『まだはやい』

 
【登場人物】2名(男性1・女性1)
 
惣一郎:(そういちろう)…建築屋さん。妻の陽子を三ヶ月前に亡くしている。娘の陽菜(ひな)は高校生。
六文:(ろくもん)…陽菜(ひな)そっくりのバーテンダー。陽菜と陽子の3役を演じてください。
 
【ジャンル】ラブストーリー・ファンタジー・ファミリー
 
【上演時間】30分
 
【あらすじ】
 三途の川の河原にあるバーカウンタ。男はそこで自分の娘そっくりのバーテンダー六文に出会う。
 「私はあなたに何もする気はありません。あなたがこの世に戻るか、あの世に旅立つか。それを見守るのが私の役割です」
 男が選ぶ道は果たして・・・。
 
【本編】
 
 河原に不自然にあるバーカウンター。
 そこへ惣一郎がやってくる。
 
六文:いらっしゃいませ。
 
惣一郎:・・・。
 
六文:お一人様ですね。いま開店したところなんですよ。カウンターのお席へどうぞ。
 
惣一郎:ここは・・・?
 
六文:ここは狭間にあるバー「トワイライト」でございます。
 
惣一郎:狭間・・・。俺はなんでこんなところに・・・。
 
六文:とりあえず座ってください。ここに来られた方は皆さんそう仰るんですよ。混乱しているんですね。わかります。これからご説明しますから。
 
惣一郎:ああ・・・。(座る)
 
六文:六お冷です。まずは落ち着いてくださいね。
 
惣一郎:陽菜!? お前、こんなところで何やってんだ!?
 
六文:陽菜さん? その方は、あなたとどのような関係なのでしょうか。
 
惣一郎:何ふざけてるんだ。お前、高校生だろ。学校サボってこんなところでバイトしてたのか!?
 
六文:私は陽菜さんではありません。
 
惣一郎:俺が陽菜の顔を・・・自分の娘の顔を間違えるわけないだろ!
 
六文:娘さんでしたか。つまりあなたには私の姿がご自身の娘に見えているということですね。
 
惣一郎:ああ、そっくりだ。でも同じ顔なのに雰囲気が違う。こんな表情、陽菜が俺に見せたことはない。別人だってのか。
 
六文:私の名は六文。そう名付けられました。
 
惣一郎:六文?
 
六文:六文銭の六文です。
 
惣一郎:六文銭って、あれか。真田(さなだ)家の家紋になってる・・・。
 
六文:よくご存知ですね。「六連銭(ろくれんせん)」「六紋連銭(ろくもんれんせん)」。「真田銭」とも呼ばれています。六文銭は「三途の川の渡し賃」であることから、いついかなるときにおいても死をいとわない不惜身命(ふしゃくしんみょう)の決意という意味があるそうですよ。
 
惣一郎:三途の川・・・。
 
六文:仏教では許されない殺生を仕事とした武将が、その救済を求めていたとか、なんとか。つまり私は、あの世とこの世の狭間にいる存在。生と死の狭間。昼と夜の狭間。黄昏。トワイライト。どうせなら、ライトって名前にしてほしかった。六文なんて格好悪いじゃないですか。
 
惣一郎:要するにここは、そういう場所ってことか。
 
六文:そういうことです。
 
惣一郎:そうか・・・。なるほどな。
 
六文:随分と落ち着いてますね。
 
惣一郎:まあ、来てしまったもんは仕方ないだろ。
 
六文:あなたみたいな人は珍しいです。突然のことでパニックになられる方がほとんどですから。
 
惣一郎:娘と同じ顔した奴に言われると、いつもの皮肉みたいに聞こえるよ。あんたが陽菜にそっくりなのは、なにか理由があるのか?
 
六文:私は、ここに来る間際に最後に思い浮かべた人の姿に見えるそうです。
 
惣一郎:俺の未練ってことか。その俺の未練を最後に叶えてくれるのが、あんたの役割なのか?
 
六文:役割?
 
