今週はアルバイト編の最終章になります。

主人公の渉が、色々なバイトを経験していく中で、どうやって世間というもの見ていたのか、仕事に対してどのように考え行動したのか。

 

 たかが大学生の「金稼ぎ」と見るか、或いは成る程、そういうことが渉を成長させたのかと‶深読み”をするかでは、このアルバイト編を読んだ皆様がどのような感想を持って、そのあとの渉の人生に去来する数々の試練に、どう対応したのかという事を考えるのにあたり、重要なファクターになっている事に、少しでも関心を寄せて読んで頂けたらと思います。

 

 

     ⑤ コンピューター製造のM電業(短期)

 

 M電業(現在は社名をHデンキと改名)の仕事も、Tストアの陳列棚交換のバイトを紹介してくれた彼女が声を掛けてくれたアルバイトで、会社は確か田町で下車して歩いたところにあった。企業用の大容量の配電盤、分電盤や動力制御盤などの機器を製造する会社で、彼女と渉の他にも知り合いの男女数人で行ったバイトだった。期間は一回一週間程度を二回やった覚えがある。

 

 仕事の内容はロッカーの様な箱の中に、図面で指示された通りに、コードを配線する仕事で、最初彼女から電話で仕事を依頼された時は、文系の自分じゃ無理だと思い、断ろうとした。なぜなら中一の時のラジオの三球スーパーの失敗を思い出したからだった。

  そのことを正直に彼女に伝えたが、そんな難しい仕事ではなく、図面に何番の箇所に何番の何色のコードを挿すという単純な仕事で、渉も知っている彼女の友達の名前を上げて、誰でも出来る仕事だと言われ‶百聞は一見に如かず〟と思い直し手伝う事にした。

 実際にやってみると、小学生でも出来るような仕事で、これは社員が月給をもらってやる仕事ではないと思った。初日は社員の人が何度か見に来てくれて、分からない事や出来ない事があるか聞いてくれたが、二日目からは仕事の始めと終了時だけとなった。バイト代もまあまあだった記憶がある。

 

 さてアルバイトの話はこの位にして、「彼女」と呼んでいる人を紹介しよう。実はこの彼女とは幼稚園から中学校まで一緒だった。名を津島英子といい、幼稚園からずっと長い三つ編みの髪の娘だった。

 幼稚園では、今で言う「発表会の劇」で何の話かは忘れたが、背が大きいという理由で、二人で主役をやらされ、高いところから手を繋いで飛び降りる練習を何度もやらされたその記憶だけが残っている。

 その事がきっかけで、お互いを意識するようになった。「好き」というより、渉は「気心の知れた女友達」という感覚だった。だから中学生になって彼女に彼氏が出来ても、やきもちを焼く気持ちは起きなかった。

 

 大学生の時、五、六年ぶりに駅のホームでバッタリ逢って電車の中で話をし、彼女は服飾の専門学校に通ってデザイナーを目指していると話してくれた。

 しばらくして家に電話があり、Tストアのバイト、そしてM電業のバイトを紹介してもらっている内に、お互いが段々惹かれるようになり、渉の家に遊びに来るようになった。母も幼稚園から良く知っている娘だったので、ケーキを用意してくれたりして歓迎した。

 ある時、話に興じて夜遅くなってしまい、彼女は「大丈夫」と言ったが、玄関先まで見送りに出てきた母も、さすがに「何かあってからでは遅いから」と言い、渉が家まで送る事になった。その道中で彼女は「まだ家に帰りたくない。もう少し話したい。」と言い出し、渉も話し足りなかったので、遠回りをして帰る事にした。

 途中にあった公園で、今ではあまり見掛けない観覧車のゴンドラの様な‶4人乗りのブランコ〟に向き合いで座り、暫く他愛のない話をしていた。

 

 その話から渉の耳はだんだん遠ざかり、気が付けば一生懸命何か話をしている彼女の目や顔、そして胸元や腰を見ていた。そうしたら急に、彼女の事を抱きしめたくなり、彼女の手を取り、いきなり自分の方へ引き寄せた。

