この「番外編」と称した項は、作者 日家 昇の考えを、その章のタイトルに則したテーマで毎回の章の終わりに書いてきたものです。

       第一章は「鷹がトンビを産む」

       第二章は「自分の進路は己が決める」

       第三章は「これだけは言っておきたい」

    そして第四章は「個人で起業する場合の掟とは」

       第五章は「難病に打ち勝つ法」

というテーマで、第五章以外はよく云われる「How To」ものではなく、作者の考えを書いたものです。特に今回の番外編の私見は、SNSを利用し、個人で起業してやっていらっしゃる方に是非読んで頂きたい内容だと思います。

 

 末永くSNS上で「自己繫栄」して頂きたく、お祈り致しまして、本年1月1日から始めましたこの私小説は途中ではございますが、一度終了させて頂きます。7カ月に渡り「いいね」、さらに「フォロワー」になって頂きました皆様には御礼申し上げます。

    

          本当に「ありがとうございました」

    

 もし、この作品が本になった暁には、皆様にご報告させて頂きます。今後とも

宜しくお願い致します。

 

 

     番外編「個人で起業する場合の掟とは」


 そのビジネスが「儲かる」から個人事業主になるという事は、当然の事です。しかし、余りにも露骨に「儲ける」ことに固守しすぎると、そのビジネスは長続きせず、途中で息切れを起こしたり、自らの首を絞めて「廃業」する事にもなり兼ねません。

最近では個人でパソコン一台持って「起業」する人も増えていますが、「儲かるからやる」という自分本位のスタンスでは、当初は上手く滑り出しても、まず将来に向けて成功する事はないでしょう。

 第一に起業する前、最初に考える事は「これからやろうとしている仕事は、何のために会社を起こしてまでやるのか。そしてそのビジネスは『他人様の為になるのかどうか』という、判断をすることが一番大切な事だと考えます。つまり、仕事には常に「ねばならない」という気持ちでやれる仕事にこそ「価値」がある。

その反対に「まず自分が儲ける為にやる仕事は絶対に継続できない」と断言します。

 なぜならそこに「お客様第一」という気持ちがないからです。「奉仕の精神」が全くない人の仕事は長続きしません。世の中には、始めた時からずっと儲かる仕事(商売)など在りはしません。

 

 それを如実に表しているのが、私事の事例で恐縮ですが、S社を辞めて、独立して同業を始めた人間の行く末を見てそう思うのです。まず、結論から申し上げると3年以内に廃業に追い込まれる人間が90%以上でした。

 

 大体にしてなぜ起業したのか? 商品の粗利を考えてそんなに儲かるなら自分で仕入れて、いま担当しているお客さんに、個人商売で…と考えると、

(ウヒョ―!一か月で100万円売れば今の給料の倍近くが自分の物になる」と。単純にそれだけの独りよがり的な発想で起業をしてしまう人が多いのです。

 現実は売上目標500万円。でいて月収が30万円。片や100万円売ったら50万円~60万円の収入がある。もしそれが一ヶ月で500万円売れたら250万円以上の収入になる。それを一年通したら3000万円の収入になる。確かに計算上はそうなる。さすれば、一国一城の主になる事が沸々と湧いてくるのである

 しかし、それは大いなる錯覚なのである。収入=給料ではない、という事に気が付かないアンポンタンの輩が結構居る。必要経費は? まず呉服や宝石を委託で貸して貰う為の資金を用立てるのは。その他にも営業車等々で事業をスタートする為の資金(=資本金)をどう調達するのか。少なくとも300~400万円は最低必要だ。

 自分の生活の糧を仕事によって得るという事は勿論だが、そこにエゲツナイ利益を乗せて、短期間で金持ちになりたいなんて考えて、それがビジネスの醍醐味だなんて考えている奴は、その時の景気の良し悪しに関らず、一年としてそんな「商い」は続かない。

 お客を新たに作る必要がなく、商品を借り入れる(問屋筋に100万円程度を支払えば呉服なら上代で200~300万円程度の商品を借りることが出来る。)手立てさえあれば、まず初回はお客も応援の為、ご祝儀で購入してくれるかも知れない。

 その他にも「商い」には販売費が掛かる。来場記念品だってタダではない。まして招待販売はお客一人2万円~5万円掛かる。そういう経費は?  その手配は誰がやるの?   パート務めをしていた奥さんを辞めさせて、収入源を一にする。その辺から廃業の匂いがして来るのである。

 そして、その販売の仕方が、仮にも自分が世話になったS社の商品がいかに高いかを自らが発して商いをすれば、自らの首を絞め、お客さんが離れて行き、立ちいかなくなる。そうして廃業に追い込まれれば、お客さんも同業他社に持っていかれる事になるのだ。

 

 お客の多くは、自分に付いているという自惚れで、新規顧客の開拓もせずに、S社から泥棒したお客の

ほんの一握りの優良顧客の家に入り浸る事ばかりを

やつていると、お客だって買える限界がある。又、

あるお客は、以前からS社の他にM社からも買っていて、アンポンタン君の持ってくる商品が値段は安いが、やぼっ臭い商品だと、M社になびかれ捨てられる。

まず優良顧客の売上で足場が固まらない内に、お客からそっぽを向かれ、食べて行けるような状況でなくなり、問屋に借金した金も毎月の売上から支払う、という自転車操業状態となり、最後には廃業という形に追い込まれ、酷い場合には奥さんと離婚し、借金だけが残って返せないので何処かへ‶トン面”してしまうという事も往々にしてある。

