最近の僕はおかしい。 

 昨日も投稿日であることが判っていたのは、寝て起きた時までだった。起きて慌ててトイレに駆け込んで小便をしてトイレから出て来た時点で、小便と一緒に流してしまったのか、もうすっかり忘れ、4日間ため込んだ新聞の切り抜きと机の上に散乱している書類を今日こそは片付けようと行動を起こした時から、すっかり忘れ去っていた。

 片付けが昼過ぎまで掛かり、本来やらなければならないホテルのbooking(予約)に、時間が掛かりすぎ、札幌の二泊を残して、今日の午前2:30に寝床に入る迄忘れていたのである。

 今週末から、北関東~東北~北海道に、ブログに投稿中の私小説のPRに出掛ける為の準備が、前回の九州よりさらに遅れているのである。本人は」相当焦ってはいるものの、僕の悪い癖で高校生の時までの中間・期末テストの勉強が始まる頃になると、普段は見向きもしなかった小説が読みたくなって、読んでしまうのと同じ様に、片付けなんて後にすればいいのに、始めると真剣になってやってしまう性格が、まったく治ってない。

 つまり、結論を申し上げると、何が一番大事で、優先順位を付けるまでは完璧に出来るのに、いざとなると他の事に手を出して、出発間際にいつも慌てるのである。

 これは多分昔から云われる「三つ子の魂百迄も」という事で、速い話が「馬鹿は死ななきゃ治らないを通り越して、死んでも治らないのである」と偉そうに自慢しても、うちの奥さんに一言「全くねぇ~、よくそんなんで塾の仕事をやってたわねぇ~」と云われることほど皮肉に聞こえる事はないのであるが、自分も納得しているので反論の余地も無いのである。

さて、今回はもう一つの珍事をあからさまにしよう。これは本当に作り話ではなく、脚色も殆ど入れずに、実際にあった事を素直に来ただけの事だという事を断っておきます。

 

     初めての入院 (そして、またもや珍事)

 それから、一時間しても筒井さんは戻って来なかった。

 やがて夕飯になり、筒井さんのベッドからテーブルが出され、プラスチックの容器にその日のメニューの酢豚とほうれん草のおひたし、いかのレモン酢マリネ、新じゃがの味噌汁と御飯が置いてあった。

 看護婦のなっちゃんが途中途中で心配そうに二度ばかり顔を覗かせたが、筒井さんが戻ってないのを確認すると帰って行った。

 結局彼が戻って来たのは6時を過ぎていた。11月も、もう10日。窓の外は暗くなっていた。

 渉の顔を見るなり、

「七海さん。ごめんな

こんなことになっちゃって」って云うから

「いえ、こちらこそ済みませんでした」と云うと

「ふん、まったく。鮫島(担当医)も婦長もいい気に なりやがって。

 俺、院長呼べーって、医務局の応接室で散々言って やったよ。

 俺のかーちゃんの事。訴えたっていいんだぞ、

 って言ったら、鮫島のヤツびっくりしやがって」

「筒井さん、そんな事より娘さんどうしました」って聞いたら

暫く考えているようだったが、漸く

「ふん、アイツも医者とグルになりやがって

 お父さんお願いだから先生に謝って!」ってほざきやがって

「だから俺、娘におめえ迄がそんなこと言うなら

 お前と縁切るって云ったのよ

 そしたら、ウワーッと泣き出して帰っちまったよ」

「えっ、そんなこと言ったんですか」と渉が言うと、

「七海さんまで、俺の何が悪いんだよ。

 親子だから、一時的に感情的になったって

 直ぐ元通りになるさ。心配すんな」と、まるで自分に言い聞かせるように云った。(でもそれから一週間経って、渉が部屋を移される迄も、娘さんは来なかった)

 

 そこへなっちゃんが顔を出して、筒井さんの顔を見ると安心したように、いつもの笑顔になって

「ご飯食べるよね。冷たくなっちゃたから、温めて来 るね」

と云ってお盆ごと持って行った。その後姿を見て

「あの娘を見ていると、

 死んだかあちゃんの結婚したての若い時を

 思い出すんだよ。

 すごく素直でいつもニコニコして、

 優しい言葉を掛けてくれたんだよな~」そう云って、目を天井に向けたと思ったら、

「あ~あ、嫌だ嫌だ。こんな病院早く出たい。25歳に

  戻って死んだかあちゃんともう一度やり直したい」と云いながら、頭の後ろに手を組んでベッドにそのまま仰向けに寝転んだ。その目にはいつしか光るものがウルウルと浮かんでいた。

 

 

そして本当に笑えない珍事をもう一つご紹介しておこう。

 これもまた、筒井さんが主人公だ。筒井さんは「天ぷらそば事件」後、やけに大人しくなってしまい、言葉遣いも丁寧になってしまった。

 あの日、羽交い絞めにされて連れて行かれ3階の応接室で何かされたのか、あれ以来〝去勢された雄猫〟の様に大人しくなってしまったのだった。

 

 そしてその珍事は、消灯後の午後10時過ぎ、まだ「天ぷらそば事件」から一週間も経ってない夜更けに勃発したのだった。筒井さんが大人しくなってしまったのは事件の事より、処方された薬の量によるものだと素人でも分る位、その量が一気に増えた。その薬とは‶プレドニン〟というステロイド剤。それが一日40ミリ投与され続け、二三日前からロレツが回らなくなりフラフラし始め、目の焦点も次第に合わなくなりかけた矢先の事だった。

