この「初めての入院」はこの私小説の中でも一番長い「項」である。それだけここに登場する筒井さんのキャラが個性的であり、非常にユニークと云え、やることなすことが奇想天外で、作者が考えて作り話を作れるような想像物ではない。

 つまりここに書いた事は全て本当にあった事を書いた迄で、脚色もそう大袈裟な物はない。

 筒井さんは、数年前に奥さんを手術の最中に亡くされている。その恨みを果たすために入院したんだと云っていた。とんでもない事をやらかす背景には必ず要因がある。それは治療をする為に入院したのでり、ステロイド剤を一日に30ミリとか40ミリ投与されれば、当然、身体に異変が起きて意識が壊れる寸前の量であることは分かっている。その様な中で、二つ目の奇行は頭がおかしくなったように装って演技しているとしたら、筒井さんは大変な役者なのである。

     

     初めての入院

 

 それこそ、生後9カ月で消化不良を起こして入院した事はあるが、まだ自分という存在にも気が付いていないような年齢だった。

 その後も身体はそれなりに弱かったが、物心が付いてから「入院」という事態に陥った事はなく、自分が入院するという事はまさに〝青天(せいてん)霹靂(へきれき)〟であった。

 

 部屋は8人の大部屋で、4人部屋が空く迄の4.5日は、お見舞いに来た人が座れるスペースもないような状況で、そこは膠原病内科の病室というより、内科の病を身にまとった人達のたまり場であった。

 病気も多種多様であった。昼間の部屋の中は、常にベッドの半分は主がおらず、それぞれの病気の検査に出払っていた。部屋の中で一番若い25歳の人が、渉と同じような症状で、

「明日は生体検査で、脇の下から

 胸部の中心に向かって、

 金属の棒を差し込んで

 組織を採取するんだ」と言って浮かない顔をしていた。この検査は「悪性リンパ腫」の疑いがあるのれでやるのだとその青年は言った。

 

 渉は入院2日目、病室で動脈注射を打った。皮下注射と違い動脈は腕の中心部にあ

る為、注射器をほぼ真っ直ぐにして動脈を狙って打つ。針も太く痛さの度合いが違う。子供に注射を打つ時「はいちょっと、チクッとしますよ」とよくお医者さんが言うが、そんな可愛らしい痛さではなかった。鈍痛というのが正しいのかズ~ンとした、もっと心の奥底から絞り出すような痛みが襲って来る。その他の検査はそんなに痛いものはなく、各科に与えられた検査日が、週一回という核医学検査も昨日終わり、入院2日目も無事終了した。

 

4日目の昼過ぎ、一番出入り口に近いベッドの上で例の青年が浮かない顔をしているので傍まで行って

「元気ないね。どうしたの?」と尋ねると

暫く下を向いて黙っていたが、やがてぼそぼそとした声で

まるで他人事のように、

「やっぱり、悪性リンパ腫だって」と彼は云った。

その瞬間、僕は凍り付いた。悪性リンパ腫は白血病等と同様に代表的な「血液の癌」で、致死率50%。2年~5年の間に凡そ半分の方が亡くなってしまう怖い病気なのだ。

 がしかし、当時から良い薬が開発されて致死率が50%まで減った事で、医師の間では、「癌」の中でも比較的「治せる癌」になりつつある病気でもあった。

 そうだからと言って、僕は下手に慰めの言葉を掛けるのは良くないと思い、

「そうか、悪性リンパ腫か。でも良かったね。

 もっと悪い病気じゃなくて」

というのが精一杯で、その青年の悲痛な顔は、今でも思い出したくない。彼はその日、皆にお別れを言って部屋を移った。

 

 それから数日後、車椅子に乗せられて看護婦(注:現在の呼称は男女の区別なしに「看護師」というが、敢えてこの当時の呼称を使わせてもらう)とエレベーター待ちをしている彼を背後から見掛けたが、声を掛けるには忍びなく、そのまま立ち止まってエレベーターに乗せられる後姿を見送った。その後彼とは合わなかったが、どうか生きててくれるようにと願うばかりだ。

 

 渉も入院5日目、4人部屋に移った。ベッドは出入り口から向かって左側の窓側。同じ左の通路側には同じ様にその日に入って来た岡本さん。そして、渉の正面がこの部屋の主の筒井さん。この人はリウマチがかなり進んだ人で、歩くときは大きくびっこを引き、両手の指は親指が内側に、他の四本全部は外側に曲がっている。もう一人の物静かなご年配の方は一言も言葉を交わすことなく翌日に部屋を移ってしまった。

