障害ゆえに「歩けるようになりたい」「車いすでなければよかった」「普通になりたい」と障害を克服しようと必死に努力されていたところから、だからこそ経験する多くのことから「歩けなくても、できることがある」と変化していく中で、「歩けないからこそ、できることがある」との気づきに至る様子が描かれています。
垣内さんは、人がそれぞれ持つバリアは、本当に克服しなければいけないのでしょうかと問います。
障害を無理に克服するのではなく、そこに価値や強みがあるのではないか。
特別なことをしていないのに賞賛されたりする感動ポルノの対象ではない、つまり情けや泣き落としのような誤ったものを武器にするのではなく、信頼、納得、共感が大切との訴えは納得がいきます。
ハードは変えられないとしても、人のハートは変えられるとも、もし、私の行きつけとなった欠損バーを垣内さんが事業として展開したらどうなるのかな。
彼とは違うアプローチだが、欠損っ娘たちも時同じくしてバリューを打ち出しています。
ある種、愚行をもバリューに変えていくことを世間が受け止められるのかも問われていくのだと思う。
彼の率いるミライロも、れいわ新撰組の2議員の誕生とも合わせて、世の中が様々なスタイルで、バリアバリューを認識していく時に誕生すべく時だったのかもしれない。
