今週はNTTのルーターが経年劣化でインターネットが繋がらなくなり、皆さんにはご迷惑をお掛けし、大変申し訳ありませんでした。

 今更ながら、スマホはすごいと思いました。Wi-Fiが使えなくても5Gや4Gというモバイル通信で、その代用が効きますが、パソコンはWi-Fiが無いとネットに繋がらなくなり、ある意味世間から遮断されてしまいます。

 今回は軽微な故障で済みましたが、今後も色々あるかと思うと、ぞっとします。

 

さてこの5項の、①~⑩はアルバイトの夫々で起こったエピソードを紹介して行く事になりますが、特に今回の④は、お話があと3つありますので、これから2回は第三章5項④という形でご案内致しますので、宜しくお願い致します。

 

 

 

 スーパーマーケットの陳列棚の入れ替え

 このアルバイトはある幼馴染の紹介だった。

 年中無休のスーパーの陳列棚交換の仕事だった。この仕事は、時間との勝負。その日は午後6時で営業が終了。それから3時間掛けて商品の撤収。そして翌日の午前5時までに古い陳列棚を撤去し、新しい棚を搬入しセットしなければならない。

 実質7時間で約百坪余りのスペースに、新しい陳列棚をセットする仕事だがそう簡単ではない。

 バイトの学生数人は、撤去作業と搬入作業の班に分けられ、渉は搬入+組み立て作業班になった。搬入班は最初スーパーの人の指示で、陳列棚から撤去された商品を裏の倉庫に運ぶ手伝いをし、少しでも撤去時間を減らし、自分達の作業時間を増やす事に専念した。社員の職人さんたちは慣れた手つきで、鼻歌交じりに棚の上の商品を裏の倉庫に運んでいたが、缶詰を床に落し、幾つか凹ませてしまい、売り物にならなくなったりで、渉はスーパーの人に詫びたりして最初は後手に回っていた。

 そうして撤去が済んだ正面入り口の左側から新しい陳列棚のキットを入れていき、プロがセッティングした陳列棚に学生のバイトが棚板をセットしていくという方法で、やがて、古い陳列棚の撤去が全て終わった段階で、その日に集合した社員が全員で一気に新しい陳列棚を組み、棚を学生のバイトがセットして行く作業が始まった。

 この日のスーパーは都下の某駅前店だった故に、駐車場が無い。従って陳烈棚が外で組めない為、全てが屋内作業だったので、段ボール・ビニール、発砲スチロール等の梱包資材がそこいら中に投げ捨ててあって、歩くにも滑って危なかった。

 やがて、午前0時になり、1時間の休憩になった。皆思い思いの場所で、頂いたおにぎりとお茶で一息入れて、渉は食後、この道40年という50歳後半の超ベテランの職人さんと話をした。

 その人曰く、勉強が嫌いだったので中学を卒業してこの仕事に就いた。最初は昼夜逆転のこの仕事が嫌で、嫌でたまらなかった。しかし、その時に出会った先輩の職人さんに「お前は、手先が器用で羨ましい」と褒められたのをきっかけに、その職人さんから「仕事をする時は、今日は"ビス打ち"を昨日より早くやろうというように、何か目標を以ってやれば、時間が経つのも早く感じるし、技術は磨けるしで一挙両得になるぞ」と云われ、それをやってみたら、「目から鱗」だった。

 そこで、ある種のテーマを以って仕事をしていると、組み立てが人より早く出来るようになったり、自分に課題を与えてやるようにしてやって来たから、仕事にも飽きずに、気が付けば40年もやっていた。何ていう話を聞きながら、渉はその職人さんと、あちこちに散在している段ボールやビニールなどを拾い集めた。

 伊藤さんという責任者は、皆が休憩を取っている一時間の間も休憩を取らずに、出来た棚から随時チェックを入れていた。

 そうして、「さあ、あと4時間頑張ろう」と場内のどこからか、スピーカーを通した休憩終了の合図があり、皆が腰を上げ、最後の仕上げに入って行ったのであった。その時にそのスピーカーからBGMが流れていたのを気が付いた位、渉はこの仕事に没頭していた。 

