今回の投稿で第一章が終了します。                            来週からは(第二章:中学生~高校生時代です。これからますます「七海 渉」君が 自分の意思や行動に、自己肯定感を強く持って進もうと頑張る姿があるのですが、そこでずっこけをかましたり、殴られて気絶したり。そして昭和史の音楽市場で最もセンセーショナルな「ビートルズの来日公演」等々。

 そんな中で渉はシンガーソングライターに憧れを抱き、初めて「君の事が好きだ」と告白した高校三年生の甘酸っぱい記憶と、興味が尽きなくなっていきます。

 さあいよいよ面白くなってくる七海  渉の世界にこうご期待!

     

 

    第一章 11項・12項 

 

      小学生の小学生の思い出

  1) 

 小学校の一番嫌な思い出は、何と言っても小二の時にドモリになった事。なぜ「ドモリ」、また「チック病」になったのか。、

 それは申し訳ないが、間違いなく母の〝小一からの詰め込み教育〟にある。あれは子供心にも嫌だった。殆どの子がランドセルを下ろし、おやつを食べ、それから友達を誘って遊ぶのが普通なのに、明君が迎えに来ても、勉強が先。      

 そして、分からなかったり、間違えたりすると、母はヒステリックに怒り、「何で、分からないの。さっき、教えたばっかりでしょ」とイライラして、和裁用の物差しで机の端をビシビシと叩くのであった。それはある意味虐待であり恐怖だった。

 逆らったら今度は「どの口がそんなことを言うのっ」と口の端をつねられるし、ある意味「拷問」とまでは言わないが、正直、「地獄」だった。

 母には申し訳ないし、そうは考えたくないが、その反動が小二の毎日の喧嘩や、女の子を泣かすことに繋がってしまったのではないかと思う。

 

 昔はドモリになる子は「頭が良い」と言われた。

 つまり、「頭が良い」というのは、一説には頭の回転が早すぎて、言葉がついてこないからドモるのだと言われていたのだそうだが、確かに考えながら話すのではなく、頭の中では、かなり話の先の方まで展開が進んでいて、それを言葉にして発するのがもどかしい。という事はかなりあった。

 

 ドモリになると、自尊心は傷つき、自己肯定感も消え失せ、もうどうでよくなりヤル気も起きない。

 昔、田中角栄と言う苦労人の総理大臣がいた。最後はロッキード事件の犯罪者として収監されたことはご同輩以上の方は皆ご存じのはずだが、渉は今でもこの総理大臣が一番好きだ。

 何故ならこの人も少年時代、極度のドモリだったそうで「同病相憐れむ」である。角栄さんは、風呂に入った時に浪花節、あの有名な天宝水滸伝「利根~の川風、袂に入れて~え・・・」と呻って直したそうだ。どんなに強烈なドモリでも、歌はドモらず歌えるのだから、渉がミュージシャンを生業にと考えたのも頷けよう。

 

  2)

 そしてもう一つ嫌だったのが、六年生から始まった‟学校給食のミルク‟だった。渉と同じ年代の御仁は「ああ、あれね」とすぐ気が付くであろう。

 

 所謂「脱脂粉乳」。読んで字の如く、脂肪分が無い粉ミルクである。

 

 アルマイトのお椀のような形をした器に、「よして欲しいのに」なみなみと給食係が注いでくれてトレーの右上に鎮座している。温めて有るので器一杯に膜が張っている。それを先が割れているスプーンでそおっとどかして飲むのだが、こんなクソまずいものがこの世にあるのかと思われるぐらい,

「ぬるくて」

「まずく」

そして「気持ち(わり)い」のである。

 

 それが洋食ではなく、和食のおかずの日にも出てくる始末で、給食の献立を考える人のセンスを疑ぐった。当時の給食の目的の一つに「好き嫌いを無くす」と言う事があったが、あの脱脂粉乳だけは人間の飲み物ではないと今でも思うのである。

 

 これは当時の噂だがアメリカでは、「脱脂粉乳」は家畜の餌で人は飲まない。と聞いた時、敗戦国にアメリカのそんなものまで処分を押し付けて来るのかと大いに憤慨して、「脱脂粉乳大嫌いファンクラブ」の連中とアメリカの悪口を言っては留飲を下げていたが、それでも毎日出てくる脱脂粉乳には閉口した。

 

