私、大津荒丸は古代史エッセイ「いにしえの散歩道」に続き、
小説「信長想記」
を刊行しました。 巻頭の辞には次のように書きました。
これは織田信長のifの空想物語ではない。
これは織田信長のifの歴史小説である。
もしこの男が生き続けていたなら、
日本史、否、世界史が変わっていただろう。
「ifの歴史小説」という矛盾した表現をあえて用いました。 本来、歴史小説は歴史上の著名な人物や出来事を、著者の思想に基づいて解釈し、想像を膨らませて記述したものでしょう。 残された古い記録をもとに、登場人物が、どのような考えで行動したかを推考することにより、歴史小説は成り立ちます。
また 史実と史実の間の空白期間に関しても、彼ならばこのような行動を採るだろうとの予測のもとに、登場人物の人生を埋める作業も必要となります。 史実のみを追ったのでは単なる歴史人物評伝に過ぎなくなるからです。
著者が「ifの歴史小説」と表現したのには、この点との類似性を考えたのです。 史実と史実の間でなく、重要な史実の一時点から起こり得た未来を、著者の思想に基づき 登場人物の取るべき行動を予測し描くことも、歴史小説の手法でしょう。
この発想から、「もし本能寺の変が不発であったなら」という仮定の上に立ち、織田信長を中心とした登場人物の行動を、1582年6月2日(本能寺の変)の後の約7ヶ月間を追跡した試みが本著「信長想記」です。
明智光秀が信長の襲撃を思いとどまったことから始まる信長天下布武の道を、主に毛利一族との関係を軸に話を進めました。 その翌年の正月には、信長の行動原理から考えられる天下統一の布石が打たれていく様子を示しました。 さらに信長政権の将来予測を著者の希望を込めて描きましたが、これには賛否両論が起きるでしょう。
歴史、特に戦国時代に興味のある方は、是非信長が天下統一に至る道の一歩をご堪能ください。 全く異なった仮想の歴史を感じていただきたいと思います。