惣一郎:死んだ人間の心残りを無くして、気持ちよくあの世に旅立てるようにしてくれるんだろ。
 
六文:いえ、この姿に特に意味はありません。
 
惣一郎:ないのかよ。
 
六文:私を作った方は、私をどんな姿にするか考えるのが面倒くさかったんでしょうね。姿形なんてものは私の役割に特に意味を持ちませんから。
 
惣一郎:じゃああんたの役割ってのはなんだ?
 
六文:その前に一つ勘違いをされてるようですが。あなたはまだ死んでいませんよ?
 
惣一郎:はあ!? だって、ここはそういう所なんだろ!?
 
六文:ですからさっきも言ったとおり、ここは生と死の狭間にあるんです。まだ死ぬとは決まっていません。
 
惣一郎:死んでない・・・。
 
六文:はい。
 
惣一郎:俺はまだ生きているのか。
 
六文:はい。大変危険な状態ではありますが。先程あなたは「私の役割はなんだ」とおききになりましたが、私はあなたに何もする気はありません。しいて言うなら、あなたがこの世に戻るか、あの世に旅立つか。それを見守るのが私の役割です。
 
惣一郎:それがなんでバーなんだ?
 
六文:昔は立ち食い蕎麦屋だったんですよ。20年ほど前に蕎麦屋からバーに改装したんです。やっぱり、椅子がないと落ち着きませんからねぇ。立ち食いってのはどうも。
 
惣一郎:三途の川の河原にバーカウンターって、違和感しか無いよ。
 
六文:そんなこと言わないでくださいよ。
 
惣一郎:なんでバーにしちゃったの。蕎麦屋のほうが雰囲気あってよかったんじゃないか?
 
六文:生前バーテンダーをやっていた方に勧められたんです。蕎麦屋よりも絶対にこっちだって。私はその方と一緒に蕎麦屋をバーに改装して、その方からバーテンダーの知識と技を教わりました。その方には、私の姿が亡くなった奥さんに見えていたそうです。しばらく一緒にいたんですが、ある日、何も言わずにフラリとあの世へ旅立っていかれました。
 
惣一郎:そんなことがあったのか。
 
六文:蕎麦の打てるバーテンダーなんて、この世で私だけだと思います。あの世にもいないでしょうね。
 
惣一郎:なあ。俺はこれからどうすればいい?
 
六文:というと、この世への戻り方ですか?それとも、あの世への旅立ち方ですか?
 
惣一郎:・・・。
 
六文:それとも、それを決めかねているのですか?
 
惣一郎:・・・まあな。
 
六文:そうですねぇ。ちなみに、どこまで覚えてますか?
 
惣一郎:どこまで?
 
六文:最後の記憶です。
 
惣一郎:(考えて)・・・確か、俺は仕事中だっだ。マンションの改修工事で足場を組んでた。若い奴らが使えなくてよ。手際の悪さにイライラして、手本を見せようと、いつものように体を足場から乗り出した時に、足を踏み外して・・・。いつもやってることだし、大した高さじゃなかったから油断してたんだろうな。でも、たしか3メートルくらいだろ。まさかあんな高さから落ちて死にかけるとは思わなかった。
 
六文:打ちどころが悪かったんでしょうね。
 
惣一郎:俺は今、どういう状況なんだ?
 
六文:ご覧になりますか?
 
惣一郎:見えるのか?
 
六文:はい。ではこちらをどうぞ。
 
 六文が水の入ったグラスを差し出す。
 
惣一郎:このコップの水を飲めばいいのか?
 