 最後の陳列棚に傷が無いか、きちんと棚がセットされているかを伊藤さんが確認した後、全員が集められ終礼となった。時間は終了予定の30分前の午前4時半だった。

 伊藤さんはまず最初に、

「怪我人が出ずに作業が終了した事に感謝の言葉を述べ、  次に協力してくれた学生の 方々に感謝」という順に挨拶が進み、社員の人より先に学生の事に触れてくれたことに、徐々に明るく成って行く帰りの始発電車の中で、学生達は口々に伊藤さんは凄い人だと話していたことが、今でも印象に残っている。

 バイト代も深夜の為、その当時としても破格の7000円(昼間の通常の五日分)のバイト代も、当日ひとり一人名前を呼んで伊藤さん自らが一言添えて渡してくれた。

 渉には「周りの空気を読んで、指示されたこと以外に手を貸してくれて本当に助かりました。ありがとう」と言って封筒に入ったお金を渡してくれた。渉があちこちに散在していた段ボールや引きちぎられたビニールを、重い什器の搬入で足元のビニールを踏んで滑ったりしたら危ないなと思って片づけた事をちゃんと見ていてくれたんだと思い嬉しかった。他の学生も夫々良かったことを言われて満足げであった。

 それから三か月後、その伊藤さん直々に家に電話があり、仕事を手伝って欲しいと言われ、当然だが二つ返事でOK し、その時は学生のまとめ役でバイト代も10,000円貰ったことを今も忘れない。

 仕事のコツを覚え、初めての学生に色々とアドバイスした事を、バイトの学生がその通りにやってくれているのを見たり、これで良いかチェックしてくれと云われて、もう少し最後までキチンと嵌まる迄フック掛けをして下さいとお願いして、一発できちんとフック掛けが決まった時のバイトの学生が「成る程」という顔をしてくれた時は何だか無性に嬉しかった。

 その事は、後の色々なバイトで新人のバイトさんに教える時の接し方がマスターでき、そのスタイルがこの陳列棚の交換の仕事で構築できたことが大きな収穫だった。

 僕はこの仕事で伊藤さんという人を通し、責任者としてすべきこと、そして実務として搬入・搬出の手際の良いやり方を前もって練り、出来る限りそれを現場で忠実に行う事を二度目の仕事の時に教わった。  

 事前の打ち合わせに参加させて貰って、成る程、原点はここにあったのかと思い、わざわざ僕を事前の打ち合わせで、会社に呼んでくれたことに感謝した。そして社会人になってから大型展示会の搬入搬出でそのことが大いに役立ったことをここに附記しておきたい。

 

 

④ 企業の運動会・竣工式・式典への器具の貸し出しと進行プロデュースのH屋

 

H屋のアルバイトは大学一年生のメインバイトだった。同じクラスで最初に仲良くなった浅井君というすごく面白いヤツがいた。落研向きの奴だなと思っていたら、やっぱり落研に入部していたというまさにドンピシャ男だった。普段のしゃべり方のテンポ、間の取り方、そしてその表情そのものが一端(いっぱし)の落語家のようで、そばに柳谷(・・)()さん(・・)がいるようで不思議な感覚だった。

 その浅井君の父親が役員をやっている〝H屋〟という屋号の会社で、企業の式典・運動会などの道具貸しや、式典の進行を引き受ける会社で、当時の浅井君の話では都内にその手の会社はもう一社しかなく、市場はこの二社の独占状態にあった。

 その為、繁忙期は社員だけでは足りず、学生のアルバイトを雇い、多い日はスタッフを3班に分けて始動する日も結構あった。そこで大学で声掛けされたのが、渉、菅田君・小倉君・岡本君・蓮川君・平木君などが常連となって手伝った。バイト代も当時の平均よりはかなり良くて、ビルの竣工式や式典では、必ずご祝儀が出るので、バイト代+祝儀で一日で8,000円になる時もあり、学生のバイトとしては非常に有難かった。だから大学三年生迄、声が掛かれば馳せ参じた。その中で特に印象に残った仕事をこれから幾つかご披露しよう。

 

 まず初めての仕事から。それは衝撃的な幕開けであった。

仕事は「T現像所というTV業界では超が付くほど有名な会社で、テレビ用のフィルム現像では断トツの大手。渉の初仕事はその会社の運動会であった。

T現像所の担当は、総務部の部長で、その人は背が高くて恰幅も良く、ゴルフ焼けで顔は浅黒く、映画俳優のクラーク・ゲーブル並みの彫の深い顔立ちで、吸っている煙草はラーク〔当時「洋モク」(外国製タバコ)の値段は国産の倍〕だった。そして、どんな時でもダブルのスーツでお出ましだった。