 彼女もそれを待っていたのか、自分もそうしたかったが、うつむいてじっとしている彼女を見ていて、いじらしくなり、

(俺は一体何をしているんだ!血迷ったか)と自分に問い正した。

そして今、もし性欲だけの為にそうしたいと思っているのなら彼女に対して失礼極まりない。そう考える‶まともな自分〟がそこにいた。ふと我に返り、

「ごめん」と一言謝って、その手を離した。

 それから、お互い無言で彼女の家の近くまで送って行った。そしてその後、彼女とは今日の今日までずっと会ってない。

 

 後で思った。あれが外で良かった。もしどこかの部屋だったら行きつく所までいってしまっただろう。そう考えると、その時のまともな自分に感謝した。

と同時に、またお前は、人の気持ちを踏みにじった。意気地なし、の大バカ野郎!

お前なんぞ、豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえ。と、もう一人の‶ふしだらな自分〟がそう言って渉を激しく叱責した。

 ええカッコし~の身勝手なナルシスト、お前なんぞが男でいる事が許せない。と散々自分が自分をやり込めるのであった。

 でも、その後彼女に起こった事を考えると〝まともな自分〟が正しかったのか、そうでなかったのか、当事者の渉は今もって分からない。「男と女の世界」はこうも難しい。

 

 社会人になってから、やはり最寄り駅で彼女と一番仲の良かった女友達とM電業のバイト以来久しぶりに出会い、お互いに元気だったことを報告しあった。

 そうして暫くブランクの埋め合いをし、渉が思い出したように「彼女の事を」尋ねたら、東北地方では有名な代議士の御曹司に見初められて結婚し、今は東北で暮らしている。

 そう聞いてびっくりしていると、家に大きな蔵があって夏用と冬用の食器を三日掛りでお手伝いさんと入れ替えるとか、毎日の様に客人が見えて目が回る程忙しいとか言っていると聞いて絵に描いたような‶玉の輿〟に乗って良かったと思う反面、何か危うい感じがしたのもまた事実だった。

 

 それから数年経ってその女友達に、地元の商店街を歩いていたら声を掛けられ、此処を離れる事になったと言うので、「結婚?」とつい口が滑ってしまったのだが、彼女は首を横に振り「ううん。父の仕事の関係で引っ越すことになったの。私は結婚しないかもね~」と言って暫く黙って歩いていた。

 うっかり「結婚」と言ってしまったことを‶まずい〟と思いながら彼女の横顔をちらっと見ようとした時、

「そういえば津島、帰って来ちゃったみたいよ」と爆弾発言。

「ええっ!」渉は(やっぱり)と思いながらも、心の奥でポキっと心が折れる音がした。

「帰って来ちゃったってどういう事、離婚したっていうこと?」

「ううん、飛び出してきちゃったみたい」

「ええっ、きちっと話もせずに。それじゃあ旦那さんだってたまんないね」

と言ってみたものの、もう

(やっぱり、ダメだったか~)と

口には出さず、心の中でがっかりした。

 

 彼女は以前から、何か不運を背負って生きているような気がしてならなかった。難しいものだとつくづく思った。旦那さんと余りに生きてきた道や環境が違いすぎたのか。と漠然と「運命」を恨んだ。折角、幸せになれるはずだった結婚が、こんな形で終わるとは。

「で、今彼女はどこにいるの?」と聞いたが、

「私もその連絡を貰ったきり、その後はなしのつぶてで・・・」と。

「そうか、がっかりだね」と、渉はその場しのぎの言葉でこの話を終わらせた。

 

その後どうなったかは、風の便りにも聞こえてこない。どうか、幸せでいて欲しい。

 

 

    ➅ 学習塾の試験官(単発)

 

 大学の友人の馬場君が夏休み九州の実家に帰る予定が早くなり、入っていた塾のバイトを他の講師に代わって貰おうとしたが、夏休みで誰もスケジュールが空かず困っていた。

「代わりにやってあげようか」と云ったら、喫茶店内にある公衆電話から早速塾に電話して「OK」が貰えたというので、人物も確認なしの状態でOKって「どんな塾?」と不快に思ったが、夏期講習前にクラス分けの為に実施する学力テストの試験  官をするのだそうで、やっと合点がいった。