 

 筒井さんは、奥さんもこの病院に世話になっていたが、手術の途中で亡くなってしまったと言い、彼はこの病院を恨んでいると言った。何で恨んでいる病院に入院したのかを尋ねたら「復讐する為だ」と言い、看護婦に対する口の利き方が乱暴な為、殆どの看護婦から嫌われていた。医師と婦長には比較的穏やかに接していたから、余計に弱い者虐めだと思われていた。

只、なっちゃんと呼んでいる看護婦だけには凄く優しいのだ。そしてなっちゃんも堤さんの頼み事に関しては、必ずやってあげるのである。制服の上からでも良く分かるほどのグラビアアイドル顔負けの豊満な身体をしており、顔は細面でキュート、背は160㎝位あった。

 

 「筒井さんも隅に置けないなあ」と

前出の岡本さんがそう云うと、

筒井さんは頭を搔きながら

「いや~、さすがに彼女だけには

 逆らえないんだよ」と云うから、渉が

「一目惚れでもしたんですか」と云うと

「ここへ来た初日に風呂に入れてくれたのが彼女で

 凄く丁寧に洗ってくれて……」。すると

「え~ッ、風呂に入れて貰うってそんな事してくれるの~」と岡本さん。

そして、

「別料金?それとも〝差額女三助代〟かな?」と。

(「三助」に興味がある方はネットで調べてみて下さい。)

勝手に相当スケベ~な想像をしながら、そう云った。

 

 すると、筒井さんさっきまでヘラヘラ笑いながら応えていたが、顔を目一杯引き締めて

「岡本さん。そりや~幾らなんでも失礼じゃない。私に」と云ったので、渉が

「えっ、私にじゃなくて看護婦さんにじゃないの」と。

「あれ、そういう事じゃないの?」と云ったら

「七海さん、いいですか。ここは病院です。

 そして私は身体の不自由な病人です」と真顔で言うので、それはそれで反って

〝うそっぽく〟聞こえたのだが、

「私がお願いした訳ではありません。

 そこははっきり言って於きます」

「ええ~、それじゃあ誰が?」と岡本さん。

「婦長です。僕が皆に対して態度がなぜ悪いか

婦長は知っています。なぜって、

〝この病院に私の妻は殺された〟と

はっきり婦長には言ったからです」

 岡本さんと渉は、筒井さんを半分揶揄(からか)っていたのですが、思わぬ方向へ話が展開し始めたので、二人共沈黙してしまいました。

すると筒井さんが、

「きっと、風呂場の中で滑って倒れて頭でも打って

 また悪態を()かれると困ると思って、

 あの娘を介護役で付けたんですよ」と。

 

 そう言われてみれば、浴場の床はタイルで滑りやすく、その為か手すりがやたらと多く、渉はその手すりに、立ち上がろうとして背中を強打して風呂場の中で一人、悶絶したことがあった。

 筒井さんはリウマチで手の指が曲がってしまった為、手摺も上手く掴めないのだろうと想像がついて、なんか憐れに思えて揶揄(からか)って申し訳なかったと反省して、神妙な顔になった途端、

筒井さんが発した一言で

「なぁ~んだ、やっぱりそんな(・・・)()してたんだ」と、

岡本さんと渉は最後にその行為を想像して、こわばった顔が急にフニャフニャと崩れ、最後に三人で大笑いしてこの話は終わったのだった。

 

 

 本日も最後迄読んで頂いて、有難うございました。

 

 この第五章はこの作品の中でも、特にスラスラと書けた「章」なのでした。何も考えず、思い出す行為の

みで書けた、「一番世話ナシの章」であったのです。

 それは作曲も同じで、天から降ってきたものを譜面や、テープorCDに録音するだけで良い事がたま~にある。

 そういう時の曲の方が手直しをすることなく、仕上げる事が殆どなので、同様に目に浮かぶ映像を、後は文字にして文章にするだけの事は一番「楽」で楽しいのである。

 そうして文章になったものは読者にも楽しく、そして時間が経つ事を忘れさせるほど面白い充実した時間になるのです。

 

次回の投稿は5/21(火)です。

どうぞ宜しくお願い致します。