六文:いいえ。この水面に意識を集中してください。次第に見えてきますよ。
 
惣一郎:ああ、わかった。
 
 惣一郎が意識を集中すると水面に映像が浮かぶ。
 
惣一郎:・・・あ、見えてきた。ここは病院か? 俺だ。頭に包帯をして眠ってる。
 
六文:意識不明のようですね。意識はこちらにありますから当然ですが。
 
惣一郎:首がギプスで固定されてる。
 
六文:頭から落ちたんでしょうか。
 
惣一郎:すぐに仕事復帰できるってわけでもなさそうだな。
 
六文:そうですねぇ。首は全身の神経が集まっていますから。頸椎(けいつい)を損傷していれば、下半身不随や全身不随の可能
性もありますねぇ。
 
惣一郎:・・・もしも・・・。もしも下半身不随みたいなことになってたら、もう2度と仕事には戻れないってことだよな。
 
六文:そうですね。
 
惣一郎:長期入院ってことになれば入院代も払わなきゃいけない。それに退院したとして・・・。体が動かない俺は陽菜に迷惑をかけてしまう。アイツは母親に似て優しいからな。もしそんなことになったら、陽菜は自分の人生を犠牲にしても、俺の世話を焼くに決まってる。そんなの耐えられねぇよ。
 
六文:まぁ、ただのかすり傷かもしれませんよ。この映像だけではケガの具合はわかりません。
 
惣一郎:軽いケガなら俺がここに来ることは無かったはずだ。
 
六文:それは、そうですね。
 
惣一郎:陽菜に迷惑をかけるだけの人生なんてごめんだ。
 
六文:では、あの世に旅立ちますか?
 
惣一郎:(六文を見つめて)・・・ごめんな。母親の陽子が亡くなってから、まだ3ヶ月しか経ってないのに、今度は父親まで死んじまうなんてな。ドジな父親で、ごめんな。「しっかりしてよ」って毎日お前に言われてたのに。でもな。お前に迷惑はかけたくない。お前の人生はお前のもんだ。お前には幸せになってほしい。まあ色々苦労はするだろうが、俺の兄貴がきっとお前の面倒を見てくれる。それは間違いない。お前の花嫁姿を見られなかったのが心残りだけど。仕方ねぇよ。陽菜、幸せにな。
 
六文:私は陽菜さんではありません。
 
惣一郎:わかってるよ、そんなこと。(ため息)妻の陽子が病気で亡くなってから、なんかこう、抜け殻みたいにさ、働く気力ってのが沸いてこなかった。あいつが生きてる時はそんなこと思いもしなかったけどな。知らない間に、あいつは俺の生きがいになってたんだなぁって思ったよ。それでも生きるために働かなきゃいけない。そんなんだから、娘が心配するのも無理ねぇよ。まあ、俺が急に会いにいったら陽子は驚くだろうな。怒られるんだろうな。「もう、ホントにバカなんだから」って。いつもみたいに。(ため息)・・・。
 
六文:何かお作りしましょうか?
 
惣一郎:え?
 
六文:お忘れですか? ここはバーですよ。
 
惣一郎:あんたが作るの?
 
六文:もちろんです。今はあなたの娘の姿をしていますが、立派にバーテンダーなんですよ。
 
惣一郎:酒は辞めたんだ。
 
六文:そうですか。残念です。ここに来られた方にお酒をお作りするのが私の楽しみだったんですが。
 
惣一郎:ああ、いや、やっぱり頂くよ。どうせもう健康に気を配る必要もないからな。
 
六文:何にしますか?
 
惣一郎:とりあえずビール、と言いたいところだが、任せるよ。あんたの好きなの作って。
 
六文:かしこまりました。
 
惣一郎:酒飲む時は、家の台所か馴染みの居酒屋ばかりだったから、こういう店で何を頼んでいいのか、よくわかんねぇよ。カクテルってあれだろ。ほら。カルーアミルクとか、モスコミュールとか、あと何だっけ?ああ、そうそうマルゲリータ。
 
六文:マルゲリータはピザですね。それをいうならマルガリータです。
 
惣一郎:それだ。若いころ、陽子が飲んでたよ。「それ美味いのか?」って聞いたら「まずい」って笑ってた。あの頃は背伸びするのが楽しかったんだろうな。
 
六文:ピザのマルゲリータは、イタリアの女王に捧げたピザ。確かトマトの赤とバジルの緑、モッツァレラチーズの白でイタリアの国旗をイメージしてるとか。カクテルのマルガリータは、あるバーテンダーが、亡くなった妻に捧げたカクテルで、「天国へ贈ったカクテル」と呼ばれています。だから、ほろ苦い大人の味がするんです。
 