 毎週末の試験のある中学受験専門の進学塾で、場所も塾の名ももう忘れたが、確か代々木の方だった記憶がある。仕事は1日だけであったが、朝が早いので馬場君の下宿で土曜に泊まり、翌日仕事をしてその日は連泊して、月曜に自宅に帰るという日程にした。

 馬場君が鍵を渡しながら、「彼女は連れ込むべからず」と一言。そんな気が全くなかった渉は、寝た子を起こされた感覚になり、「あっ、そうか。俺一人なんだな。シメシメ」と思ってはみたものの、四畳半の畳部屋にちいさな台所とトイレがあり風呂はなかった。お隣のテレビの音が聞こえるような薄っぺらな壁で、風呂もない部屋に彼女を呼ぶ?いやないでしょ。ないない、絶対にない、と思った。

 

 塾は馬場君の下宿から電車で30分位の所にあり、もうよく覚えてないが駅から歩いて数分の瀟洒な住宅街の入り口にあった。外に休憩時間用のちょっとした遊び場があった。

 テストの日は晴天でじっとしていても汗が出るほどだったが、室内はクーラーが効いていて快適だった。

 試験開始前に注意事項を伝え、午前は国語と算数、午後から理科・社会のテストだった。席は自由で、来た順に埋まって行ったが、さすが中学受験をする生徒だなと感心したのは、誰に教わったのか席が前から埋まっていくのである。一番後ろの席にすわったのは男子生徒ばかり6人で、午前中は普通にやっていたが、午後からはチラホラと後ろの席に限らず‶居眠り〟を始める子が出始めた。

 そんな中で、一番後ろの席で飛行機を折って飛ばし始めたヤツがいた。顎の下も肉付きの良い平清盛の肖像画にソックリなデブで、如何にも勉強嫌いな、この塾には‶場違い〟と思われるヤツが、独り言を言いながら飛行機遊びに興じ出した。

 試験官など全く目に入ってないようで、試験官の任務も理解出来てないってな感じで、さらに隣の‶スネ夫〟ばりのヤツももう飽きたのか渉を無視して二人で遊びだした。ここでもすごいなと感心したのは、その他の子はその二人が同じ空間にいて今何をし出したのか等、全く関心が無いという風で試験に集中している。

 このまま注意もせず放っておいても問題ない位、この二つの人種間には‶無意識な無視〟が成立していた。が注意をしない訳にも行かず、注意したら、いとも簡単に未練などない様にスパッとこちらも止めた。渉はこの空間でどちらの人種にも入れず、一人‶のけ者〟になっているような気がした。

 

 テストは午後2時半に終了し、社会の答案用紙を回収してお疲れ様の挨拶をし、その他三教科の採点済み答案用紙と一緒に職員室に持っていくと、「お疲れさまでした」と言われ、答案用紙と引換えにバイト代の入った封筒を渡された。お礼を言って職員室を出て、荷物を取りに教室に戻ると、先ほどの二人とその友達らしい二人がまだ残っていたが、他の生徒は「さあ帰ってもう一勉強しよう」という匂いを教室に残して既に一人も残っていなかった。

 

 そうして渉が帰ろうとすると、さっきテストの答案用紙で作った飛行機を飛ばしていた平清盛が

「先生、相撲しようよ」と言ってきた。面倒臭いヤツだなと思いながら

「相撲?どこで取るの」と聞いたらスネ夫が

「あそこの砂場で」と言い、教室の外を指さした。そして清盛が

「いつも馬場先生は相撲、取ってくれるよ」と云うので仕方なく

「先生、ちょっとこの後、用事があるから10分位ね」と云うと

急に4人全員がにこっとして

「やろやろっ」と云って、カバンを投げ出し、外の砂場に出て行った。

 

