第五章も佳境に入って参りました。この章は、誤字脱字の訂正や、加筆をしながら

自分でも読んでいる内に引きずり込まれて行く程、内容が好きなので困ってしまいます。皆さんも是非、そうなる事を期待してお読み下さい。

     

     初めての入院(リンパ節の切除?)

 

 検査はその他にもいくつかあったが、もう一つは鼠径部のリンパ節の一部を切除して生検を行うために、あそこの毛を全部剃られたことだ。

 「あそこ」と云ったら物心ついた人なら分かると思うので、飽く迄も医学用語ではなく、俗っぽい言葉で表現させて貰った。

 何と剃った人は、病院内に一軒ある床屋の親父が病室まで来て、まるで髭でもあたるかの様に、邪魔者をちょいと摘まんできれいに剃ってくれるのだった。

 その時、話したことは、一回これをやると病院から1400円貰える、という事。

 

「それじゃあ、女性の場合は幾ら」と聞くと

「聞きたい?」というから、

「うん、聞きたい。聞きたい」というと

「値段じゃなくてでしょ?」というから

「うん、値段は後でもいいからその~」というと

「値段は幾らだか分からない」というから

「どうして? 毛の量とかによって違うの」と聞くと

「いや、やった事がないから分からない」という

一番期待はずれの答えが返ってきた。どうやら、女性は看護婦がやる事になっているとの事で、渉の

「なぁ~んだ。つまんねえの」の一言でこの話は終わった。

 

 剃り終わって塩気の少ない昼御飯も終わり、ベットで横になりながらTVを見ていると、暫くして頭の上の方で「すみません」と声が聞こえ、目を向けるとちょっと太めの「太田」というネームプレートを付けた看護婦が立っていた。

 初めて見る看護婦さんで、剃ったあそこを見せて欲しいというので、

「タダじゃ見せられないな~」というと

「じゃあ幾ら払えば見せてくれるの」と僕の話に乗って来てくれた。

「そうだなあ。幾らにしようかな。

 奥さんにしか見せた事のない、

 大事なモノだしな~」と云うと

「え~っ本当? 本当に奥さんにしか

 見せてないの~?」

とまた乗って来てくれた。

 まあ、おふざけもその位にしてといった感じでカーテンをシャーっと引いたので、パジャマのズボンを降ろすと、息子君が〝こんにちわ〟と顔を出した。すると看護婦は渉の息子君を見ながらこう云った。

「それを持ち上げて、もうちょっと股を広げて

 貰っていいですか」と。そこで僕が、

「あっ良いですよ。持ち上げて貰っても」云うと

「いえ、私が触って、触り賃を

 請求されると困るので」と太田さんは笑いながら云った。

ツーといえばカーとでもいうのか、この看護婦さんと

漫才デビューしたら、結構良いところ迄、行くんとちゃうか? と思う位、ノリノリの看護婦さんだった。

 その看護婦は、僕が右手で息子君をちょいと持ち上げて股を広げると、正面に陣取り、屈みながら目線を上げて、ふぐりの周りを覗いて、

「はい、結構です。ズボン上げて下さい」と

言いながらカーテンを開け、

「手術は午後3時からです。

 ご自分で行って頂く事になりますが

 手術室の場所は聞いていますか。

 はいそうですね。3階の○○号室ですね。

 帰りは車椅子で看護婦が迎えに行きます」と

云うので、渉が

「太田さんに迎えに来て欲しいな」と云うと

「残念だわ。私、今日は早番で、

 これで仕事終わりなの」と。そう云って、  

男性患者の戯言に手慣れた様子で受け応えたその看護婦は、ニコッと笑って部屋を出て行った。

 

 手術そのものは下半身麻酔の為、医者の問い掛けにも答えられる状態で、手術前に息子君とその附随物はお邪魔と見えて、ガーゼを当てが得られて、養生テープの様なものですっかり、お腹側に貼り付けられた。そうして先生が僕の右側に立ち

「それでは始めます」と云って

もう一人の助手に、まるでドラマのワンシーンの様に、

「メス」と云い、手術がスタートした。

 手術中に〝痛い〟という感覚はなく、「あっ今、メスで鼠径部を開けているな」とか「開け終わったな」という事は分かった。

 その内、先生がリンパ節の筋を思いっ切りグイグイ引っ張ったりして多少その違和感が嫌だったが、その後10分程度掛けて、リンパ節を一個切除した。

 そうして先生は開けた部分を今度は閉じに掛かった。やがて「はい、終わりました」という先生の一言で無事手術は終了した。

 

 部屋に戻り暫くすると、麻酔が切れ右の鼠径部がヒリヒリと痛み出した。やがて、看護婦が痛み止めと水を持って来てくれたが、飲むほどでもなかったので、礼を言って持ち帰って貰った。看護婦は、

「え、本当に大丈夫ですか?」と、聞いてきたが

「うん。これくらいの痛さなら我慢できるから」と云い、そして余計なひと言、

「この程度の痛さで痛み止めを一々飲んでたら 男がすたるからね」と云って、看護婦も不安そうな顔から、

「まあ、素敵!」と、晴れやかな顔に戻って帰っていった。

 しかし、それから暫くすると、下半身がやけに熱くなり出して、数十分すると傷口がチリチリとし始め、最後には、やられた事はないが、まるで傷口にとんがらしを塗り込まれた様なジリジリとした痛みを感じ出したのであった。

 そしてその時、あの余計なひと言を云わなければ、痛み止めを飲んでゆっくり寝られたのにと、布団をかぶり、歯を食い縛って、筒井さんに悟られない様に、布団の中で、散々「己の馬鹿さ加減」に憤りを感じながら、"七転八倒"の二歩手前の"五転六倒"の痛みを、渾身の力で抑え込み、我慢したのであった。

 明け方近くになって目が覚めて、いつから寝てしまったのか?今度はその無責任さに呆れ果て、「これから、あと何十年お世話になるか分かりませんが、どうぞ宜しく」と己の身体に挨拶をしたのだった。

 

 その日は昼から奥さんが、見舞いに来てくれたが、いつもなら笑い話程度に話をして、「相変わらずバカな事してるわね〜」で終わるのだが、今回の事は笑って済ます様な話ではないし、もしそんな話をして、あとでバチが当たっても敵わないので、口が裂けても云わなかった。 

 

 今回の馬鹿げた痩せ我慢から、30分足らずのリンパ節の切除と、お袋がやった6時間に及ぶ頸椎の骨を削る手術とで比べるのもなんだが、全身麻酔で手術をしている間はほぼ眠らされていれば、渉だってその位は耐えられる。そして生還でき、執刀医から「手術は成功した」と言われたら、その喜びで術後の相当の痛さを以ってしても堪えられると思った。

 渉にとって、今後どんな手術であっても絶対に恐れないという自信と心構えが、今回の施術程度の切除とアホな痩せ我慢をした事で、構築された事は大きな収穫であった。

 

 その他の検査も、造影剤を身体に注入して行うCTスキャンや、いくつかの血液検査(風土病、その他代表的な感染病、性病、マラリア等)も入院してから約二週間で全て終わり、後は結果を待つだけとなった。これでサッカーワールドカップの予選が家へ帰って観れると思っていた。

 

 

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