 

 そりゃあそうでしょう。そこには「ただ儲かるから」という気持だけで起業し、理念もなく、税の申告などもいい加減で個人事業主としての責任や覚悟も無い。甘ったれた「成り行き任せ」の考えで、世話になった会社の悪口を云って自分の所の商品を買って貰おうなどという貧相な考えでは、正真正銘の商人(あきんど)になんかなれる訳がなかったのである。

 

 そこへいくと、荒川支店で、当時毎月900万円~1000万円の売上を作って、レディー制度が軌道に乗る迄、年間最優秀営業マンの勲章を5年連続で受賞していた立野さんがS社を辞めて、独立して同業の商いを始めた時には、さすがに郷田社長も自分が生まれ育った荒川区で、商売を始めるという事で相当イライラしていたと聞く。

 しかし、立野さんは違った。S社発祥の地である荒川区の顧客には一切手を付けず、自分が担当していた東尾久の地域に、自分が辞めた後に配属されたS社の社員が学卒の新人だと知って、その新入社員にアドバイスをしたり、一緒にお客さんの家まで行って販売の手伝いをしてくれたりして、その営業社員が一人前の成るのを助けたのであった。

 数年後には、自宅を改修して「立野呉服店」を自宅のある西新井で開店した。その時に郷田社長は大きな花籠を対で用意して、自らがその店まで出掛けて行って「おめでとう」と云って、立野さんが影に日向に自分を育ててくれたS社の為に、退職後も身を粉にして動いてくれた事に対して「渾身の礼」をしに、立野さんに会いに行ったのであった。  

 立野さんも凄いが、社長が辞めて同業の仕事を始めた元社員に花籠を持って「礼」を云いに出かける懐の深さに、当時都内の営業店では暫くの間、その話で持ちきりになり、やがてそれがいつしか語り草になっていったという。

 その後、営業社員を3名採用して二号店を上野に出したところ迄は渉も知っている。渉がS社を辞める時まで約10年、普通にやっていたのだから、立野さんはやはりお客を大事にして商いをしていたんだと思う。 S社の商品をけなすのではなく、逆に褒めて、自分も早くS社の様な立派な看板を上げられる様にして行きたいとお客に話をしているという話がどこからとなく聞こえて来て、やはり立野さんは並みの人間とは違う、「流石だ」と、当時の荒川支店の店長をしていた森川店長がよく云っていたのを思い出す。

 

 

 昔から「欲をかくと、碌な事はない」と言うように、「欲」も度が過ぎると返って「害」になる。特に最先端を行くようなビジネスだとか、まだ人がやっていないようなニュービジネスを起業するような場合は、考え方の順番として、まず「他人(ひと)(さま)が喜んでくれるか、その後も必要と思ってリピーターになって頂けるかどうか」という事が大事なのではと考えます。

 さらにその仕事をするに当り、きちんとした理念があり、その理念に合致した通りの進め方が出来るかどうかが重要だと思います。 

 そしてその理念は仕事を軌道に乗せるためには絶対に必要であり、さらに理念は理屈ではなく、この仕事を自分が放り投げたら、大勢の他人が困る事になる。という使命感、つまりくどいようですが「ねばならない」という気持ちで身体がきつかろうが、そう儲からなかろうが、常に前向きで取り組める仕事かどうかも考える必要があります。

 自らが決めた仕事が継続して来た事で、そのビジネスが軌道に乗ったのであれば、身体がどんなにきつくても幸せを感じることが出来ます。

 

 貴方は、その仕事に運命的に出会えたのではなく、天職と言えるまで英知と勇気、そして欲張らず他人(ひと)(さま)の為に頑張ったからこそ「天職」を手中に収めたのではないのでしょうか。運命は勝手に歩いてやっては来ません。 

 運命とは、自らが「欲」を超越した努力を継続して、手に入れられるものだと思うのです。仕事の掟と

は「そうして掴んだ運命に起因し、純粋な気持ちから沸々と湧いてくるもの」であって、「理屈をこねくり回して後付けで考えて造るものではない」という事を最後に申し上げておきたい。

 

 

 この度も最後までお読み頂き有難うございました。

 

 冒頭にも申し上げましたように、本来十章迄ある

「死ぬまで生きたい」ですが、ここで、出版社に再トライをさせて頂いて、本として国会図書館に納められ、書店に並べられた暁には、また皆さんにはこのブログを通して本の紹介をさせて頂きます。

 そうして、皆様が住んでらっしゃるお近くの本屋さんをお知らせしたり、今迄歩いて来た九州、北関東、中部、東北、北海道の書店、並びにこれから歩く予定の地元南関東の書店にも、ご挨拶を兼ねてお伺いする予定でいます。

      その節はどうぞ宜しくお願い致します。

 

                                  自虐伝「死ぬまで生きたい」

                                          日家 昇