木村洋子(大倉)

 

財務省(旧大蔵省)に夫が務めて

いるのが、パリ日本人学校の同級生藤城智子(市川)さん

 

倒産した大倉商事に務めていたのが

パリ日本人学校の同級生、

パリのインターナショナルスクール高校同級生

玉村晶子(高橋)の父。

 

 

それから、落合さんからもらった

紙袋

 

小学校の頃、ボリショイサーカスを

多摩動物公園の近くで見たことが

ありましたが、だから?

 

 

それは、単なる思い出話です。

 

まさか、サーカスの団員だとかって

思ったってこと?

 

そんな馬鹿らしい。

 

逃げてしまったセキセイインコの

写真がありました。

 

 

このセキセイインコと同じ色の

雄のセキセイインコを逗子にいた頃

私の家では、飼っていました。

 

最初は、番いで黄色いセキセイインコと

いたのですが、卵を産んだのですが

温めなかったため、卵はかえらず…

 

そして、黄色いセキセイインコは

亡くなったのです。

 

かわいそうだったので、今度は、

メスのグリーンのセキセイインコを

飼ったのですが、また、先に

亡くなってしまったのです。

 

ということと、こじつけたのでしょう。

 

また、くだらない。

 

私は、ずっと独身のクリスと

結婚するのです。

 

 

 

先日、斉藤孝さんの本に記載されていた

「時間とは最高の殺人者である。
──
アガサ・クリスティ」

その通りだと実感しています。

 

参考元