前回の記事では、似た学問分野の古生物学と考古学を取り上げた。 それぞれの分野で興味ある新発見が続き、太古の地球の新たな様相が徐々に解明されてきた。
ところが日本の考古学においては、このような新発見に対する新たな見解、概念を考察することなく、既成の枠組みに無理やり押し込む姿勢があることを指摘した。 その例が富雄円山古墳から出土した3m近い蛇行剣と大型の盾型銅鏡である。 これらの国宝級の出土品を、考古学者はヤマト王権という規定路線に乗せて説明を試みている。民衆の前に長大な剣をかざして、王の権威を表す。 今まで見たこともない形の銅鏡は ヤマト王権があったことによりもたらされたものだとする。 しかし考古学者はそれらの逸品が富雄円山古墳から出土したことに違和感を覚えないのだろうか。
奈良市にある富雄円山古墳は直径109mの円墳である。 現在の奈良市は飛鳥時代の中心地の飛鳥や、卑弥呼の王宮があると考古学者が声高に叫ぶ纏向の地より北に外れた地である。
ここにある、それほど大きくない(109m径)の、しかも円墳がヤマト王権とどのように関係するのか納得いかない点が多い。
まず大きさである奈良市にある佐紀盾列古墳群には、全長275mの神功皇后の陵墓とされる五社神古墳を筆頭に200m級の古墳が多く存在する。 109mの富雄円山古墳では、大和の王の権威を示す墳墓とは考えにくい。 仮にこの円墳に前方部があったと考えた場合150~200mほどの前方後円墳となるが、それでも古墳の順位から言えば30~50位程度であろう。
次に古墳の解説書によれば、古墳には格式があるという。 最も格式が高いものが前方後円墳で次いで前方後方墳、3位に円墳、その下に方墳となっている。 格の低い 円墳から、国宝級の珍品が出土したことをどのように理解すればいいのだろう。
この古墳の格式について私は疑問に思っている。 天皇陵と思われている(が実際は根拠に乏しい)前方後円墳を一番格上だと考えたのだろう。 しかし格下の円墳から貴重な出土品があったことを、歴史学者は真剣に考察すべきだろう。
では蛇行剣と盾型銅鏡の用途は何だろう。 まず剣について考えると、全く実用的ではない。 武器として考えるならば1m 以下の剣が使用に耐えられる。 柄の部分を考えると3m近い剣は武器ではない。 このような場合、歴史学者は祭祀用と考えることが多い。 しかしこのような長大で重い剣は奉納されても扱いに困るだろう。 権威を示すために王が民衆の前で捧げることを想像する者もいるが、脆弱な体力の日本人に3mに近い鉄剣でそのようなことができるか疑問である。
盾型銅鏡について用途を考える。 通常銅鏡は円形をしており、その反射光が日輪を象っていることが重要だと考えられる。 つまり古代神道の太陽崇拝を反映して、太陽の力を内在する神器として尊ばれたのだろう。
ところが盾型の銅鏡には神器としての要素は見いだせない。 この鏡は本来の用途 つまり顔や姿を写す道具と考えるべきではないだろうか。 60cmというサイズも姿見に適しているようだ。
富雄丸山古墳から出土した名品、蛇行権と盾型銅鏡を考察すると、大和王権の政治権力や祭器としては関係が薄いのではないかと考えられる。 この古墳の被葬者は経済的に裕福な豪族で、珍品を集める好事家というとらえ方もできるだろう。 奈良盆地から古代の遺物が出土する度に、無理やりヤマト王権と関連付ける事はやめたほうがよい。 一歩引いてより多くの可能性を探る姿勢がほしいと思う。