昨日に引き続き「二日連続の投稿」になり、読む方の皆様にとっては大変だはないかと思います。 

 

Wi-Fiが突然使えなくなる事は良くある事で、通常はWi-Fiルーターの電源用コードを抜き差しすれば、大概の場合は復旧するのですが、今回は考えられることは全て試してもネットに繋がらず、仕方がないので会員になっているPCデポに電話をしたら、私の担当さんが、家まで自転車に乗って来てくれて、2時間かけて、調べてくれて、出た原因がNTTのルーターが経年劣化しているということでした。

 

 PCデポは翌水曜日が定休で、担当さんは木曜日も休みという事で、木曜については

店内の社員には分かる様にしておくと云って帰って行きました。

 

 そうして昨日(木曜日)NTTより交換品が届いたので、設置したまでは何とかなったのですが、その後にパソコンで行う接続でプロバイダーから貰っている「ユーザー名」「パスワード」が契約書が入っているバインダーを見て、接続時のアカウントの欄に書いてあった2つのワード入力を試みてもはねられてしまい、店舗が終わる19時になってしまったのです。

 電話を入れると、24時間対応の窓口の電話番号を教えて貰い、そこへ掛けたら、折り返し電話しますと云われ、暫く待っていても連絡が無く、どうせ掛かって来ないだろうと高を括って、もういいやと思いTBSの「プレバト」を毎週楽しみにして見ているので、それでも観ながら 一杯やろうと思い、日本酒を用意しようとしたら、ジァーンと電話が掛かって来た。

 出るのを止めようかなと思ったけれども、こちらからお願いしといてそれはないだろうと、思い直して電話口に出ると、その女性は、まず遅くなったことを詫び、そうして私が吃音である事を何とかやっとお話をすると、その後の会話で私が言葉が出なくても、じっと待ってくれて、結局、その女性との話が普通に出来ていれば、半分の時間で済んだ事も、約30分掛かってしまい、

「ありがとう。すみませんでしたね。

 遅くまで対応して頂き、本当に助かりました」とお礼を云ったら

「良かったですね繋がって。私の方こそありがとうございました」と云ったのです。

どいう意味でそう云ったのか分かりませんが、何かその云い様が、すごく素敵で何やら嬉しくなってしまい、ルンルン気分でお腹が減ったのも忘れて、そのまま投稿作業に入ってしまったものですから、結局夕飯を食べたのは10:30になって仕舞ました。

 

 「言葉の使い方のよって、相手をこんなにも気持ち良くさせてくれる」という事を学び、言葉の威力を感じた、とても有意義な日になりました。

 

 PCデポとは15年のお付き合いになるが、社員の対応が非常に良くて、歴代の担当者も今回で4人目になりますが皆、甲乙つけにくいほど良い方ばかりで、口先だけでなく

「これからも本当に宜しくお願いします」と心の底から云えるほど「良い会社」だと思います。

 

 

 

 

 企業の運動会・竣工式・式典への器具の貸し出しと進行プロデュースのH屋

 

 次はもっとルンルンに楽しく、しかし最後はちょっと悲しい話をしよう。

 化粧品で有名なS社の運動会の仕事は、去年初めて手伝った浅井君が「若くて可愛い娘が沢山いるぞ」と言ったもんだから、バイトの学生の間でその話で暫く持ちきりだった。その同日に、別にビルの竣工式が二カ所あった為、アルバイトは全部で7名といつもより多めだった。

 浅井君を筆頭に菅田・小暮・岡本・平木・蓮川君と渉。S社は規模が大きいのでバイト3名の予定で内一名は経験者の浅井君が、責任者の大舘さんより指名されて既にウキウキしている。そこで残りの6人でジャンケンをして、岡本君と渉が勝ってS社を射止めたはずだったのだが、渉が以前に竣工式を数回経験しているという理由で、大舘さんから、そちらへ行くように指示が入り敢え無く撃沈し、平木君と交代となってがっかりしていた。が竣工式は午後からで、S社の運動会の会場が前日夕方まで使われていて‶当日搬入〟だった為に、朝9時スタートの時間迄の3時間前までにセッティングする必要があり全員で搬入となった。

 その為、渉と小暮・蓮川君は始発に乗っても時間に間に合わない為、前日から八丁堀の倉庫近くのビジネスホテルに泊まる事になった。渉は二カ月前に同じ大学の彼女と一泊した時以来、東京での二度目の夜だった。そして搬入後も午前中まではそこで仕事となった為、渉も何となくウキウキしていた。