 

 場所は今で言う東京と千葉に(またが)る臨海地域の海岸沿いのグランドで、ハプニングは前日の搬入から起きた。

 その日は曇りで立っていられない程海風が強く、特注の十間テント(長い方の一辺が18メートルある)という大型のテントを立てた時、テント布の縁を持っていたベテランの社員が風で3メートル近く巻き上げられ、その後地面に叩きつけられ鎖骨を折るという大けがを負い、波乱万丈の幕開けとなった。その後もくす玉が風で飛ばされて、割れてしまうは、万国旗が空中で絡んで、破れるはで散々の準備となった。その日は倉庫に戻り、夕方まで壊れたり破れたりした物の修理に追われた。

 しかし翌日の運動会は、昨日とは打って変わって晴天に恵まれ、海風も嘘のように無く、順調にスケジュールをこなし、お昼前のアトラクションでは、そこにいた家族や観客が驚く様なビッグな出し物がみんなを魅了した。

 それは爆音と共にいきなりバイクのウイリーで入場門から出て来て、大勢の人の目をくぎ付けにしながら颯爽と走り抜け、グラウンドの中でターンを繰り返し、片手で銃を撃ったりしてカッコイイの塊だった。特に子供達は大騒ぎで退場門に消えた後も暫くその興奮と動揺の余韻は続いていた。それもそのはずで、何と本物の仮面ライダーがバイクに乗って登場したのだった。

 ちょうどその時、渉は責任者の大舘さんが早めの昼食で不在だったため、クラーク・ゲーブルに呼ばれて、午後からの競技の順番の変更を伺っている最中だった。

ゲーブルは「中身は知り合いのスタントマンだが、あの仮面ライダーの衣装とバイクは本物を借りてきたんだ」と自慢げに話してくれた。さすが、天下の「T現像所」といったところだった。

 

 お昼からの種目で「くす玉割り」が始まったが、普通なら5分も経てばまず一つは間違いなく割れるはずが、その日は「金」も「銀」も両方が頑張っても、5分経っても割れず、割れないのではなく絶対に割れないという感じで、紅白両軍とも投げ疲れしてしまい、途中で一端、水(休憩)が入った。

 それもそのはずで、前日風で飛ばされて、いとも簡単に口を開けてしまった為、持ち帰って社員の人が忙しくて手が回らなかったので、アルバイトの学生が指示された通り、忠実にガッチガチに口を塞いだのであった。それを本来は、ベテラン社員が当日の風雨の状況に応じて吊るす前に、ナイフで‶切り口〟を入れるのだが、それを忘れたようで、それは〝永久に割れないくす玉〟になっていて、その担当社員さんは焦っていた。

 休憩が入った時を見計らって、くす玉にナイフを入れて再開したら、今度は1分もしない内に銀の方が割れてしまい、観客から物言いがついて競技がストップとなり暫く中断となった。さらにこの日は悪いことがもう一つ重なった。

 運動会のメインイベントで最後の競技の〝綱引き〟が始まり、僕もテントの中で総責任者の大舘さんと一緒に腕組みをして観ていた。力が拮抗して綱のセンターに結んである赤いリボンの目印が中間に引かれた白線の上を言ったり来たりして中々勝負がつかない。

 それを見て観客が応援で双方からどっと加わったその時、大舘さんが思わず舌打ちをした。暫くすると白組・紅組両方の選手が後方にドミノ倒しのように倒れた。

 運動会のメインになっていた綱引きの綱が切れてしまったのだった。綱引きの綱が古くなっていた為、事前に人数制限で双方合わせて大人60人までとしていたのだが、応援が途中で数十人入った為に綱が切れてしまったのだった。

 くす玉といい、綱引きといい観客からはブーイングが起こったが、こちらとしては一本百万円すると大舘さんは言っていたが、綱を切られてしまったので儲けがすっ飛んだと言ってブリブリ怒っていた。その場でクラーク・ゲーブルにクレームを入れたらしいが、ゲーブルはくす玉の件で‶アイコ〟と思ったのか、受け合わなかったそうだ。

 終わった帰り道で浅井君もこんなに色々の事が起きた運動会は珍しいと言うほど、渉のH屋の初バイトは波乱の幕開けとなり、驚きの連続であった。

 

 

今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

次回の投稿は、明日金曜日になります。どうぞ宜しくお願い致します。