惣一郎:よく知ってるなぁ。
 
六文:一緒にここを改装したバーテンダーの方に教えてもらいました。ピザのほうは、その後にやってきたイタリアンレストランの店長に。こんな知識はあの世に持っていっても意味がありませんからね。はい。お待たせしました。こちら「ジャックローズ」です。
 
惣一郎:こんなに小さなグラスなのか。これなら一口だ。それにピンクの酒なんて、俺には似合わないだろ。好きなのを作れとは言ったけどさ。
 
六文:こちらはリンゴのブランデー、カルヴァドスをベースにレモンジュースとグレナデンシロップを合わせています。カルヴァドスは「アップル・ジャック」とも呼ばれていて、そのお酒で作った薔薇色のカクテルだから、「ジャックローズ」なんです。すっきりとしていて甘酸っぱい。私のお勧めです。
 
惣一郎:なんでこれなんだ? なんか意味があるのか?
 
六文:カクテル言葉は「恐れを知らない元気な冒険者」。なんの関係もありません。でも、この「ジャック」と「ローズ」って言葉、何かを思い出しませんか?
 
惣一郎:ジャックとローズ・・・。
 
六文:ヒントは少し前に大ヒットした映画です。
 
惣一郎:なんだったかな・・・。わかった。「タイタニック」だ。そうだろ?
 
六文:正解。レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレット。あの二人の演じた役名が一緒になったカクテルだと思うと、とてもロマンチックなお酒に思えませんか?
 
惣一郎:なるほどな。
 
六文:亡くなってしまった最愛の相手を思い続ける。そんなあなたにピッタリだと思いました。
 
惣一郎:(笑)やめてくれ。照れくさいよ。
 
六文:すいません。
 
惣一郎:その映画の知識も誰かに教わったの?
 
六文:まあ、そんなところです。
 
惣一郎:それじゃあ頂くよ。
 
六文:どうぞ。
 
惣一郎:(一口で飲み干す)・・・甘ぇなぁ。やっぱビールにしとけばよかった。
 
六文:(笑)
 
惣一郎:久しぶりの酒は喉にくるなぁ。
 
 次第に眠くなる惣一郎。
 
惣一郎:・・・あぁ、おかしいな・・・酒に弱くなったのかな。たった一杯しか飲んでないのに・・・眠く・・・。(眠る)・・・。
 
 惣一郎の夢。
 
陽菜:お父さん、また台所で寝てる。こんなところで寝てたら風邪ひくよ。起きて。早く。台所で寝ないで布団で寝なさい。
 
惣一郎:うるせぇな。わかったよ、起きるよ。ったく。だんだん母親に似てきたな。怒鳴り声がそっくりだ。
 
陽菜:またこんなにお酒飲んで。お父さん建築屋さんなんだから、二日酔いで仕事行ったら危ないでしょ。高い所から落っこちても知らないからね。
 
惣一郎:大丈夫だよ。俺はベテランだから。そんなヘマはしねぇよ。飲んだっつっても今日はそんなに飲んでねぇだろ。一つ、二つ、三つ・・・あれ? 昨日飲んだ缶も残ってたのかなぁ。
 
陽菜:寝る前にもう一回お風呂入ったら? サッパリするよ。
 
惣一郎:その前に一服させてくれよ。
 
陽菜:今度はタバコ? 灰皿にいっぱい吸い殻入ってるのに。そのうち急性アルコール中毒か肺がんになって死んじゃうよ。
 
惣一郎:そうなったらそうなったで仕方ねぇ。陽子が天国で俺が来るのを待ってんだよ。早く行ってやらねぇとなぁ。
 
陽菜:(叩く)バカなこと言ってないでお風呂入ってきなさい。
 
惣一郎:いってぇ。冗談だよ。マジになんなよ。
 
陽菜:そんな冗談は二度とやめて。
 
惣一郎:・・・悪かった。
 
陽菜:・・・しっかりしてよ。
 
惣一郎:(M)陽子が生きていた頃は、二人で台所の椅子に座って、ダラダラと酒を飲むのが好きだった。何を話したか、ほとんど覚えてない。ただ、毎日話題は尽きることなく、どうでもいいことを話しあった。陽子がいなくなって、一人で酒を飲む時間が増えた。黙っているばかりだから、タバコの量も増えた。陽菜がうるさく言う気持ちもわかるが、これだけは勘弁してほしかった。
 
惣一郎:(M)そんなある日。
 
陽菜:お父さんにプレゼントがあるんだ。
 
惣一郎:プレゼント?
 