 

 翌日は朝から快晴。搬入も問題なく終了し、8時を回った頃から社員の人達が集まって来た。本社の社員+近隣の工場からの参加という事だったが、圧倒的な女性の数とその7割以上が二十歳前後から30代。もう菅田君などは「すげえ、選り取り見取りだぜ~」と舌なめずり状態。オジさん、ジイさんが二割、オバさん1割で、何と若い男子社員はどこにいるのか殆ど見当たらない。岡本君が一言「さすがS社、女の園だ~」って。

 そうして午前中最後の催しが「フォークダンス」。アナウンスが「参加は自由ですが、必ず男女一組での参加が条件です。さあ皆さん振るってご参加下さい」と言われても、圧倒的多数の女性。それに対して腰が曲がった爺さんの役員を入れても男性の数は圧倒的に少ない。嬉しい限りの‶多勢に無勢〟なのであった。

 菅田君はアナウンスがあった途端テントから飛び出し、自ら売り込みを始め女の子が3.4人菅田君にまとわりついた。彼の顔は高揚し、よだれ寸前のスケベなヘラヘラ顔でグランドの中央に向かってその塊を連れて走って行った。それを見ていた岡本も「ハーレム状態じゃん」と言った矢先に連れ去られた。

渉は大舘さんの陰に隠れ、捕まらない様にしていた。なぜって「渉にとってフォークダンスは鬼門であり地獄なのだから」。でもそれは無駄な抵抗だった。50歳に近い大舘さん迄もが標的にされて連れていかれたのだから、もう渉には隠れる場所はなかった。

 

その時だった。目の前に「烏丸せつこ」が現れた。アグネス・ラムのような魅惑的なボディを持った烏丸せつこ似の娘が「お願いできますか」と聞いて来た。渉の目は一瞬、白いTシャツを盛り上げている胸にくぎ付けになり、お断りする理由が完全に吹っ飛び、二つ返事で手を取り合った渉は、気が付いたらフォークダンスの輪の中で鼻の下を長ーく伸ばして踊っていたのであった。

 「レッツ・キッス・頬寄せて~♪ レッツ・キッス・・・・~♪」という音楽に合わせて彼女の肩に手を置いて前に後ろにポン・ポン・ポンと行ったり来たりするだけ。彼女のたわわな胸がゆれているのが後ろからでも分る位のナイスバディであった。踊りながらお互いに質問しあったが、彼女は本社勤務で住まいは八王子の寮。彼氏はいないと聞かない事まで教えてくれた。二曲目は二人で横並びで踊るダンスだったが、見よう見まねで踊ったら、彼女が「上手よ。その調子!」とおだてるもんだから、つい調子に乗って前に大きく足を蹴り出したら、前の初老の男性と小母はんが踊っている、その初老の男性のふくらはぎを蹴ってしまった。渉が

「すみません」と謝ると、後ろを向きながら

「いや、楽しいねぇ~」と笑って振り向いた瞬間、彼女が

「あっ、社長、済みません」と慌てて云ったので、

(ええー、この人が天下のS社の社長なのか)と思いながら、もう一度

「済みません」と云うと社長は踊りながら

「大隅君はなかなかの美男子を見つけたねぇ」と云って、

渉の事を間接的に褒めてくれ、それに対して

「はい、今日この会場の中で一番素敵な男の人を捕まえました」と

言ってくれた彼女にも感激し、比較的、そう云ったおだてに頭の中が単純な渉は、それからというものヘアリキッド、アフターシェーブローション、オーデコロン等、全ての化粧品をS社の商品に統一したのであった。

 

 今の時代だったら、携帯の電話番号を交換し、LINEで簡単に繋がれたのだろうけど、当時は家電(いえでん)が全て。彼女は会社の寮に住んでいて、規則が厳しい。そこまでは聞き出した。

 

 お昼になり、彼女は自分の部署の人達と用意された弁当を食べなければならないと云って残念そうに戻って行った。渉も、もう一つの仕事の会場へそろそろ向かわなければならず、さよならも云わずに別れる事にはなりたくないと思い、食事は売店でパンを買い、それをかじりながら会場中「大隅さん」を探しまくったが見つからず仕舞い。そうして、家の電話番号を書いたメモはタイムリミット寸前で空しくも破り捨てられたのであった。