 でも最近ネットで調べたら、どうやらユニセフがアメリカの救援団体から寄付で受けたもので1946~64年頃迄、学校給食に提供した事がわかったが、そうは言ったって、あのまずさは忘れられない。

 

  3)

 そして最後に苦手なものをもう一つ。これも給食同様六年生から始まった。

この年、木造校舎が当たり前だった当時、鉄筋の二階建て校舎が出来た。六年生が優先的にそこに移った。

 鉄筋の校舎は立派で嬉しかったと言いたいところだが、渉にとっては眺めが半減するものが目の前に広がっていた。それは校舎と一緒に作られ、水が凛と張られた25メートルのプールだった。そのプールで己のプライドが地の底に這いつくばる程、世紀の赤っ恥を掻くのであった。

 渉はスポーツ万能ではなかったが、運動神経は決して悪い方ではなかった。但し、水泳だけはいくら頑張ってもダメだった。

 

 4歳で引越してきてから、毎年の夏は少なくとも一回は海へ行った。他の子もみんな同じだ。今の子の様に小学生から習い事をする子は少なかったし、まして当時は水泳自体が習い事になっていなかった。

 市営や民間のプールもあった。市営はY市にあったし、P市にも国道を2.3キロ北へ行ったところにも石油会社のプールがあった。

 そこには夏休みの間、必ず何回か行ったが、確かに泳ぎ方をまともに教わったことはなく、プールへ行ってもただバシャバシャ水しぶきを上げて遊んだり、お尻から飛び込んだりするだけだった。

 

 だから、学校の体育の授業でも、最初は殆どの子が泳げなかった。

 暫くすると大概の子がコツを覚えて泳げるようになっていく中で、いつまでたっても最初と変わらない子が最後に数人残った。その中の一人が渉だった。

 

 水泳の授業は小学校では男女一緒だったので、本当にカッコ悪くって水泳の日が憂鬱だった。でも、どういう訳か雨が降ると水泳の授業は中止になったので、朝から曇りの日は、学校に行く前、神様に

「昨日は母に嘘をついてしまい済みませんでした。

   今日は悪いことは絶対にしませんので、

   どうか雨が降りますよう、宜しくお願いします」と

皆がいないところで手を合わせて祈るのだが、まずもって、雨になった日はなかった。そこで止せばいいのに、渉は神様に手を合わせて文句をいうのだった。

 すると、そういう日に限って、授業が競技形式のタイム測定だったりするのだった。みんな自分の得意な泳ぎ方で25メートルを泳いでタイムを計る。男子は勿論の事、女子も河童の様に泳ぎが上手い子もいる。

 特に速い子は、先生がわざわざ、タイムを大きな声で、「ハァイ○○さん、△△秒で~す」と発表するものだから、ワーワーキャーキャーと歓声が校門を抜け、ご近所にも伝わるのである。

 

 渉は、そんな中でも自分の番が確実に近づいて来ることが恐怖で、拍手するような余裕などなく、ひたすら今ここで、大きな地震が来ないかとか、急を要する様な事が起きないかとか願うのであるが、渉には「事」水泳に関しては「もう神様に文句を言った時点で見放されているのだから仕方がない」と思うことが出来ない〝往生際の悪さ〟があった。

 

 何故なら、普段から他人にカッコ悪いところは絶対に見せたくないという、プライドの塊のようなものが渉の頭の中に巣喰っていたからなのだ。そして開き直れないから余計に始末が悪かった。

 

 そうして、遂に自分の番が回って来た。

先生の吹くホイッスルが勢いよく鳴った。

少しでも泳ぐ距離を少なくしようと考え、

思いっ切り踏ん張って

遠くまで飛び込んだつもりだったが、

普段より十数センチ遠くへ飛んだ程度で、

その代償の方が余程大きかった。

嫌と言うほど胸腹を打ち

お腹側を真っ赤にして大しぶきをあげた。

 

でも普通ならそこから名誉挽回の泳ぎが始まるのだが、

渉の場合は違った。

そこから始まるはずの平泳ぎが殆ど前に進まず、

〝手と足の動き10〟に対して、

〝進み具合が2程度〟なので、

まるでヘリコプターが水中でホバリング

しているような状態になった。

 

