この第三章は、渉が「どもり」だった故に、将来の事を考えて大学に行くべきなのか、さもなくば音楽の世界で生きて行くのかの選択を迫られた結果、やはり音楽の道=職人として生きて行く事は断念し、人並みに大学へ入学して卒業までの四年間のハーベスト(収穫)について語った章であり、渉の人生において大きな岐路に当たる時代となった。

 「ノーハーベスト」。つまり、学業としての収穫はなかったが、社会を知る為には大いに収穫のあった4年間でもあったのだ。渉が世の中の事をどう学び、それをどう活かしていこうと考えたのか?渉が経験した数々のアルバイトによってそれが構築されたのであった。

 そして就活の時期になって「どもり」がどうなって行ったのか。それも大きな転換を迎えるのであった。就活になる前に起きた世界的な出来事、それが渉の就活にどんな影響が出て、どうなって行ったのかも見どころとなり、渉の人間形成のある意味で「肝」になる時代となったのである。

 またこの章の「番外編」は、この本の構成上、最も大切な渉の考え方を示しているという事で、色々な意味でこの第三章は見逃せない内容に富んでいるのである。

 

第三章 ノーハーベストの学生時代

             大学の印象と学生という人種

             死んだ学問より生きたバイト

             学生時代の本望はアルバイト

             アルバイトの経験を通して

      ひた走る音楽への道

             真剣味に欠けた就職活動

             大学時代の思い出

  番外編 「これだけは言っておきたい」

 

 

 

第三章 ノー・ハーベストの学生時代 

 

     大学の印象と学生という人種

 

 渉が大学生になった時、大学という学び舎で受けた印象で高校迄とは全く違うことは、「○○先生」ではなく「○○教授」「講師」等と教師の呼び方が変わり、大学教授は授業で講義するだけではなく、ゼミ講座を担当したり、研究をしたり、論文を書いて発表したり、本を出したりして本業の中で複数の仕事を持っていた。

 また、芸能界や文壇で本業を行いながら、大学の教授という人もいる。逆に経済学の教授でありながら「作家」という変わり種の方もいる。僕も教わったことがある南條範夫(古賀英正教授)は「月影兵庫」シリーズや、NHKの大河ドラマにもなった「赤穂浪士」「元禄太平記」等の時代小説の作家であり、その人が教授として大学で教鞭を執るというスタイルだ。

 渉は古賀教授から「貨幣論」を習ったが、作家の南条範夫は大好きで結構読んだが、教授古賀英正とは肌が合わなかったようだ

 大学の講義(授業)は単位制だ。今では高校の授業で経験済みの生徒もいるだろう。成績評価の仕組だが、渉の時代は優・良・可・不可の四段階評価で「不可」になった教科は単位が取れない。その「不可」の所為で留年。特に四年生で、就職は決まっているのに留年という「新しい門出を自ら汚す」こともある。  

 大学にもクラスという括りがあり、五十人位が一クラスで括られていた。四年間、同じクラスで担任もいる。必修教科はクラス単位で受講するが、選択科目はその授業を選んだ人が受講するので、経済学部の学生で留年生も受講の対象となるから、学年はまちまちであり、色彩は豊かである。

 入学式と卒業式にはクラスでの集合写真を撮る。卒業写真の方が色々な意味で寂しく見える。中退、退学、留年によるクラスの人数が減るのである。「人生悲喜(ひき)交々(こもごも)」を経験するのもこの時だ。

 

 渉が入学する数年前まで学生運動が激しかった。運動に関わっていた学生達は、単位は疎か試験すら受けずに卒業していったのだとか。大学がロックアウトした為、講義は行われなかった。今の様にオンラインで受講が出来れば良かったのだが、一般の生徒も学校共々、その「トバッチリ」を受けた被害者なのであった。

 

 渉が大学生の頃といえば、印象では「束の間の放浪者」という言葉がシックリくる。大学は将来的に必要な知識・技術の習得に励む場という、代え難い本質があることは言うまでも無い。しかし、はみ出し者がいるのもまた事実。恐らく、今も昔も一定の割合で棲み分けがあるのではなかろうか。二十歳前後の当時のノンポリ学生が学業の合間にする事といえば、酒、ギャンブル、女遊びに男遊び、アルバイトや車。他にはバンドや旅行などもあっただろう。

 高校時代より行動範囲も格段に広がり、交友関係もがらりと変われば、人も変わる。それこそ、女の子と話すら出来ない内気な青年が、ドンファンのように変貌したり、また影が薄い地味な少女が、化粧に髪を染めて一躍、他人の目を引く校内のアイドルへと変身する。

 大学生になり、印象が百八十度変わるような人もいれば、何かに特化する人もいる。僕は後者であった。四年間アルバイトに明け暮れた人種だった。アルバイトの掛け持ちをする大学生は、そう珍しくない。ただ、稼いだ金の使い道は人それぞれで、競馬、麻雀、パチンコなどの賭け事は、男子学生であれば何かしら一度は経験していたと思う。また、色々な人種に棲み分けされていた。

 

・明け暮れアルバイト人

・賭博に打ち込むギャンブル人

・年上女のアパートに転がり込むヒモ人

・スポーツで活躍し、新聞・雑誌に取り上げられる運動部人

・学生の間に会社を興す起業人…等々

 そういった様々な人種の中で、何かを成す者もいれば、何も成さない者もいて、銘々(めいめい)が人生の「束の間の放浪者」として過ごした学生時代。大言壮語で思い上がり、何の成果も上げられずに四年間を過ごした人は、「流浪の民」と言う方が相応しかったのかもしれない。

 

色々と個性的で流浪している民(人種)が闊歩するのが学生時代で、大きく覚醒する人もいれば、思い込みや言う事は立派でも、何の成果もなく、四年間を過ごしてしまう様な人もいるのが大学生で、笑いごとで済まない状況に陥って、闇に消えていくヤツもいるのも、また学生時代である

 

                =終わり=

 

 

 今週もお読みいただき有難うございました。

 今迄の長さに比べますと読み手にとっては如何でしょうか。私の知り合いの方は現役を引退されている方が多いので、読む時間はあっても、老眼で長い文章は最初から読む気がしない方が多く、また、仕事をされている方は、中々一遍で読み切れない等のご不満があったので、今回から今までの半分~三分の一程度のボリュームに致しました。

 

 来週からは、投稿日を(火)と(金)の二回として、原則は1項ないし、2項の量で、30分もあれば、ゆっくり読み切れる量に致しますので、感想をコメントに書いてお知らせして頂きますとたすかります。

             宜しくお願い致します。