古生物学と考古学はよく似た学問分野である。 地中より遺物(化石)を掘り出し、過去の歴史を推考する学問であり、近年新たな発掘により長足の進歩を遂げている。
古生物学、特に恐竜に関する分野でも次々と新発見が見られる。 爬虫類と同様の変温動物と思われていた恐竜が、体温を保つ定温動物だとする見解はかなり前に示された。
草食恐竜の全体骨格の化石が見つかると、その腹部あたりに複数個の石の塊が見つかることが多く、シダや針葉樹の葉をすりつぶす役目を持っていると考えられた。 焼き鳥屋で人気のある砂肝(筋胃)と同様の機能である。
巣に並んだ卵の化石が発見され 、周辺の成体の化石の分布状況から子育てをしていた事実が類推された。 羽毛のある恐竜の化石も見つかり、もし防寒に有効ならその生活域も寒帯にまで広がる可能性も論じられた。
鳥類への進化に関して、「始祖鳥」の化石が鳥への進化の中間体と考えられていた。 しかし羽毛の発見により、滑空から飛翔への進化の道筋が分かり、現在は鳥類が恐竜の生き残りの種であると説明されているようだ 。
他方、考古学においても新知見が多く見られる。 例えばヒッタイトに関するものである。 我々の知識では鉄製武器の発明により、ヒッタイトはアナトリア地域(トルコ)を席巻したことになっている。 しかし近年の発掘によりヒッタイトの支配地において、鉄製武器の出土は少なく、鉄は主に装飾用に用いられたことが分かった。
鉄製武器はヒッタイト帝国滅亡後、製鉄技術が拡散した地方で作られ、使われるようになったようだ。 ヒッタイトは文化の高さによって、近隣を従えていたと考えられている。
石器時代の概念を変える驚くべき発見があった。 定住遺跡である。 石器時代は狩猟による移動生活を行っていたと考えられていた。 ところが複数の住居跡がある 11000年前の集落と見られる遺跡が数カ所発掘された。 それはユーフラテス川上流をさらに遡ったトルコ南東部の国境近くにあり、宗教的意味を持つと考えられる彫刻を施した巨石モニュメントも存在した。
狩猟対象にとなる獲物が数多く生息していたので、定住が可能だったのだろう。 太古のメソポタミア文明へ至る一つの道とも考えられるが、今のところそれは飛躍しすぎかもしれない。
翻って我が国の考古学を考えよう。 最近の新発見は奈良市にある円墳の一つ、富雄丸山古墳の造出しから出土した長さ3mに及ぶ蛇行剣と盾型をした大型銅鏡である。 どちらも今まで見ない遺物であり、いずれ国宝に指定されるだろう。
この大発見に歴史学者たちは色めき立ち、幻のヤマト王権の権威を示す証拠だと考え、王権の長、すなわち天皇が3mほどの蛇行剣をかざして、権勢を誇示したのではないかと空想した。 このように日本の考古学は新しい遺物が出土するたびに規定路線のヤマト王権と結びつけようとする。
しかしそのような一面的な思考方法が、どれほど古代日本の実像に近づく選択肢を狭めて、混迷に導いていることを理解していない。 前述した2つの国宝級の珍品の出土した富雄丸山古墳について考えてみよう。
この古墳は4世紀後半に作られたと考えられる。 径109mの比較的小型の古墳で、大きさから言えば古墳のベスト100には遠く及ばない。 しかも前方後円墳でなく円墳である。 この古墳から今まで類を見ない3m近い鉄剣と60cmもある盾型銅鏡が出土したのである。
このことに歴史学者は違和感を覚えないのだろうか。 巨大前方後円墳がヤマト王権 存在の理由の一つに挙げられているが、権威の象徴だと歴史学者の夢想する鉄剣が、なぜ小さな円墳から出土したのか。 この矛盾に気づかないのだろうか。
この点は宿題として残されるが、歴史学者の非論理的な空想癖には困ったものだ。