それだけでも大笑いなのに、

身体がだんだん足の方から沈んでいくので

何とか態勢を整えようと悪あがきをする。

腕を大きく広げるはずが犬かき状態となり、

遂には平泳ぎなのか、立ち泳ぎなのか分からなくなり、

分かっているのは

このままだとプールでなければ溺れてしまう

という事実以外は全く分からない状況に陥り、

もう何をどうやっているのか、

何がどうなっているのかが

自分では分からない位、

水の中で気が動転しているのだった。

 

分かっている事と言えばたった一つ。

プールサイドではきっと全員で

捧腹絶倒しているに違いないと言う事だけだ。

誰が大笑いしているかを見届けて、

後で呼び出してぶっ飛ばしてやろうと思っても

そんな余裕すらなく、

挙句の果てに口が「ムの字」になっているので、

(とど)めの一発、鼻から空気の代わりに水を吸い込み、

咽がむせて、

そこで渉の華麗なる水泳の妙技は終わるのであった。

 

 そして先生はその間も渉が水と格闘しているのを無視して、次の順番の子のスタートのホイッスルを吹き、渉がちょうど平泳ぎから立ち泳ぎに変更を余儀なくされて水と格闘している最中に、隣のコースで渉をスーッと抜いて向こう岸に難なくゴールした女子生徒に向かって「ハァーイ、○○さん、△△秒で~す」とコールしている声が聞こえ、僕がプールのまだ真ん中まで行かずに悪戦苦闘していることなどまったく眼中になく無視であった。

 

 渉はゴホッ、ゲホッとむせながらプールの脇(第6レーン側)から、皆に尻を向けてグランドの方を見ながら上がり、うつむきながらやっと皆の顔を見たが、誰一人として笑っている奴がおらず、

 

 一同〝絶句状態〟で何も言わず、

みんなの顔には「唖然」という字が書いてあるのだった。

それを見た渉は、皆なの格好の笑いの餌食になった方がまだマシと思うほど、「何で?あの七海が」と言う顔が気持ち悪くて暫くの間忘れられなかった。

 

 

 

 

 

 

     番外編「鷹がトンビを生む」

 

 前述の通り現役最後の10年、七海 渉は学習塾の教室長を生業(なりわい)にしてそこで多くの事を学んだのだが、要約すれば次の4点になる。

 

 世のお母さん達よ。

曰く、子供は

➀「褒めて育てる」

②「怒るのではなく、叱る」。事に徹せよ。

たったこの二点で充分なのだが、しいて言うならあと二つ。

③「子供の人格を尊重し」、

④「絶対に上から目線でものを言わない」

以上の4点を肝に銘じて子供に接したら、あなたのお子さんは男女の別を問わず、賢く、家族思いで、気立ての優しい子になる事を請け負います。

 

 たとえ小学校で成績優秀でも自らが望んで、自発的に学習しているか否かによって、中学・高校での成績が決まると言っても過言ではない。なぜそこまで言い切れるのか。それは渉自身がその〝生き証人〟だからなのです。

 

 学習塾には、スパルタ式で成績の良い子しか採らない個人塾が在る。

そういう塾に通う子の殆どは、しごかれても〝なにくそ根性〟で頑張れる。別に性格が〝M〟な訳ではなく、分からないことや間違えることを「恥」と思っているから、打たれ強く、へこたれずにやれるわけだ。

 

 自分の子が遊んでばっかりで、勉強もせず一向に成績があがらないから、スパルタ式の塾に入れる。こんな真逆でアホな事をする親こそ「子育て塾」と言うものがあったら、そこに入って勉強する必要が大ありだ。何事も最初は分相応が一番。ヤル気のない子をスパルタ式の塾に入れたって、付いていけると思いますか。それこそ時間とお金が無駄になるだけだ。

 

 書いているうちに、だんだん腹が立ってきて、本題からかなり遠くはなれてしまった。また、悪い癖が出そうなので本題に戻りましょう。

 

 世の中は、「トンビが鷹を生むより、鷹がトンビを生む」方が多いのです。なぜそう言い切れるか。そんなことは簡単に説明が付きます。                 

 本来「トンビはトンビ、鷹は鷹の子を産む」ことがDNA的見地から言っても普通です。ではどうして「鷹がトンビを生む」方が多いのかと言うと、

 それは「()む」ではなく「()む」と書いた事で説明が出来るのです。この字の意味の違いが辞書を引かなくても分かりますか。もし、分からなかったら貴方はトンビだ。だから自分の子を鷹に仕立て上げる為に、小学生から尻をひっぱたくのはもうやめましょう。