 何時もどうやっているのかを聞いたら「順番に一人ずつ」と云うので

ジャンケンをさせたら、スネ夫が最初で清盛が最後となった。

そうして、二番目の子が行事になり

「はっけよ~い、のこった」「の・・」と二つ目の

「のこった」を云う前に

頭から突っ込んできたスネ夫は渉に簡単にいなされて、そのまま砂場の仕切りを通り越し、その先の植え込みにまっしぐらに頭から突っ込んで行き、尻だけがこちらを向いていた。

 その後の二人の一人は釣り上げてそのまま砂場の外に放り投げ、もう一人も思いっ切り押し出したら、花壇のレンガの角で尻を打ち付け、うずくまって呻っていた。

いよいよ殿(しんがり)の清盛入道との対決。植え込みからやっとの思いで出てきたスネ夫が

「はっけよ~い、のこった」

と言った途端、清盛は下から突き上げてきた。危うく後ろにのけ反ったが

小学6年に負けるわけにいかなかったので、その後がっぷり四つになったと同時にすかさず、上手投げをかましたら、ドテッと体全体のぜい肉を震わせて、倒れた。

そうしたらスネ夫が

「馬場先生はいつも手加減してくれた」と云い出し、残りの三人も

「先生本気出すんだもん、ずるいよ」と云い出したので

「よし、それなら全員で掛かってこい。それならいいだろう」と云った。

 が、それがまずかった。終わって勝敗はそれでも渉が勝ったのだが、シャツがビリビリに破られ、帰りにその日貰ったバイト代でシャツを買う羽目になり、結局バイト代は300円しか残らなかった。

 

 

    ⑦ デパートの清掃Tビルサービス(2年半)

 

 Tビルサービス社はこの時代も業界大手で、J市のJデパートの制御室・保安室・駐車場管理・清掃等のビル管理を一手に引き受ける会社だった。今も業界大手は変わらない。

 この仕事は二年生の五月に、将来義理の兄になる吉野君が紹介してくれた仕事で、彼が中学の時のバレーボール部の友達がリーダーをやっていた関係で最初は二人で始めた。 

 そんなに長くやるつもりはなかったが、後から始めたこのJデパートの仕事の事もあって結局大学卒業まで続けたバイトだった。昼間の店内清掃は年配の方達が請負い、渉達学生は、主にデパート閉店後の清掃を担当した。時給250~300円位で、一か月24,000円位になり、この収入が普段の昼食、茶店代、飲み代等の生活費になった。

 仲間は出入りが結構あったが、登録は常に20人位あった。地下1階~地上8階まで全9フロアを二人一組で1~2フロアを担当し夕方6時~9時位まで働いた。仕事は鼠色の作業着に着替え、T型の箒と緑色の塵取りでフロアのゴミを掃き集め、各売り場の屑籠のゴミや商品入荷時の段ボールを回収して1階のダストボックスに入れるまでを2時間半で行うのだ。

 もう時効だから話すが、腹が減ると地下一階のスーパーへ行って‶つまみ食い〟をした。ジュースやアイスコーヒーを片手に魚肉ソーセージ、菓子パン、菓子等‶より取り見取り〟だった。

 スーパーの店長は毎月数十万円、多い月は百万円を超える万引きがあると言っていた。一度、我々学生の清掃が疑われ、同じビルサービスで働いている守衛さんが抜き打ちで清掃時間中のスーパーに降りて来て監視したが、その頃はもうその場では食べず、地下2階にある控室に持って来て食べたので見つかる事は無かった。

 

 Jデパートでは、年に何回か土日に客寄せのために、屋上に歌手や芸能人を呼んでコンサートやトークショウが開催され、僕らはJデパートから依頼されて〝ボディーガード〟をやらされた。渉は全部で4回駆り出された。順番に「イルカに乗った少年」がヒットした城みちる、「雨音はショパンの調べ」の小林麻美、「わたしの彼は左きき」の麻丘めぐみ、「気になる17才」でデビューしたあいざき進也の四人。

