久々に櫻坂46のMV見ました

「何歳の頃に戻りたいのか?」

相変わらず櫻坂になってからのオシャレさとか

洗練されたクオリティとかダンススキルは流石です

徐々にファンを増やしていってるんだろうなって

思います

あのロックな感じは

あのギターのガシャガシャ掻き鳴らす感じは

共通のイメージとしてシリーズ化されてるんですかね?


欅はピアノのイメージが強いですけど

ガラスを割れでさえギターがあんなに前に出ては来てないですからね

サイレントマジョリティはちょっとありますけど

でもあの強い低音のギターは櫻坂特有ですね


洗練されてるし

カッコイイし

オシャレだし

ダンススキルも高いし

スタイルも良い

『見せ方』が上手ですね


それに比べたら欅時代って…全然だったように感じます


でも

でもあの『熱狂』は…

あの時は何がそうさせてたのでしょう★


同じ曲を欅だったら

どう料理していたのか

当時聴いたらどう感じたのか


何が違うのか不思議で仕方ありません

平手さんの声?

ダンス?

表情?


何なの?


『上手い』のと『伝わる』のとは

イコールではなくて別っていう事なのか?


創成期特有の熱狂だったんですかね?

今は成熟期なだけとか?


もしかしたら

単純にたまたま良い楽曲ばっかりだったから?


…そうとも思えないですよね

今回の曲だって

欅時代にやっていたら

神曲に"感じて"いたのかも


例えば周りの凄いクリエイター達の力をそぎ落としたらグループに何が残るのか

櫻は相当努力しているであろうダンス"スキル"かな

欅は?

そもそも平手さんがクリエーションにかなり首を突っ込んでいたし

そこにさらに怨念みたいなエネルギーが乗っかっていました

そんな自分達の手垢がベタベタ残っていたから?


あぁわからん

誰か教えて


櫻坂ってカッコ良さって大事なテーマになってるんだと思うのですが

1つ欅の格好良さと違うなと思うのは

平手さんを見ていると

カッコ良いと思われるための表情を(表現の手段として)出しているのではなくて

何か違うものを表現しようとした結果

カッコ良く見えていたような気がします


同じく

悲しい表情をここで出そうとしているのではなくて

何かを表現しているなかで悲しくなったのでは

と感じてしまいます


楽曲を表現するために

この歌詞だからこの表情だなって考えているのではなくて

楽曲の世界全体を表現しようとしているなかで

色々な感情が表面化しているだけのように感じます


それが

平手さんの表現は凄いとか

憑依してるとか言われる所以なのかもしれません


歌詞と表情(ダンスでも良い)が一対一の関係ではなくて

複雑に絡み合ったものとしてあるみたいな


この微妙な違い

分かってもらえますか?