日本各地の神社にお参りさせて頂く機会が増えて解った事がある。



パワースポットに作られた神社と、



人の想いから作られた神社がある。




お寺は殆どが後者の役割を果たしているものが多い。


中にはパワースポットに作られたお寺もある。



お寺は人の想いから作られているものが多いため、ちょっと私にとって重い所が多いから、



なかなかふらっとは立ち寄らないし、



急に伺ってもお寺の方で、何?、という他者を拒否する氣が出ていたりするので。



というわけで今のところ神社についてに事に限定して。



パワースポットに作られた神社は、文字通りパワーが吹き出している所だったり、


エネルギーの流れが変わっていたりする場所で。


お願い事を叶えてくれる、と言うより、チャージスポットと言う意味合いが強くて、


個人的なお願いとかはあんまり関係ない。



自分の中を整えるのにはとても良い。



ただ多くの人が訪れているので、その辺の思念も沢山落ちてるから、


あれこれ引っ付けてきてしまう可能性もある。


どういう状態かは、お参りに来ている人達と、


神社をお守りしている人達を見れば察しがつく。




お祓いをする事は悪くないけれど、


自分の状態が悪ければ、


すぐまたくっつく。


でもしないよりマシだと思っても良いし、



それをきっかけに精進して、


そういうものがくっつきにくいようにしていく事も出来るから、


無駄ではないと思う。





お祓いが出来るのは神社ばかりではなく、



お寺でも出来る。



どちらも力がある神主さんかご住職出ないと効果が薄いのは確か。




効果があるかどうかは、



個人の在り方に掛かっているから、



なかなかわからないことが多い。



人の想いから作られた神社は、



その想いが核になってエネルギーフィールドを形成している所が多い。


そこにパワースポットのエネルギーをうまく取り入れている所もある。


いずれにしても、想いが先。


その想いと共鳴すれば、


何かしら御利益があるかもしれない。



割と土地に根ざしたものが多いので、



土地の人優先な気がする所が多い。



想いによっては土地が関係しない事もある。


いずれにしても、成り立ちの基である想いを感じてそこに敬意を払う事無しに、何の御利益も得られない。







そして魔とは、




人のネガティヴエネルギーの成れの果て。



もしくはかつて人だったもの。



同じようなエネルギーに集まり、



魔と呼ばれるまでに成長してしまった。




元は無邪気な欲であったり、



願望であったりしたものに



執着がまとわりつき、



妬みから恨みに



期待から恨みに、



怨念と呼ばれる念に成長して



怨霊となり、魔と呼ばれるまでに成長する。



誰もが持ち得るもので、特別な人に取り憑く訳でもない。



要は自分の欲と魔を切り離せることが出来れば良い。






その為に、パワースポットで清浄なエネルギーの助けを借りても良いかもしれないし、



お祓いをしても良いかもしれない。



瞑想も良い。



ただ常に己を見続ける事(内観)が必要。



自分の在り方を問い続け、



成長し続ける事。



その意識が無ければ、魔に侵食された状態でパワースポットを訪れても、


同様の魔を憑けて帰るだけになってしまう。



神域は自分で自身の中に作るものなのである。




人はそもそも神の御魂を分けて在り、現人神でもある。



自分の勤めを自ら怠っておいて、他の人に頼んだ所で誰も手を貸してはくれない、と言う事だ。



神々の力を借りたいなら、相応の精進が必要であると言う事。



パワースポットに行き、自らのエネルギーを一時的にあげたり清めても、いずれ元に戻る。



沢山の神社とお寺訪問からの教えでした。