 城みちるとマネージャーさんとは、地下2階の社員食堂で挨拶をしてトイレで連れ(・・)しょん(・・・)をした同士だ。あいざき進也はやはり食堂で挨拶したあと、渉のリクエストに応えてくれて地下の廊下でバク転を披露してくれた。麻丘めぐみは控室がどこか聞かれ、小林麻美は研ナオコのサブでの出演だったので言葉は交わしていない。

 ボディーガードの仕事は即席ステージの一番前に10人位でステージの方に背を向け、手を繋いで立ち、お客がステージに上ろうとするのを阻止する仕事で、男の歌手の時はファンが女の子なので、キャーキャー煩いのを我慢すれば、女の子の胸が背中でおしくら饅頭状態になったりして、たまにいい思いが出来るが、女の歌手の場合は大変だった。

 特に麻丘めぐみは当時超人気だったので、コンサートが始まる前からお客も殺気立っていた。彼女が登場すると、「ウオッー」とも「ウンギャオー」とも取れるような雄叫び、それと同時にステージに向かって十数人の猛者公の塊が突進してくるのだから、それを防ぐには決死の覚悟がいる。その日は屋上も満員状態で特に若い男が全体の6割以上で。フロワーで清掃していた三船さんというおじいさん達3人、年配の守衛の多田さんともう一人、デパートの社員5人が追加召集され、20人態勢で麻丘めぐみをガードした。

それは、とにかくすさまじく!!!

「このヤロー、どけっ!」

「この糞ガキ、押すんじゃねえよ」

「てめえ、このヤロー」など激しい怒号が飛び交い、

拡声器で必死に進行役の人が静止しても、静まる気配等なく

ステージの下はすでにあちこちで取っ組み合いが見られ、

学生バイトの薄川君は長髪を引っ張られ歪んだ顔で後ろにのけ反っているし

一橋ミッちゃんは腹を蹴られ、「ウッ」と言って蹲っているし

角川君は、眉毛のないヤツとお互い胸倉を掴んで喧嘩寸前で

デパートの社員が何とか二人を切り離そうと悪戦苦闘しているし、

 

 ふと気が付くと脇のベンチで3才位の男の子とお母さんが

青ざめた表情でこちらをみていた。

漸くステージでは「芽生え」というデビュー曲を歌い終わったところで

麻丘めぐみは一度ステージを降りた。

進行係がもう一曲「わたしの彼は左きき」は

「このままでは危険で歌えません。皆さんもう少し静かにして下さい」

とアナウンスをした頃に漸く落ち着いてきて静かになった。

 

 渉が辺りを見渡すとおじいさんの三船さんが作業帽を飛ばされ、

薄くなった頭を摩りながらへたへたと足を投げ出して座りこんでいた

頭の薄毛はボサボサで、いかにこの場が荒れていたかを物語っていた。

よく見たら他の二人の姿はなく、まじめな三船さんだけが

取り残された格好になっていた。渉は、

「三船さん、もう上がって。骨折でもしたら大変だから」と云い、

普段から律儀な三船さんも

「そうさせてもらっていいかな」と云うから

「何かあってからじゃ遅いから」と云ったら

「じゃ、そうさせて貰います。すいません」と云って引き上げて行った。

 

 その後、10分位経っただろうか。麻丘めぐみが再びステージに姿を見せると

また、雄叫びが上がったが、その後続く者が無く、「わたしの彼は左きき」は始まった。

 歌い終わった麻丘めぐみは臆することなく、眉毛のないヤツらにも顔を向け手を振りステージを後にした。

 その姿を見て、渉は彼女の中に「プロ根性」を見た。普通だったらあれだけ近く迄血気盛んな男達が束になって向って来ていたら、怖くて歌いきる事は出来ない。ましてはか細い女の子なんだから。でも「プロ」とはそういうものなんだなと、大いに関心させられた。

 

 

今週も最後迄読んで頂き、有難うございました。

次回は4/12(金)に投稿致します。このアルバイト編も次回の⑧⑨⑩で

終了です。是非最後までご堪能頂きたいと思います。