一日25ミリ以上服用する必要がある場合は、入院して投与するのが普通と言われている薬である。当然担当医の鮫島医師もこれ以上増やすのは良くないと思ったのか、その日から30ミリに落としたのだったが、時すでに遅しであった。

 

 渉はその晩、夢を見ていた。その夢は昔何処かで見た渓流の「滝」の夢だった。それは結構な音を立てて落ちる渓谷の渓流の途中にある小さな滝だった。

 

その時だった。どこからか岡本さんの声がしたのだった。渉はまだ半分夢の中だった。その次の岡本さんの声は‶完全にそして間違いなく〟渉の名前を呼んでいる

「七海さん、七海さん」

「おい、起きろ!七海さん起きろ」

「筒井さんが……」と言われ、

漸く半分目を開けた渉は、

夢の中にまだ相当部分を囚われたまま

〝はて、今は何時?ここはどこだ?〟とあたりを確認しようと眼鏡を掛け、目をきちんと開けた瞬間、目の中により、耳に入って来た床に落ちる水の音の方が気になった。そして次の瞬間、渉のベッドの足元の方に目が行った時、そこに立っている人とその人が行っている行為に、渉は一瞬、声が上ずってしまってすぐ出せなかった。何とその人、筒井さんが渉のベッドの足元でパジャマのズボンの前を開けて、何と頭を前後にフラフラさせながら、目をつぶったままオシッコをしているではないか。見ていた夢の中の滝の音はもしかして………?と思い、

「筒井さん、筒井さん」と何度も呼び掛けたが返事はなく、相変わらずオシッコの音をさせるも、まったく反応はない。

 その頃になると懐中電灯を手にした看護婦数人がシューズの音を出来るだけさせない様に、しかし相当な速足でやって来た。そうして懐中電灯の光が筒井さんを捉え、「あー」と「きゃー」の間の様な声を出して筒井さんの後から年配の看護婦が声を掛けた。

「筒井さん。そろそろ終わりますか?」

すると筒井さんが「あともう少し」と問い掛けに応えたではないか。

看護婦が「それじゃ、終わったら言って下さいね」と云うと、

「はい。今何時ですか?」と筒井さん。

すると看護婦が

「今、夜の10時半過ぎです」

「筒井さん明日も朝早いから、お部屋に戻って早く寝ましょう」と云いながら、筒井さんの肩に後ろからそっと手を置き、向きを替えさせ、二人で病室から出ていった。

その間に二人の看護婦が筒井さんのベッドが濡れてないかどうかとか、身の回りの物を整理整頓し終わった時間に合わせた様に、出ていった筒井さんがさっきの看護婦と一緒に帰った来て、ベッドに寝かされた。すると筒井さんはものの3分としない内に眠ってしまった。一端看護婦は3人共ナースセンターに帰って行った。そして今度は二人で来て、ベッドのストッパーを解除して筒井さんを乗せたまま、ベッドは出て行った。そのあと、渉の掛け布団と雑巾を持ったナースが、

「七海さんの掛け布団は取り換えましょう」と云って

新しい物に交換してくれた。そしてそれから、薄暗い中で床に散ったオシッコをモップでかき集め、最後に雑巾で丁寧に拭いて

「おやすみなさい」と云って部屋を出て行った。

 その手際の良さは以前にもそういうことがあり、トイレでしているつもりの筒井さんの気持ちに沿ったやり取りで上手く抑える事に成功したので、今回もそうしたという事だった。

渉と岡本さんと、もう一人の30歳の本来の病気が何かを教えて貰う前に、てんかんの発作を起こして別部屋に行って、やっとてんかんの症状が収まって、戻って来てまだ2日目の彼はさぞ、驚いただろう思った。

 

そこで、翌日大丈夫だったか岡本さんと二人で聞いてみたら、何と、

「前回も同じ病室の時に一度見ているので、

 そんなに驚かなかった」との返事に、聞いた我々が

びっくりしたのであった。

 

 そして最後に入院の花を飾る出来事が「ジョホールバルの歓喜」であった。

 本来このワールドカップフランス大会の切符を手にする大事な一戦は、退院して家で観ているはずだった。それが検査結果が遅れていた為、結局入院先の病院で観戦する事になった。

 

 この日(1997年11月16日)は9時消灯を病院の粋な計らいで試合が終わる迄、テレビ観戦OKが出たので各自がテレビをベッドで横になりながら観ていた。 相手はイラン。試合は前後半終了して2―2。ゴールデンゴール(どちらかがゴールを決めた時点で終了)方式で延長戦が始まった。その15分ハーフの後半も残りあと2分。

 中田がペナルティエリア付近からシュートした。それを相手キーパーが倒れ込みながら辛うじてはじいたボールを右サイドから駆け上がって来た「野人」こと岡野が右足で合わせてゴーーーール!

 この瞬間、どこからとなく各病室から拍手と歓声が、そしてナースセンターからも黄色い声が上がったのだった。この時間はこの大病院の病室がまるで、街中の居酒屋やスポーツ喫茶の如く、患者もナースもなく日本人が一体になって歓喜の渦を作った瞬間だった。

 

 しかしそんな中でも筒井さんはあの事件以来、ベッドごとナースセンター脇に連れて行かれてまだ戻って来なかった。

 

 

 今回も最後まで読んで頂き、有難うございました。

また、投稿を楽しみにされていた方には、本当に申し訳なく、謝罪させて頂きます。

「ごめんなさい。以後気を付けます」。

 

 さて、次回の投稿は5/31日になりますが、その日は出発の前日の為、5/30(木)になる事も含んでおいて下さい。つまり明日になる可能性もあるということを念頭に置いていて下さい。

それではどうぞ宜しくお願い致します。