陽菜:ほら。今日、父の日だから。
 
惣一郎:ああ、そんなのあったな。
 
陽菜:はい。開けてみて。
 
惣一郎:ありがと。(袋を開けながら)去年はなんかくれたっけ? 覚えてねぇな。陽菜、母の日はお母さんにプレゼント渡すくせに、父の日は毎年スルーしてなかったか?
 
陽菜:そうだっけ?
 
惣一郎:そうだよ。(中身を取り出して)なんだこれ・・・。
 
陽菜:・・・。
 
惣一郎:灰皿、か。
 
陽菜:私の手作りなんだよ。友達のお母さんが陶芸やってて、教えてもらったの。
 
惣一郎:俺の名前入りか。随分大きいな。
 
陽菜:これだけ大きければ灰皿がタバコでいっぱいになることもないでしょ。お父さん、タバコ大好きだから喜んでくれるかなって。
 
惣一郎:陽菜・・・。
 
陽菜:嬉しい?
 
惣一郎:ああ、いや・・・。
 
陽菜:もっと嬉しそうな顔してよ。
 
惣一郎:・・・。
 
陽菜:あぁあ。いいなぁ。私も早く大人になりたい。そしたらお父さんと一緒にタバコ吸えるのに。きっとすっごく美味しいんだろうな。私が何度「辞めて」って言っても辞められないくらい美味しいんでしょ。どんな味なんだろう。
 
惣一郎:お前はタバコ吸っちゃあダメだ。
 
陽菜:どうして?
 
惣一郎:まだ高校生だろ。
 
陽菜:じゃ、二十歳になったら吸っていいの?
 
惣一郎:ダメだ。
 
陽菜:意味わかんない。どうしてお父さんはよくて、私はダメなの?
 
惣一郎:それは・・・。
 
陽菜:ほら、こんなに大きな灰皿なら好きなだけタバコ吸えるでしょ。吸っていいよ。二十歳になったら私も吸うから。
 
惣一郎:吸わねぇよ!
 
陽菜:遠慮することないって。
 
惣一郎:吸わねぇっつってんだろ! もう二度とタバコは吸わねぇ!ああああ、くっそぉ!辞めりゃいいんだろ、コンチクショー! だからお前も絶対吸うな! わかったか!
 
陽菜:ホント?
 
惣一郎:・・・。
 
陽菜:もうホントにタバコは吸わない?
 
惣一郎:・・・ああ。約束するよ。ったく。やり方が陽子そっくりだ。
 
陽菜:じゃあ約束。破ったらこの灰皿でぶん殴るから。
 
惣一郎:これ鈍器だったのか。確かにこの大きさなら人を殺せそうだ。
 
陽菜:(笑)
 
惣一郎:(笑)
 
陽菜:ついでにお酒も辞めよ。
 
惣一郎:そんなに俺に長生きしてほしいのか?
 
陽菜:当たり前でしょ。
 
惣一郎:そうか。
 
陽菜:そうだよ。
 
惣一郎:酒は辞められるかなぁ・・・。
 
陽菜:今度は大きなジョッキ作ってくる。お父さんの名前入りで。
 
惣一郎:いらないよ。
 
惣一郎:(M)あの日をきっかけに、タバコを辞めた。台所で飲むのは、ノンアルコールビールに変わった。最初は物足りなかったが、味のついた炭酸水も悪くないと思うようになった。ただ、隣に陽子がいない。それだけは、いつまで経っても慣れなかった。
 
惣一郎:(M)そして俺は、仕事中に足場から落ちてしまったんだ。
 
陽子:(幻聴)あなた、起きて。こんなところで寝てたら風邪ひくわよ。
 
惣一郎:・・・んん・・・。
 
六文:起きてください。こんなところで寝てたら風邪をひきますよ。あ、ひかないかな。
 
惣一郎:・・・陽子・・・?
 