 

 この翌々日、大学で岡本君が

「おい、例の彼女が七海を昼から探していたぞ。

 お前午前中までしか居ないことを云わなかったのか」と云って、

「ばっかなヤツだな!お前は」と云われたが、もう「後の祭り」。痛恨の一発をやらかしてしまったのだった。全てがあの一瞬で終わってしまった。

 それから数日、何とか探し出す手立てがないか考えた。朝、S社の会社の前で待ち伏せするのが一番いいと思ったが、映画の一場面でもあるまいしと結局考えただけで、実行に移さない悪い癖がまた出てしまった。

 渉はいざとなると、恥も外聞も捨てられないエエカッコしいのバカなヤツで、その癖あとまで「後悔」して引きずる、全く以ってどうしようもない人間だった。

 失敗してもいいじゃないか、命まで取られる訳じゃなし。という風に考えられない。岡本君の言葉を信じて会いに来てみたら、彼氏がいて、

「ええ、あんた私がこの間言った事、本当だと思ってたんだ」と云われ、

傷つく自分を想像して、そういう危険は冒さないナルシストなんだよお前は。

 実は奥手なんて、そんな可愛いものではないんだ。そうやっていつも結局損している。だから、今でもあの時の事が、まるで夢でも見ているかのように、その光景だけが僕の脳裏にフラッシュバックされ鮮明に焼き付いている。

 

 

 そして次は口直しの話で大変名誉な話をしよう。

 皆さんは、皇室の方々をお守りする「皇宮警察官」という職業をご存じだろうか。最後はその皇宮警察の運動会での出来事。皇宮警察は4つの部隊に分かれていて、その4分署対抗の運動会が赤坂離宮のグラウンドで行われた。

 事前に宮内庁より発行されたパスをぶら下げ、渉は初めて赤坂離宮の門をくぐった。今となってはもう運動会の内容は全く覚えていないが、皇太子と皇太子妃(現在の上皇と上皇后)とその娘〔清子(さやか)〕様が貴賓席にいらして観戦をされていた。

 運動会も終盤に差し掛かった頃、前日アルバイト全員で袋詰めした「お菓子」を来場した子供たちに配る時間になり、進行係の指示に従い大舘さんら社員をはじめ、アルバイトも全員で会場にいた子供たちに袋菓子を配って回った。それが終わって暫く3時の休憩時間となった。

 

 その時、誰かが皇太子の娘さん(4歳)にあげてないと云い出し、その場でどうするか話し合いになった。

・こんな一般人が食べるような駄菓子をお渡していいものなのかどうか?

・どうせお渡ししても、お毒見じゃないけど本人は食べられないんじゃないか?

・食べる、食べないは別にして渡した方が良いんじゃないか?

・主催者側の担当者にお渡ししていいかどうか聞いてみたらどうか?

等々色々な意見が出た。

 結局、大舘さんの一言

「お渡ししよう。止められたらそこで止めればいい。皇室の子だって子供は子供。

 自分と同じ位の子が貰っているのに、なぜ私にはくれないのと思っていたら可哀そ

 うだ」と。

 次に誰が渡すか、という話になり、これも大舘さんが

「七海君、悪いが君が持って行ってくれ。元御大名の子孫と浅井君から聞いている。

 頼む」と言われ、こちらも休憩中にみんなの注目の的となって持って行くのはいくら何でもと思っては見たが、渉は自分でも意外なほど、いざとなると余計な事は考えず、冷静に振舞える自分がいるのだった。

 

 この時もそうだった。段ボール箱に残っていたビニールに入った袋菓子を一袋持つと、コースの柵をまたいでグラウンドを通り抜け足早に貴賓席に近づき、皇太子ご夫妻の目の前まで来て一礼し、そして膝を折り、同じ目線になって袋菓子を両手で持って、さやか様にお渡しした。そうしたら嬉しそうに‶にこっ〟と笑い返してくれた。僕はその時思った。大舘さんの見方は間違ってなかったと。その時だった。美智子様が

「ありがとうは?」と優しくさやかさんに声を掛けられた。

「ありがとう」と蚊の鳴く様な小さな声で応えられた。渉は

「どういたしまして」言いながら、立ち上がり一礼して帰ろうとした時、皇太子様が

「ご苦労様。ありがとう」とお声を掛けて下さり、テント内で軽い拍手が沸いて起こった。

 渉はその時、無事に任務を果たせた喜びと皇室の方と対面できた光栄から、胸の鼓動が最高潮に達し、本当はド緊張していたことを戻って来てから認識したのだった。

 