 

 では、分からない方の為にご説明しよう。折角遺伝のセオリー通り、鷹が鷹を産んでも、つまり出産したとしても、小さい時から「やれ、ああしろ、こうしろ」と勉強に対し指示を出しすぎ、放っておけば「鷹」に()れたものを、ヤル気を失わせたり、渉の様に怯えてしまったりで最終的にトンビに()る。

 

 だから「鷹がトンビを生む」方が多いのだ。お分かりですね。物事は「時期尚早」すぎると、「覆水盆に返らず」という結果を招くことが多いと言う事なる訳なのです。

 

 さらに言わせて貰えば「頭が良い」のと「勉強が出来る」のとは根本的に違います。「頭が良い」と言うのは「頭の質が良い、つまりクオリティが高い」と言う事で、頭が良いと、それは「悪知恵」にも利用可能だが、「勉強が出来る」子が「悪知恵」を働かせる事が出来るとは一概には言えない。

 

  確かに勉強することが全ての基本。勉強することは「知識を得る」と同時に「なぜ、どうして」という疑問の解決法を導く事と、もう一つは「覚える」事が出来るようになるからだ。一般的に言えば数学が出来ても、数学者にでもならない限り、学校の先生、若しくは塾の講師位にしか役には立たない。でも数学をやることは論理的思考回路を構築し、最終的な答えを導き出すために必要な勉強なのだ。だから刑事や探偵には、数学好きが多いのも頷けよう!

 

 要するに勉強する事も出来ない子供は、何をやっても飽きっぽく、長続きせず、トンビの中でも最低レベルのトンビになっても仕方がない。

多少物覚えが悪く、テストで平均点以下であっても、絶対諦めないで「お母さん、次頑張るからね」と言う、有言実行の子を育てるように、母上がトンビでも最上級の立派なトンビなら、そういう子供になるような育て方をして欲しいし、絶対に出来る筈である。

 

 立派なトンビは、最低レベルの鷹よりも、ズゥーと上位だ。

 

 スポーツも同じ。自分を信じてコツコツ、コツコツと毎日練習する事で希望を捨てず、目標(=夢)を持ってやればこそ、最後に一流と言う勲章を胸につけることができる。さらに挫折を味わった事のある子は、一々くよくよせず、失敗したってそれを肥やしにして頑張れる強い精神で、自らの努力を以ってそれを乗り越える事が出来る。

 

 世のご両親様、子供の教育は前出の4つの事+近視に注意する事だけで充分なのです。そうすることで最高の親子関係を築ける。

 子供がやりたがらない習い事など余計な手間暇を掛けず、野球で言えば「ド直球」料理で言えば「塩コショウの味付けだけ」で子育ては充分。

 

 その代り、やりたいことをやらせて上手く行ったら、天迄昇ってしまいそうな位褒め上げて一緒になって喜ぶこと。間違ったことをしても感情をむき出しにして怒らず、小さい子供でも人格を尊重し、きちんと子供の目の高さまで腰を落として叱る=説明してあげる、

 そういうやり方が、子供が物心つく前からキチンと出来る親であれば、子供は必ず親を尊敬するようになる。子供を見れば親が分かる。まずは親が鷹若しくは上トンビでなくてはならない。            

          

 

                 =第一章終了=

 

 

 如何でしたでしょうか。一章を振り返ってみて?

面白かったかどうか何て、野暮な事は聞きません。それよりお伺いしたい事は、

 

➀毎週金曜日が楽しみでしたか

②読んでいる間は他の事は忘れ、夢中になれましたか

③読んでいて「えっもう終わり」と欲求不満に陥りましたか

④私の正体を知っている方達が「へぇーっ、あの人がそんな事を」と想像しましたか

⑤次回投稿日を、ダイアリーやカレンダーの毎週金曜日に何か印を付けていますか

 

以上の質問で最低でも一つマルが付けばOkです。その内「否が応」でもマルが増える

事に対して自信があります。今はまだ「いいね」を押さなくても構いません。無理して友人に紹介しなくても結構です。まずは皆さん自身が楽しいと感じてくれる事が第一なのです。

 

それでは、今後とも宜しくお願い致します。