六文:私は陽子さんではありません。
 
惣一郎:ああ・・・寝ちゃってたのか。
 
六文:ほんの少しだけ。
 
惣一郎:あんたの声が陽子の声に聞こえた。
 
六文:今は娘さんの姿ですから母親と声が似ているのかもしれませんね。
 
惣一郎:懐かしい感じがした。俺の肩に触れる陽子の手のぬくもりまで思い出した。
 
六文:そうですか。
 
惣一郎:夢を見てたよ。娘の夢。そうだった。あいつは俺に、「長生きしてほしい」って、言ってたんだよな。こんな父親でもさ。陽菜にとってはたった一人の父親なんだよな。
 
六文:あのぉ、一つよろしいですか?
 
惣一郎:あぁ、なんだよ。
 
六文:実は・・・手紙を預かっています。
 
惣一郎:手紙?
 
六文:川の向こうに立っている。あの、あちらの方から。
 
惣一郎:あちらって・・・。
 
 向かいの河岸に陽子が立っている。
 
惣一郎:陽子!? 陽子だ。間違いない。陽子ー! お前、俺に会いに来てくれたのか!
 
惣一郎:・・・なに? なんだよ、聞こえないよ! もっと大きな声でしゃべってくれ!
 
惣一郎:陽子! 俺はお前にずっと・・・ずっと会いたかった! 会いたかったんだよぉ・・・。
 
惣一郎:なぁ陽子、俺の声が聞こえないのか!
 
惣一郎:陽子・・・。なんで笑ってるんだよ。なんでそんな笑顔で手振ってるんだよ。俺、これから会社に行くわけじゃねぇぞ。
 
六文:あちら側とこちら側で言葉を交わすことはできません。ただ、一度。一方通行ですが、あちら側からこちら側へ手紙を送ることが出来るんです。ひらがなで5文字だけ。
 
惣一郎:5文字・・・。
 
六文:こちらをどうぞ。先ほど陽子さんから届いた手紙です。
 
惣一郎:(紙を受け取って読む)・・・くっ・・・なんだよ・・・。こういう時は、「あいしてる」とか「ありがとう」とか、そんなんじゃないのか。なんで・・・なんでこんな言葉なんだよ。俺はお前に会いに行っちゃダメなのかよ。陽菜には幸せになってほしいんだよ。死にかけてる俺が側にいちゃダメなんだよ。だから・・・俺は・・・。
 
 惣一郎が泣き崩れる。
 十分な間。
 
惣一郎:帰るよ。
 
六文:あの世に逝くのではなく、この世に戻るのですね。
 
惣一郎:ああ。娘が待ってるからな。
 
六文:そうですか。それでは、こちらの道をまっすぐ歩き続けて下さい。
 
惣一郎:わかった。
 
六文:お気をつけて。
 
惣一郎:あんたの名前、六文って言ったっけ?
 
六文:はい。六文銭の六文です。
 
惣一郎:六文さん、あんたさっき、自分の姿に意味なんてないって言ってたけど、意味はあると思うよ。
 
六文:そうでしょうか。
 
惣一郎:たぶん、六文さんを作った奴は・・・。まぁ、いいや。じゃあな。色々ありがとう。
 
六文:私は何もしていません。
 
惣一郎:カクテル美味しかったよ。
 
六文:それはなによりです。
 
惣一郎:(大きく息を吸って)陽子ー! 陽子ー!
 
惣一郎:行ってきまーす!
 
惣一郎:(M)片手で手を振りながら、陽子に背を向けて歩き出す。
 
陽子:(幻聴)行ってらっしゃい。
 
惣一郎:(M)懐かしい声が、耳の奥でやさしく響いた。
 
 おしまい。