 

こうしてH屋のバイトは足掛け3年。事あるごとに参加させて頂き、本当に社会勉強になった。

 

 今回は書かなかったが、竣工式の時に捧げものとして出す「生きた鯛」は酒を飲ませて大人しくさせ、生け簀の皿の中にも酒を鯛の大きさに応じていれて、式典が終る迄は死なない様にするのが難しく、少ないと神主が祝詞を上げている間も生け簀の皿の中で大暴れするし、飲ませすぎると死んでしまい、縁起が悪い。その加減が難しいが、何回もやっている内にコツを掴み、結構上手くなり、渉は最後には式典の「生け簀の鯉」担当を任されるようになった。

 

 

 当時の総理大臣だった田中角栄首相が、都内にあった専修大学で祝辞を述べる「式典」をH社が承った時のことだった。

 その際に使う踏み台の作成を、橘さんという親方から渉が任され、倉庫にあった木材を使って作った。その踏み台がまさか当日、本当に使われるとは思っていなかった。

 その踏み台は前に使っていた踏み台が古くなって来たので、そろそろ作り直そうと云われていて、渉もその古い踏み台を見ながら、倉庫の隅であーでもない、こーでもないと散々やり直して、ぎりぎり間に合わせて完成させたもので、ろくにテストもしないで持って来たもので、その点は橘さんにも事前に伝えてあったので、古い踏み台も一緒に持って来ていたのであった。

 

 角栄首相の話は5分程度と聞いていたが、10分を過ぎても終わらないので冷や汗が出て、最後の方になると気持ち悪く悪くなってムカムカしてくる始末。漸く終わった頃には、もうこちらの神経はぼろぼろで、万一、途中で壊れて角栄さんが怪我でもしたらどうしようと心配でたまらなかったが、無事、何事もなく終わり胸を撫で下ろしたのだった。

 その時H屋に出たご祝儀は一万円。普通4人居たら親方や社員が多く取り、アルバイト2人は多くて二千円だが、親方が

「今日はお前が八千円取って、もう一人のあんちゃんが2千円取れ」と大盤振る舞いしてくれたので、帰りに居酒屋でご馳走させてもらった。

お勘定が九千五百円と聞くと、親方が

「おい、酒井お前2千円出せ」と云って、親方が三千円出して、

「ほい、これを足して払え」と、渉に五千円を渡した。

「それじゃあ、ご馳走させて貰った事にならないから」

と五千円を親方に返そうとしたら

「こちとら江戸っ子よ」

「アルバイトのご祝儀迄飲んじまったとなったら、俺の株が下がっちまうからよぅ」

「おい七海、お前の気持ちだけ貰っとくからよ。今日はごちそうさんな」と云って、

五千円を突き返してきた。

もうこれ以上云っても無駄だと、「江戸っ子」の前では観念し、

「それでは、ありがたく頂戴します」と云うと

「そう来なくちゃよう」「なあ」と

酒井さんの肩をポンポンと叩いて寄り掛かったと思ったら、

スウスウと寝息を立てて眠り込んでしまった。

すると酒井さんが

「親っさんが江戸っ子って云い出したんで、嫌な予感がしたんだけど」

「案の定か。ここで寝られると大変だぞ」と独り言のように云った。

 

 親方と仕事をしてもう20年近くになるという酒井さんは、

自分の親父さんを二十歳の時に癌で亡くし、この親方を本当の父親の様に慕っていると云い、心から慕っていることを会社の人もバイトのみんなも良く分かっていた。

 

 親方をおんぶして店を出た酒井さんは

「重いなぁ」と云いながらも嬉しそうで、

「変わりましょうか」と云っても、

「うん、大丈夫」と云って

本当の親父さんをおんぶしているかの様な余韻を楽しんでいる様子。

 

 隅田川の川っ縁を歩きながら、

渉は秋の夜風を少し肌寒く感じながら、

酒井さんの背中でいびきをかいて寝ている60絡みの

小さな親方のやさしさと熱い気持ちに心の中で涙していた。

 


今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

次回の投稿は4/9(火)です。どうぞ宜しくお願い致します。